マイラ・グランヴィルは破局を迎える1
――何故そこにいるのだ、マイラ・グランヴィル!
喉が引き攣るような痛みを覚えて、アズヴァルドは運良く大声を出さずに済んだ。ここで声を荒らげることは簡単だが、今の城内は彼にとってアウェーでもある。見つかれば即座に掴まり、やっていない罪状を問答無用にふっかけられ、下手をすればその場で打ち首になりかねない。
チャールズ王子に全てを打ち明けてからでなければ先に勧めない状況下で、まさか誰もいない王城の廊下で偶然マイラ・グランヴィルと出会うとは、酷く運が悪い。
(……偶然? いや、違うな)
この時をまるで狙っていたかのようではないか。
それが可能かを考える時間は無い。むしろそこではなく、彼女がどうしてこのタイミングでここへやってきたのか、その真意を探るほうがよほど重要だ。何しろつい先日彼女によって容疑者として仕立て上げられてしまったという痛い目を見たばかりであり、それらから考慮するにまず可能性として挙げることができるのは『アズヴァルドの容疑を今度こそ確固たるものにする』『この場で処刑してもらうための策略がある』といったところだろうか。
(あるいは……)
何にしろマイラに何かを喋らせるというのは悪手でしかない。こちらから口を開けば第三者が自分の姿を認識できるようになるだろうが、それでも敢えて危険な方を選ぶほうが良いと判断を下す。
「何故ここに? いえ、一人で来たわけではありませんね。そこらに兵士や聖女がいるのでしょう?」
「あら、そこにいたのですね」
「……?」
いきなり話が噛み合わない――
「声を発してくれたから、やっと認識できましたわ」
「なっ……」
――何を言っているッ?
もしそれが事実だというのなら、マイラは当てずっぽうや勘などと言った曖昧な動機でここまで来たというのか!
(兵士の懐柔は済んでいると考えれば部屋を出ること自体は問題無いだろう。だが!)
今のところマイラ・グランヴィルしかいない。たった一人だ。
(何故一人で? いや、彼女は一対一になった時こそその本性を発揮する可能性がある……逆に言えばこの状況こそ彼女にとって最高のシチュエーションというわけか。舐められたものだ……!)
確かに彼女の力は未だ未知数であるものの、アズヴァルドにとって護衛の兵士がいないということは足かせになる存在がいないということと同義である。多少魔術の威力に変化が起ころうとも、マイラ相手にそれを危惧する必要はない。
「わざわざ私をお出迎えに? 殊勝なことですね」
「これでも淑女です。当然ですわ」
「そうですか……暴虐の嵐よ!」
ほぼ詠唱無しの魔術を解き放つ。マイラを『殺せればいい』というだけの暴力性のみを極めた強烈な烈風が城内で荒れ狂う。魔術というのは己の魔力を利用して現象を起こす技術のことだが、ほぼ立っているのも難しい暴風を一瞬にして室内で産み出すことができるのは、世界広しといえどアズヴァルドのみであろう。
絶対にマイラが避けることができない魔術を瞬時に選択したつもりだった。
逃げ場のない暴風、如何に手を尽くそうと――何かを企んでいようと、こちらを殺そうとしていようと、単身で姿を見せたのならば当然こうなるだろうと、アズヴァルトは彼女の死を確信する。本当は己の無実を証明しようと動いていたのだが、事ここに至っての優先順位は彼女を殺すことである。それ以外は――
「な、なんだ!」
「とんでもない魔術だ……!」
「きゃあぁぁぁ!」
「衛兵! 魔術の対消滅を!」
「王妃、奥へ――」
――何の声だ。
誰の声だ。誰かがいるのか。誰も姿も見えないというのに!
「あら、そろそろですね」
――マイラがそう囁くのが聞こえた。この暴風の中で、何故かマイラの声だけが耳に届いてきたのだ。
パリン、と世界が『割れた』ように見えた。
実際割れていた。ただそれは世界などという抽象的なものではなく、大量のガラスであった。
(……ガラス?)
微かな魔力の残滓をガラスの破片から感じ取ったアズヴァルドは、瞬時に何が起きたのかを察する。大量に散らばるガラス片の滝が落ち終わる頃、そこに現れた人達の姿に愕然とする。
――兵士が、貴族が、そこにいた。
その内の何名かが傷を負っている。幾人の貴族や兵士に貴賎なく平等に傷を負わせたのは一体誰だ。
(わ、私だ。なんてことだ、マイラ・グランヴィルはこれを狙っていた……!)
容疑を晴らす、マイラ・グランヴィルを殺す、その両方がたった今果たせなくなったのだ。ちらりと横目で見遣ると、厳しい顔の王妃までそこにいる。マイラの背後にはグランヴィル卿が待機しており、いや、件の柄を握り、殺意を向けてきている。
「動くことは許しません、グランヴィル卿」
王妃の言葉によって彼は動かないでいるようだが、それさえなければその剣はとっくに自分の首を刎ねているか、あるいは彼を返り討ちにしているだろう。どちらにしろ互いに無傷ということはあり得ない。
グランヴィルが自分の娘の言葉を信じたのか、あるいはそれすらも彼の作戦なのか、あるいは両方とも疑った上で今はアズヴァルドに敵意を向けているだけなのか。
「――やはりアズヴァルド副所長が」
「そんな、どうして……信じていたのに……」
「優秀な男だったんだが、まさか国家転覆を狙っていたとはな……」
――どこまで話を膨らませているんです!
尾ひれが付くにも程がある。
(だけど、状況は最悪か。これを説得できるか……? この状況であの部屋のことを話して信じてもらえるとは思えない。いや、思わせるには状況がまずい。迂闊に真実を話してマイラがそれを嘘だと断定し、こちらの発言が虚言とされることが一番やってはならないことだ……!)
切り札はただ一つだけだ。そのたった一つを迂闊に切ることは許されない。だからこそ状況を変化させうるきっかけを見逃さないように全神経を使って状況を把握する。――もっともこの場で状況を変えうる人物がいるとすれば、恐らく一人だけとなるが。
「皆の者、静かに」
その唯一の人間――つまり王妃が場を静める。たった一言で陰謀や腹黒い貴族達も含めて周囲は誰も彼もが口を閉じ、王妃が次の言葉を放つのをただ待つのだ。王よりも威厳がある、という噂が以前よりまことしやかに流れていたものだが、案外間違っていないのかもしれない。
「アズヴァルト卿、一つ質問を」
「……はい、王妃殿下」
「我が子を殺した者は、卿ですか?」
「いえ」
すぐに否定する。一切の虚偽は許されないこの状況において、アズヴァルドは彼女に真実を語る以外に許される術はない。
「私ではありません。それが真実です」
「そうですか。ならば、その身の潔白を訴えるだけでしょう。何故逃げるのです?」
「この訴えが届かず処刑される、そう確信を得ていたからに他にありません。私は生き残り、必ずや事件の全貌を暴くことにしていたのです」
「アズヴァルト卿、何か真実を掴んでいると?」
「それは」
マイラを一瞥する。彼女は表情を一切変えずに自分へと視線を向けている。ここで全てを語るべきかと逡巡するも、王妃を前に下手な隠し事はできないだろう。彼女の威圧感は決してそれを許すことはない。
(だが、彼女の前で告げるのは正解か?)
わざわざこのような場を用意したのだから、マイラ・グランヴィルなりに企みがあるのだろう。そもそもこの様な真似を企んだのはマイラ・グランヴィルなのだろうか。もし彼女だとしたら軟禁状態からどうやって王妃まで引っ張り出すような仕掛けを用意したのだろうか。
(恐らくここで私を確実に仕留めるつもりなのだろう。彼女の魔術の正体は未だに不明だ。先日の事件が起こる前ならおよそどの様な場であろうと私の一言で彼女を逮捕できたろうが……)
今や貴族達、そして兵士達の疑いの目は完全にアズヴァルドへと向けられている。王宮魔術研究所の副所長としての権限や発言力は一切存在しないと思っていいだろう。彼ら全員が自分を糾弾してこないのは、あくまでも王妃がそれを抑え込んでいるからに過ぎない。そのたかが外れてしまえば暴力的なまでの罵詈雑言が自分の身体を、脳を、何重にも貫いていくことだろう。
「どうしましたか、卿。何を黙る必要があります? 真実があるというのなら、それを語るだけでよい。至極簡単なことでしょう?」
迷う。王妃に全てを告げて信じてくれれば良し。だが何かしらのアクシデントでそうならなかった場合、恐らく立場はより最悪な状態となり得る。
「それとも私が真実の言葉を聞き取れぬ、そう申すつもりですか?」
「――ッ!」
そうだ、目の前にいるのはこの国を統べる王の妃である。何を躊躇う必要があるのか。この方を信じずに誰を信じろと。チャールズ王子よりもまずはこの王妃であろう。順番を間違えるな。この方は聡明な方だ。必ずやこの言葉は通じるに違いない。
「王妃様、私は ! !」
――?
なんだ、と異変に気付いたが、それを口に出すことはできなかった。
(いや、できている! 言葉は出ている! だが何かがおかしい!)
口からはっきりと音が出ているはずだ。それなのにまるで目の前でかき消されているような感覚に陥る。文字通り言葉が相手に届かない。
「どうしたのです、アズヴァルト卿。口を開くばかりで、何も言わないのですか?」
――違います、王妃よ!
――私は見た! あの地下室で! 何十人という魔力の残滓をこの目で見た! あの者達はあの地下で殺され、そして存在を抹消されたのだ! その者達同士を殺し合わせたか、あるいは誰かが一方的に殺したのか! そうでなければ生まれない憎悪がそこにあった! この国の住民は数年前、密かに数十名、下手をすれば数百名も殺されていたのだ!
そしてそれを指示し、実際に殺したと思われる人物はたった一人だ!
それが『マイラ・グランヴィル』だ!




