マイラ・グランヴィルは破局を迎える2
全てを吐き出したが、その音が王妃に――この場にいる誰にも伝わることは無かった。
ただ一人を除いて、だが。
マイラは僅かな魔術を事前に発動し、そしてスイッチを入れるかのようにその効果を発揮させていた。魔術という技術はいかようにも応用が利くというのはかつてこの国一の魔術師である先生から習ったことだが、実際にそうなのだからマイラにとってこれほど都合が良いこともない。
魔術の発動は関知されるというのは、この国――いや、この世界において常識でもある。そもそも犯罪行為に及ばない魔術の使用は生活基準を高める為にも必須であり、それ自体に罪は無い。だから普段はそんなことを気にする必要などないのだが、今この場においてマイラだけは最大限そのことに気を遣っていた。そして『魔術の使用が伝わる』というのは魔術の波紋として探知されるということを前提をすれば、そもそもその波を発生と同時に消してしまうだけで誰にも魔術を探知されない、ということにならないかと気付いたのは、実を言うとそれなりに以前のことだった。
(これに気付かせてくれたのはアズヴァルト様、あなた自身よ。『あの時私の魔力紋を探ろうとしなければ』こんなこと考えもしなかったというのに)
城内の魔力探知魔術をも欺き、彼女は決して聞こえない囁きで魔術を発動する。唇すら動かさず、腹話術の要領で音だけを発していた。魔術というものを理解すればするほど幾らでも応用が可能なのだが、それはこの世界の住人が決してしようとしない方法をも実現可能だということであり、魔術が存在しない世界だからこそ発達した技術と知恵の悪さを融合させた時こそその本領を発揮するのだと、マイラはほぼ確信しながら魔術を使用する。口を動かさず子を出し魔力を魔術という形で具現化する行為、これは前世では感じ得なかった快感にも似た何かだ。
そしてその魔術において天才に類するだろう彼は、ただただ何もできずに愚かにも口だけを動かしている。
「……!」
アズヴァルドの瞳が殺意に満ちる。気付いているのだ。これらは全てマイラ・グランヴィルの罠だということを。
(いい、いいわ。その目よ。感情を昂ぶらせるのよ。私を殺したいと、心から憎みなさい。憎んで憎んで、それが噴出する寸前で言いたいことがあるの)
喉の奥で音を鳴らし、さらに魔術を発動させる。僅かな音は周囲へと広がることはなく、まるで透明の管を通るかのように一カ所に向けて空気を振動させていく。音の終点は彼の、アズヴァルドの耳元だ。最後の希望である王妃への懇願も、訴えも為せずに腸が溶けて萌えだしそうなほどに怒り狂っている彼に囁く言葉は一つだけでいい。それだけでいいのだ。まるで愛しの人へ愛を囁くように、マイラはただそれだけを彼へ語りかける。
「凡人ね」
この程度の魔術にも気付かないとは。この程度の策略すら自力ではどうしようもないとは。凡夫で凡愚。天才と持て囃され、愚かにもその才能を貶めてしまった恥ずべき男。――その全ての意味を込めて、ただ一言だけを伝えた。全部が伝わったかは不明だが、それでも彼を侮辱するには十分過ぎる言葉だった。
アズヴァルトはマイラが魔術を使ったことすら気付いていなかったが、その声が耳に届いた時、その顔は強張り、周囲を見回し、貴族達がその奇妙な行動にざわめいた瞬間、彼はマイラと目が合った。
――マイラは薄らと嗤っていた。
「――殺す!」
その叫びは、どちらかといえば静寂だった王宮内において強く響き渡り、そして誰もが耳を疑いながらもある一つの事実に強く結びつけてしまうことになる。
「マイラ・グランヴィルぅー!」
アズヴァルトが名前を叫ぶと同時に複数の魔術が展開する。複雑かつ高度な魔術を同時に扱うことが出来る人間は彼以外に存在せず、魔術の解読が可能な者はその凄まじい才覚に恐れ戦き、あるいは逃げようとし、あるいは王妃を護る為に駆け出していた。
マイラは動かない。ここで反応してはならないと自制し、自らを意識的に金縛り状態とすることで無力な少女を演じる。この場にいる兵士達はほぼ全員が精鋭であり、敵意が誰に向いているのか、その者の視線や仕草、言葉で誰よりも早く察知する。つまりアズヴァルドがマイラを殺そうと魔術を発動する頃には二、三人の兵士がマイラを守るべく動いていた。
「お下がりを!」
兵士一人一人の練度が高いとはいえ、相手はあの王宮魔術研究所の歴史において最高の天才という称号を持つ男を前にしてはその優位性も発揮できず、殺されこそしなかったものの彼の放つ雷撃の魔術が直撃し、立ち上がることさえ不可能なほどの重傷を負う。刹那の出来事とはいえ、アズヴァルドは兵士達に目を向け、マイラから視線を逸らしてしまうことになる。幼い頃から剣術の訓練をしてきたマイラはその瞬間を見逃さず魔術を唱えて発動する。魔術構成は最小限にして周囲に悟られないように、かつ最も効果的なものを選ぶだけでいい。肉体強化によって駆け出そうと踏み出したアズヴァルトの足下が、一瞬だけ『沈み』、つま先を引っかけた彼は強化した速度そのままに地面を転がっていく。
「がっ……はっ……!」
彼の魔力に肉体強化はその才能そのままに素晴らしく、そして凄まじい。本気になった彼の速度に追いつけるとしたら、それこそ無くなった第二王子エドアルドか騎士団長、この場ではグランヴィル当主であるマイラの父親ぐらいだろう。それでも着いて行くのがやっとといった所だ。常人ではその目に捉えることすらままならず、彼がその気になれば真正面から殺されたことを自覚させないまま殺戮が行える、それだけの神速を誇るだろう。
(けど、結局はそれだけのこと)
そろそろ当たりぐらいはつけているものだろうと踏んでいたのだが、そのマイラの予測は外れたようだ。
(そこまで考えが及ばないぐらい追い込まれていたみたいね)
喋ることも封じ、今この場で行ったことはもはや弁明ができるものではない。そしてここからが正念場だ。この男は牢屋に入れず『ここで殺す必要がある』と彼女は考えている。今この好機を逃す手は無い。もし時間を与えてしまえば、これまでの行動を思い起こし、恐らくマイラの魔術を頭の中だけで解析し、そして対策を練ってしまう畏れがある。解読したところでマイラが辿り着いた自身の魔術における深奥には到底理解が及ばないだろうが、それでもある程度対策をされてしまうというのが問題なのだ。
(だからここで殺す)
ここまでやったのだ。すでにお膳立てはできている。
「――この男はフィリップ……フィリップス殿下を殺した真犯人……!」
思い切り顔を歪める。唇を噛む。血が出るほどにだ。そうすることで迫真の演技となるに違いない。足下で動けずにいる兵士から剣を抜き取り、無様にも地面を転がって意識が混濁しているアズヴァルドへ近寄っていく。
「待て、マイラ」
父親が止めてくるのを、彼女は首を横に振って拒否する。
「この手で決着を付けねば気持ちの整理がつきません。彼を殺したあの者を許せる訳がないのです」
「ならば私がやろう。お前の手を汚すことはまかりならん」
「いいえ! 私がッ!」
そして駆け出す。魔力操作を行わずに、ドレス姿で走っているのだ。足がもつれてまともに走れたものではない。それだけ時間がかかるということは、つまりアズヴァルドもまた回復する隙ができ、剣を持ってトドメを刺しに来る憎き令嬢を殺そうと魔術を発動しようとする。
「マイラ!」
だからこそこの場において最も素早く動ける者が、我が娘を庇う為に行動を起こすのだ。
「死ね! マイラぁッ!」
アズヴァルドはもはや自ら駆け寄ってくるマイラしか見えていない・彼の中において今優先すべきはマイラという女を殺すことだ。怒りも憎しみも、穢された誇りも今までの人生も、その全てを棄ててマイラを殺すことしか頭にない。故に、間に入ってくるグランヴィル本人にはまるで気付かなかったとしても、それは仕方無いというものだろう。
「――お父様!」
アズヴァルドからすればなんと白々しい叫び声だっただろう――周囲の貴族達からすると悲痛にも似た貴族令嬢の悲鳴を余所に、天才魔術師の放つ氷の槍をグランヴィルは剣先で逸らし、そして返す刃でアズヴァルドの脳天を狙う。剣で頭を狙ってもその頭蓋骨によって滑ってしまうが、恐らく狙いは剣という『鈍器』による昏倒を狙っているのだろう。対魔術師戦において重要なのは魔術をいかに使わせないかだが、こうも接近し、前屈みになっているアズヴァルドの喉を狙うのは現実的ではない。ならば狙いやすい箇所による一撃必殺とはいかずとも致命傷を狙う。
娘を守るグランヴィルの剣は傍で観ていたマイラですら目で追うのがやっとの速度であり、接近戦で彼が娘を斬る覚悟を決めてきたのなら、恐らくまともに太刀打ちできはしないだろうとさえ予感させた。
刃を避けることは無理と判断したアズヴァルドは強化した肉体の速度と拳の重さを利用し、後は即座に計算した剣の軌道に向けて右拳を叩き付ける。剣の腹を叩かれたグランヴィルの剣筋は彼の頭蓋骨を割ることはなく、僅かにその左肩をかすっただけだった。
「炎よ!」
「ふっ!」
裂帛の気合いを呼吸と共に鋭く吐き、アズヴァルドの発した魔術を上段から切り裂いてみせた。そんなことがあるのか、と一瞬驚いたもののアズヴァルドはすかさず次の手を打つ。邪魔をしてくるグランヴィルは確かに脅威ではあるが、今この場においてそれは重要ではない。
「炎よ――」
マイラは炎を躱そうと、横へと滑るように移動する。彼女がいかな魔術を使おうとしたところで真正面から彼の攻撃魔術を受け止める術は無いということだろう。とはいえ多少移動したところで大した差ではない。最小最短で魔術構成を構築したアズヴァルドは、それでも常人が扱う威力より数段高い魔術を解き放つ。彼の両手から巨大な炎が生まれ、目の前に居れば数人ぐらいなら完全に焼き尽くしてしまいそうだった。
「マイラ!」
だが。
炎がマイラを焼き尽くす前に、父親が立ち塞がった。その間にも魔術を発動し炎の威力を軽減しているらしいが、やはり魔術においてアズヴァルドを超えることは難しい。凄まじい炎の奔流が王宮内で暴れ狂い、両手を開いて不動を貫くグランヴィルの命を確実に奪い去っていく。
「がっ……」
がくん、と膝を突く。即死をしないだけでも奇跡に近く、彼の鎧の下は轟熱によって皮膚が焼き爛れてしまっているだろう。
「お父様!」
マイラは叫びながら魔術を唱える。
まだ熱波の余韻で誰もが目を逸らしている中、そのほんの刹那で十分だった。グランヴィルの握っていた剣がひとりでに動き、アズヴァルドの腹を貫く。
「……マ、イラ……ッ!」
グランヴィルは目を見開き、灼けた身体すら忘れたかのように我が娘を見上げ、それから手を伸ばそうとする。
「お父様……! 安心してください! この王宮の医療魔術は優秀です! 必ずや癒してくださいます!」
その言葉が届いたのかどうかは、恐らくグランヴィル本人にしか分からないだろう。彼は彼女の言葉が終わると同時に、どうしようもないと首を振って目を閉じた。まるでもうこの世の全てを瞳へ写すに値しないかのように、静かにゆっくりと、視界を闇に落とす。
――父親は脅威では無くなったと確信したマイラは、次にアズヴァルドをじっと見つめて確認する。




