マイラ・グランヴィルのノブレスオブリージュ5
アズヴァルドは焼却場から離れて裏路地に身を潜めながら王城に向かっていた。魔術でリチャード王子と連絡を取りたいところだが、それほどの遠距離魔術を行使すれば確実に王城内の魔術師に探知されてしまうだろう。またそれは自分の居場所を教えていることになり、今の追われている身であるアズヴァルドにとって完全な悪手となる。
しかし、とアズヴァルドは城の中へ戻ることを諦めていない。自分の得た情報はあまりにも自分達にとって都合が良いものだからだ。しかし、今のアズヴァルドが証言したところで話を聞いてくれるかどうかは正直五分五分といったところで、確実性に欠く。その為にはどうしても第三王子の立場が必要だった。
しかし、その為にはどうしても城内に戻る必要がある。本来なら戻る手はずを用意してから出るというのが定石だったが、正直に言うとあの時のアズヴァルドは冷静を欠いており、また迂闊に王子の機嫌を損ねることをよしとしなかった。いつもなら気にせず言いたいことを言うのがアズヴァルドという人間であるが、やはり立場と身分を弁えている。
「さて、どうしたものかな……」
事前に王子からは城壁までなんとか辿り着くようには言われているものの、そこまで近付くことすら困難な状況だ。今は城下町にいるからいいものの、王城へ近付けば近付くほど見回りをする兵の数も増えるだろうし、城壁となればなおさらだ。
(最近は隣国との状況も悪化している。城へ近付くなら裏手の森の中が一番だが、セイロの一件以来そちらの警護もかなり厚い。音を消せば忍び込めないこともないだろうが……)
迂闊なことをすれば協力関係にあるリチャードの信頼をも損ねるだろう。恐らくこれはアズヴァルドという人間が本当に手を組むだけの価値があるのかどうか、その品定めの意味も込められている。少なくとも先日の会話においてはリチャードの探るような口調が心に引っ掛かっていた。
自力であの王城の奥深くまで戻る必要がある。
(兵士達に見つからず……か。……見つからず?)
これはある状況にある意味似ているような気がしてくる。そう、ある状況とはマイラ・グランヴィルの置かれている立場がまさにそうではないか。軟禁状態、しかも部屋を出る時は兵士を必ず一名以上付ける必要があり、常に監視状態に置かれている一人の少女。アズヴァルドとリチャードは彼女が連続殺人の犯人として事を進めているが、冷静になればなるほどどうやって彼女がここまで連続して人を殺せたのか、という謎が露わになる。いや、最初からそれは当然の疑問だった。だからこそ彼女の手法と、そしてそれを成しただろう彼女特有の魔術を暴く必要があるのだ。
その原因の一端はアズヴァルドが直に確認した、焼却場の地下にあった部屋だろう。
(――思い出すだけで吐き気がする)
あの部屋は、あの悍ましき部屋に残っていた魔力の残滓は、恐らくアズヴァルドでなければ決して判明しなかっただろう、その魔力に残された無念や怒り、畏れは。
(何人……一体、あそこで何人もの人間が……!)
あんな地下の何でも無い部屋で行われていたであろう史上最悪の事態を、推論も込みだが必ずやリチャードに伝える必要があった。恐らくこれはまだリチャードも知らないことだ。だからこそ知る必要がある。
「いや、まずは城の中へ入る方法だ。いくつか魔術を構成しておく必要がある。それらを維持しながらあの中へ……か」
必要な魔術は足音の消失、空気の流れを抑える魔術、光の屈折を操り一見透明に見える魔術、魔術使用時に発生する魔力の波紋を制御し探知を避ける魔術等々、徹底した隠蔽魔術を唱える。通常同時に唱えられる魔術というのはかなりの上達者であっても二個同時が限界だとされているが、アズヴァルドはその才もあってか、六個同時の発動を可能とする。彼が魔術戦闘においてまず負けることはないという理由はまさにここにあった。同時並列情報処理能力は当然ながら、それを支える膨大な魔力を有している。
(それでも完璧ではない)
アズヴァルドと同レベルの魔術師なら当然、一定以上の魔術師が近くを通ればすぐさま感知されてしまうだろう。可能ならば他の手を使いたいところだが、しかし十全に警護を固めている城の中を忍び込むだけでもかなりの危険を伴うのだ。実質的に他に手が無いといっていいだろう。
城の中に忍び込むために城壁を飛び越える。肉体強化と体重を変化させる魔術さえあれば堆い城壁といえどそれも可能だ。もちろん気付かせないために幾重にも魔術を同時に行使する必要があるものの、アズヴァルド一人だけならなんとか超えることも可能だった。
(侵入者一人に気付かないのは問題ですね)
魔術は個人の才能によって使用範囲等の振れ幅が大きく変わる。だからといって当番制である城壁の警護体制を個人の才能が左右するのは好ましくない。今抱えている問題を解決し次第、アズヴァルドはここの改良案を提出することを密かに誓う。
(ふふ、やはり私はそういうことをするのが存外好きなようだ)
そして城壁の上から城の中へ入ろうとしたところで、ふとアズヴァルドは顔をそこへと向けた。
――マイラ・グランヴィルが軟禁されている部屋の窓だ。
そこからその姿が見える。
赤紫色の長い髪、鋭い眼、彼女もまた窓からこちらを姿を見たのか、あるいは偶然か、アズヴァルドは憎むべきその少女と目が合ったような気がした。
(さすがにあり得ない。こちらは何重にも魔術を行使している。彼女がもし類い希なる才能を持っていたとしても、この距離で気付く訳がない)
だからただの偶然だ。それにここからその部屋を覗いたとしても、距離がありすぎて彼女の視線がどこにあるかはハッキリとしない。だからただの偶然だ。喩え窓際の少女が一切動かなかったように見えたとしても、それは――
城の庭に降り立ち、アズヴァルドは音もさせず――魔術で音をかき消して城内へと侵入していく。さすがに勝手知ったる城内だからこそ、上手く見つからずに進むことができた。
(この廊下は……誰もいないか)
その廊下を進みながら、思うことは一つ。
チャールズ王子にあの部屋の秘密を伝えたとして、果たして全て丸く収まるかどうかだ。チャールズ王子が自分を値踏みしているというのなら、やはり話すだけではなく有意義な提案が必要となるだろう。チャールズ王子に利があり、また己にも得があると言える提案こそが最良である。
(……王城に入ったからか、緊張感はあるがようやく他のことにも頭が回せるようになってきた。まさか落ち着いているというのか、私は)
この城には最悪な犯罪者がおり、その濡れ衣が自分に降りかかっているというのに、その上で安堵するなどもはや正気の沙汰ではないと自分を振り返る。
(『あの部屋』を見たせいで私もおかしくなってしまったのかもしれない……)
誰も居ない王城というのも、それはそれで少し不気味さもある。だが翻ってそれはアズヴァルドにとっても都合が良い。自分自身の足音は消しているが、他者の足音や物音が耳に届きやすいということであり、すかさず警戒に移行することも可能となるからだ。
それにアズヴァルドは周囲から『ほぼ姿を消している』のと同然だ。
「ごきげんよう」
だから、そう声を掛けられたとしても、すぐには脳が理解しなかった。
どうして。
彼女が。
進むべき先で。
「それとも、お帰りなさいませ、というのが正しいかしら」
――マイラ・グランヴィルが誰も居ない王城内で、薄らと笑みを浮かべて待っているというのか。




