マイラ・グランヴィルは破局を迎える3
――父親は脅威では無くなったと確信したマイラは、次にアズヴァルドをじっと見つめて確認する。
「ま、イラ……グッ……!」
魔術の天才は全ての魔術に精通しているほどに卓越した技術を持っている。つまり医療魔術においても超一流の遣い手と評して良い彼は、自らを貫く剣を抜こうにも抜けず、ただその場に伏して命の源である血潮を王宮の床に広げ続けるのみだった。口から吐血する。内臓が深い傷を負った証拠であり、もはや魔術で傷を癒すといった問題ではない。誰が見てもそうではあるのだが、特にアズヴァルドは己の身体についてこの場にいる何者よりも深く理解した。
つまり、殺されたのだ。
あのマイラ・グランヴィルにまんまと殺され、そうして何事も為せずにここで命を落とすだけとなるのだ。
(この、私がッ……!)
全ては手遅れだ。こちらを見つめる少女の瞳がそう語っている。彼女はここまでやりながら決して笑っていない。表情に出さない。自らの計画通り事が運んだのなら、ましてやここまで決定的な状況ならば少しぐらい油断をしてもいいというのに、しかしその少女は恐らく最後の最後までその手の油断はしないのだろう。恐ろしく徹底している彼女のやり方に、今更ながらアズヴァルドは畏れを抱く。
(正真正銘の……『怪物』だったのか……!)
本当にそこまで徹底した人間がこの世に存在するのか。いるはずがない。人間にはどうしても感情が宿る。感情がある限りその支配下に置かれる。徹底して感情を表に出さないよう訓練することは可能だが、マイラのそれは全く別次元のもののようにしか思えなかった。
(くそっ、くそぉッ……無駄死に……するのか……わた……し……は……!)
意識が落ちていく。
先に逝ったグランヴィルのように、彼の意識もまた闇へと落ちて二度と浮上することはないだろう。柔らかく泡のような心に鉛がぶら下がり、急速に泉の底へと沈んでいくような感覚に、アズヴァルドは身を任せようとして、しかし崖っぷちでマイラを観察する。何故こんなことをする。もう喋ることもできない。何もできない。今更この生にしがみついたところで何も結果を残せない――
「まだだ! アズヴァルド副所長!」
――誰かの声が、その喝が、アズヴァルトの意識を僅かながらに浮上させることに成功する。
誰かは分からない。もうこの頭はそこまで働いてくれない。しかし耳だけはその声を求める。きっとその声の持ち主からはまったくもって信じがたい声で、強く張った声色で。
「最後の最後に奇跡の魔術を見せ賜え! それが君にできる最期にして最大の魔術となるだろう!」
――最大の魔術。
(ああ、それは……)
そうだ、自分は歴代最高の魔術師だ。
誰かは分からないが、そうと言われて魔術を使わない訳にはいかない。
アズヴァルドは魔術を構築する。静かに静かに、しかし今までにない繊細さと精度、そして速度を以て。
マイラですら気付かない、魔術としてはそれほど些細なことだった。
しかし彼が最期に使った魔術こそ、魔術師としての悲願とも言える深奥、その深みに立ち入った事を印す、この世界を生きる人類にとってまさに最大の一歩であった。
アズヴァルドは魔術の何たるかを最も知る人物だ。その知識、経験が今この瞬間、命が燃え尽きる瞬間にこそ全てが爆発するように駆け巡り、そうしてその炎が消えるまさにその寸前で、彼は辿り着いた。
(そうか、これが――『魔法』への一歩だったか……)
魔法は魔術という技術の延長線上には『無い』。またアズヴァルドも『魔法を使う才を持つ人間では無い』にも関わらず、彼は魔術という技術に必須である言葉も文字も一切使わず、彼の中にある情報を一瞬にして極大まで圧縮し、そして距離をまったく無視してあの声の主の記憶に届けたのだ。
魔法は世界を成す理だ。世界の法則の元となるエネルギーは魔力とされており、魔力で構築された様々な法則に則って世界は構築しているという。それはつまり魔法というものを自分なりに解釈し、改ざんできるのならば、世界の法則そのものを無視してあらゆる現象を起こせるということに他ならない。距離も何もかも関係なく、物理法則ですら魔法の支配下にあるといわれ、一時的にでも法則を書き換えるだけでも無限の可能性が秘められている。もはやそれは魔術ではない。まったく別のものであり、未だ確認こそされずとも理論上存在しているといわれ続けた魔法はまさに神々にしか扱えぬものだと言われ続けてきた。彼が行った一連の動作は魔術においてほぼ不可能の領域にあった。己の中の情報を外部に取り出し圧縮し、他者へと届ける。魔術の発動も無しに、情報量がどれだけあろうともはや関係無く、だ。
彼は最期の最期に、わずか髪の毛一本程度だとしても、そこへと辿り着いてみせたのだ。
「――素晴らしい魔術だったよ、アズヴァルド副所長。まさにこれ以上ない奇跡とも呼べる事を、君はまさしく証明してみせた」
マイラは困惑する。何が起こったのかまるで理解ができなかったのだ。アズヴァルドは死ぬ寸前に何かをした、ところまでは分かったものの、魔術の発動を検知できなかったのだ。
しかし突如として現れたその少年は、アズヴァルドが魔術を使ったと断言した。魔術ならば見逃す筈が無い。それに瀕死のアズヴァルドが使う魔術などたかがしれているはずだと高をくくっていたマイラは突如として現れた人物を警戒しつつ、アズヴァルドの死を確認しようとしていたのだが。
「諸君、アズヴァルド副所長の多大なる貢献のおかげで全ての謎は解けた。これより全てを説明しよう!」
そんな大声を出すような人物像には思えなかった少年――第三王子チャールズは隣に騎士団最強の男を並べながら、そして第三王子といえど今となっては実質的に王位継承権最有力候補である彼の発言は、場合によっては王妃よりも上をいくものだった。
王妃はチャールズに視線を向けようとしない。その必要が無いのか、敢えてそうしているのか――
「では母上、発言の許可を頂けますか?」
そんな王妃にもかかわらず、チャールズは気にしてない様子で訊ねる。王妃は一瞥すらくれることなく「発言を許します」とだけ告げる。
「敬愛なる母上に感謝を。それでは真相を語りましょう。ただし一つだけ約束を願います。ボクが話し終えるまで誰一人ここを動かないでください。動いた場合、王国騎士団長のゴドフロワが問答無用で斬り捨てます」
ざわっ、と周囲がどよめく。当然だ。いきなりそんなことを宣言されて動揺しない筈が無い。
マイラとしても彼が何を考えているのか読み切れなかった。
「し、しかし……遺体を移動する時間ぐらいはくれませんか?」
貴族の一人が一歩だけ前に出て発言する。マイラの記憶によればかなりの有力者だったはずだが、正直どうでもよかった。
「許可できかねる。今この場で全て終わらせる必要がある」
どこか全てを人ごとのように話す王子が、今はまさに王族であり王位継承者たる威厳が俄に滲みだしている、そういった雰囲気を纏わせていた。その要因の一つがゴドフロワという騎士団長が隣に立つことであろう。
「まずこの場に皆様が集まった理由からご説明しよう。恐らく全員がグランヴィル卿によって呼ばれている。それは正解かな?」
どよめきが返ってくるのを肯定として受け取り、チャールズは話を続ける。
「よろしい。ではそのグランヴィル卿はなぜこの場を用意したのか、それは娘のマイラ嬢に頼まれたからに他ならない」
「そ、それはそうかもしれませんが、王子、彼女はそれによって父親が殺されておりますぞ。今この場で」
先ほどの貴族が当然の疑問を投げ掛ける。自分の父親が殺されている少女を心配してのことかもしれなかった。もう少し顔を覚えておくべきだったわね、とマイラは密かに心の中だけで告げる。
「そう、全て手のひらで転がったような状況だった。マイラ嬢は今日、あるいは先日にも父親のグランヴィル卿からこのように告げられたはずだ。――グランヴィルの名に誓って嘘は吐いていないか、と」
「……」
「そこで彼女は嘘は言っていないと嘘を言った。グランヴィル家の誓いは絶対だ。これを反故にでもしようものなら娘といえどその場で首をはねられたことだろう。そしてグランヴィル卿は相手の嘘を見抜けぬ御仁ではない。だが、彼女は嘘を貫き通した。これはどういうことだろうか」
――嘘を吐いているのに吐いていない、というなぞなぞような問い掛けである。『そもそも嘘を完璧に見抜ける人間など存在するのか』という返しを何人か思いついてはいたのだが、王子の言葉には妙な力があり、なかなか誰も言い出せずにいる。
言えるとするならばこの場において二人だけだろう。
「父は完璧でした。確かに嘘は見抜きますし、それは間違いないと思います。けれど、その上で私が嘘を吐いていると王子は仰りますのね?」
「マイラ・グランヴィル、もはやこの状況が動かぬ証拠だと気付かないのかい? それとも君はそれすらも承知の上でその発言をしているのか?」
「この場を作り出したのが私である以上、この状況そのものが証拠だと仰りたいのですか? さすがにそれは妄想が過ぎます」
「ああ、それも一つの証拠だ。だが、それだけではない。グランヴィル卿に嘘を吐けた理由が君の特異性にあると確信している。まず第二王子エドアルドの【殺害事件】に関してだが――」
ざわり、と周囲がざわめき立ち、しかし王妃は一切の表情を変えぬまま第三王子の言葉を待つ。
「彼はボク達兄弟の中でもっとも野生の勘、というか、正確には人の機微に対して敏感でした。その人の発する僅かな違和感、動きを決して見逃さない目を持っていた。だからこそ独自調査を行うという大胆さと、自分ならば解決できるという自負があったのでしょう。だが、その自負は彼女にとって只の油断に過ぎなかった」
「油断……」
マイラが繰り返すように呟く。その単語に思うところがあるのか、彼女は僅かに眉を寄せたが、それ以上表情は変えない。それを確認したチャールズはゴドフロワに指で指示を出し、彼は油断なく全方位を警戒し始めたところで、王子は一同を見回した。――何事も起きないことに安堵したい気持ちもあるが、彼は全てを押し殺し、今この場において必要な言葉を紡いでいく。
「彼女は殺意無く人を殺す」




