マイラ・グランヴィルは破局を迎える10
――この時だけは個の感情を優先させてもらうよ。
「貫け」
胸の内では激情が荒れ狂っていようとも、彼の放つ呪文は酷く淡々として短く、殺意すら感じ取ることができない。けれども彼の指から放たれる透明な矢は純粋な魔力の塊であり、物質を操作するマイラの魔術では直接干渉することはできず、その矢はマイラの額を狙ってくる。本来飛び道具で頭を狙うのはあまり推奨されないのだが、それだけマイラが隙を見せ、そしてチャールズの魔術は頭蓋骨を貫通する威力があるということだろう。
さらにはマイラの産み出した棘を意識的に避けた幾人かの者達が背後からマイラに向かって魔術を唱えようとしている。攻撃魔術による挟撃だ。万全の状態ならばまだしも、最早マイラにそれだけの力は残されていない。
(どうする)
どうしようもないことは自分が一番理解していた。
ならば方法は一つ。
たった一つだ。
後ろは無視して、前だけを見ろ!
矢が真っ直ぐ飛んでくるのならば、その軌道がはっきりしているのならば事前に躱しておくことができるはずだ。既に放たれた不可視の矢であろうとも、マイラは半ば倒れるようにして強引に身体の動きを変えて、右手で地面を弾くように押して体勢を維持し、前に重心を向けることでほぼ突進のように駆けていく。
(とにかくこの場を凌げれば何とかなるのよ!)
凌ぐ、ということはチャールズを殺すか、最低限チャールズの行動を阻害しないといけない。
背後から様々な魔術が襲いかかってくる。もはや躱すことさえままならないマイラは、それらの攻撃が本格的に自分へと被弾する前にチャールズに接近しなければならなかった。彼らの魔術のいくつかは殺傷能力を持つものもあり、さすがに王子に向けて撃つ愚か者はいないだろうからだ。
声を上げるのすら忘れ、マイラは必至の形相でチャールズに迫る。一方でチャールズは冷静にマイラを観察し、そしてもはや彼女が『何かを企む余裕が無い』と断言するほど消耗していることを見定めてから、襲い来る彼女の顔に拳を叩き込んできた。
「――え?」
背後からの魔術はとうに収まっている。というよりかは王子を巻き込む訳にはいかないため別の詠唱をしていたところ、チャールズが数歩踏み込んでマイラを殴ったのだ。勢いが余り、マイラは背中を地面に打ってから、そこでようやくマイラは自分が何をされたのかに気付き、その自分に向けてさらに拳を叩き付けようとしている王子を視界に入れ、腕を交差させて拳を受け止めようとする。
だが、王子は殴る振りをするだけで彼女の脇腹を思い切り蹴り飛ばしていた。
「げっ、ぶっ……!」
ボールを蹴る要領で思い切り頭を蹴った場合、死ぬ可能性があるという。それだけの威力が脚にはあるのだ。それを腹に喰らったマイラは一気に空気を吐き出してしまい、『声が出せない』ことに恐怖を覚える。
(こんな、ことでっ……!)
アズヴァルドを殺すよりも先にこの王子を殺すべきだったのだろうか。武力よりも知恵のほうがずっと厄介だと今更ながらに後悔する。人間は知恵のある生き物だ。道具を巧みに操り、言葉を使い、意思疎通を行い、どんな人間であろうと単純には生きていない。そういった生物の中で特に知恵に優れた者を最後に回したのがそもそもの失敗だったのだろうか。
(あと一人なのに……殺せなかったぁ……!)
もはやマイラに彼を止めるだけの魔力は無い。あったとしても空気を吐き出し、声が出せない時点で完全に詰んだ。
チャールズは冷静にマイラの状態を確認し、そして何が一番虚を突くことができるのか、的確に判断した結果がこれだったのだ。
「灰も残さないよ」
マイラの瞳に赤い色が広がっていく。
チャールズにとって全ての証明を終えた今、マイラを生かしておく利点などない。だからこそその頭に火炎を叩き付けて殺す。断罪の刃を魔術の炎で実行しようというのだ。
(終わり……? これで……?)
目の前にいるのに。手が届きそうなほど、近くにいるのに。
(身体が、もう――)
この美しきマイラ・グランヴィルの肉体が、こんなにも傷だらけになってしまった。させてしまった。そこまでしてなお、最後の最後は届かないというのか。
(私は、最後までマイラを――)
背後から爆発音がする。貴族の魔術だろう。それらは直撃せずとも間違いなくマイラの身体を削り、命を危機に晒している。
(マイラを傷つける者は――)
――すでにマイラを殺している者ならば、死という断罪を与えることができる。むしろ彼女にとって殺す以上の方法は知らないし、分かろうとも思わなかった。
ただその対象が増えるのみ。
けれど、もうマイラ・グランヴィルという肉体は限りなく死に近く、チャールズが放つとどめの一撃を待つのみとなる。
(結局殺される。この運命から逃れられず、『私』が全てを捧げても、マイラは殺される。そんなの、そんなことって許されるはずないじゃない……!)
チャールズの指先が光る。実際に光っているわけではなく、マイラが魔力によって構成された術式を光と認識しているに過ぎない。だけれどもその光は悪しき者を滅するもののように思えて、マイラはそれが酷く酷く滑稽で愚かで無責任で、ただ流されていくだけの唾棄すべき運命なのだと、せめて最期に嗤ってやろうと目を見開き口を開けたところだった。
唐突に、この空間全てから音が消えた。
「は?」
最初に声を出したのは自分か、あるいは眼前の第三王子か。はたまた後方の貴族達か。もしかして王妃かもしれないが、さすがに距離がある。
だとしたら自分であり、チャールズでもあるのだろう。
「これ以上彼女を傷つけさせません」
よく通る声だった。
その少女の声を忘れるはずも、ましてや間違えるはずもない。




