マイラ・グランヴィルは破局を迎える4
「彼女は殺意無く人を殺す」
またもざわめきが起こる。
「殺意なく……?」
「殺すから、そこに殺意があるのではないか?」
貴族らしい、頭の回る頓智の効いた返しだ。殺意とは殺す意思なのだと。意思が無ければ人を殺すことはないのだと。
「感覚的には、そう、例えば道ばたの石を投げるとき――いやそれは貴族社会には合わないか。そう、子羊の肉を食べるときに殺意を持つかな? あるいは歌う時は? 曲を聴く時は? 召使いに命令する時は?」
「さ、さすがにそれとこれとは」
「それとこれと同じにしたのだと考えていただきたい」
「……」
益々困惑が広がっていく。
王子は何を言いたいのか。殺意無く人を殺すというのなら、それはもはや人ではない。その精神性は、既に――
「違います」
しかし、誰もがある結論に辿り着こうとしていたのを止めたのも、またチャールズ王子だった。
「彼女はどうしようもなく人間だ。人間だからこそ自分をそうなるように幼き頃からあることを実行していたはずだ。ある地下室で、それこそ人間の所業とは思えないことを。それを今ここで暴こうではないか」
「チャールズ王子」
マイラは、まるで鷹揚の無い平坦な声色で名を呼ぶ。
「人を犯罪者扱いするのならば、相応の証拠が必要となります。王子はそれをお持ちなのでしょうか」
「それを君が言うとは、ボクの失笑を買おうとでも?」
「いいえ、至極当然の要求です」
「――分かった。もしボクの言葉でこの場に居る者達が納得しなければ、ボクは君の無罪放免を言い渡そう。さらに軟禁状態を解除し、久しく戻っていなかったグランヴィル家へと戻るがいい」
「承知致しましたわ」
まるで顔色を変えないマイラから目を離さず、チャールズは少しだけ思案した後に口を開いた。
「まず、この国の問題となるのだが、彼女は五年ほど前にある場所へ通い、あることを行っていた。場所はあるゴミ焼却場、そこの地下室だ」
ゴミ処理場の地下室?
貴族の一人が疑問を浮かべるように、王子へと問いかける。王子は小さく頷く素振りを見せてから、足下を指差した。
「ゴミ焼却場はかつて不法移民や国民の資格が無い者達の溜まり場を排除して設置したものだ。政策には国外からの来訪者に対するこの首都の清浄化もあるが、不法時されるゴミを数カ所に集め焼却することによる政策も含まれているが、問題はそれらの民がいた場所の建造物を何も考えず潰し、焼却可能な広場としたことにある」
「……つまり王子は、当時の政策について焼却場の下調べをきちんと行っていなかった、ということを言いたいのですか?」
「さすがだ。これだけの事でそこに気付くとは」
そう言っておけば、この場にいる貴族は自らの発言が王子に通じると感じ入るだろうことを利用したチャールズの発言だった。実際、貴族達の目の色が俄に変わり出す。チャールズの言葉もあながち嘘ではない。陰謀渦巻く政略の中を生き残ってきた者達が愚鈍な筈が無いのだ。この場に来ることが出来なかった者達ならばいざ知らず、王妃の謁見を賜った者達は少なからず腹に芸を仕込んでいるからこそ、ここに立つことを許されている。
だからこそこれから語ることは、少なからず彼らの心に動揺を誘うだろう。彼らの理解力が、彼らの想像力こそが、チャールズの話す真実をまるで悪夢のように浮かび上がらせることになるのだ。
「定期的に火炎魔術による焼却を行う場所には、地下室があった。これは騎士団長ゴドフロワにも確認を取ってある。しかし地下自体は誰にも知られることがなく、恐らく二度と開かれることもなかったであろう場所を、彼女は何故か知っていた。いや、恐らくその頭脳はこう推測したのかもしれない。国のずさんな調査では見つけていない場所があるに違いない、と。そしてそれは事実であり、地下室はあった。――誰にも見つからない場所が、この首都の中に、堂々と」
この広い首都であれば、いくら国の力があろうと目の届かない場所は必ず出てくる。
「そしてそこを追い出された民は、別に国外追放されたわけではない。だが特例の対応もされていない。首都の、しかも国外の人間が決して立ち寄ることの無い場所に追いやられただけだ。国の魔力紋登録も無く、文字も書けない者達が、まるで最初から居ないモノとして」
これはこの国の暗部でもある。誰もが自覚し、それを知りながら、対応をせねばならぬと分かっていながらも、数の多さと現状においての実害の無さ、そして対処するには大量の人間を何処かへ移動させ、新しく土地を用意する必要がある。年間の予算は隣国との関係悪化により軍備にほぼ割かれている今、そちらへの対処はどうしても後手となってしまう。
「それらの人間が減っても、まずは気付かない。これが重要だった。そして五年前という時期もまた重要だった。この時期であるからこそ、人々の関心はそれらの民に向かなかったといってもいい」
――五年前。
一体何があったのか、貴族なら考えるまでもなかった。
「義賊の襲撃事件……」
「そう。国民は義賊による犯行に沸いていたといってもいいだろう。義賊による貴族殺し。さらに市民も犠牲になったのだ。単独によるテロ行為としてあまりにも大きな事件だった。だからこそ人が数人、数十人消えたところで誰も不審に思わなかった」
「……まさか」
誰かが小さく呟いた。他の貴族はまだ気付いていないようだが、ほんの一部、恐ろしい事実に辿り着いた者がいるらしい。だがそれはあくまでも一端であり、全貌には程遠い想像だろう。あるいは想像した当人は妄想だと信じ込みたかったかもしれない。
それだげ、残酷で、恐ろしい、悲劇。
一人の少女が起こした凄惨なる過去。
「人権の無い者ならば、消えても調査はされない。国がまともに事件として扱わない。だからこそ行えたのだ。そうだろう、マイラ・グランヴィル?」
「……」
マイラは口を閉じていた。
この後に告げられる彼の言葉を望んで待つかのように。だがそうではないのだろう。彼女は何も言えなかったのかもしれない。口答えしようにも、下手に口を出せばそこを突かれる可能性が高いからだ。何しろマイラは一度彼にやり込められている。その苦い思い出が彼女に迂闊な行動を取らせないようにしていた。――それが正解かどうかはさておき、だ。
「一度に複数名か、あるいは単体で行ったのかは不明だが、彼女は焼却場の地下にそういう人間を連れて行き、確実に殺していった。これはあのアズヴァルド副所長が暴いた真実だ。ボクは彼の残した記憶と意思を最大限に尊重する。マイラ、君は証拠が必要だと言ったな? ならば用意しよう。今からボクの言う場所に兵を向かわせる。そこの調査次第によって、君は極刑となるだろう」
「――つまり、今は何の証拠も無しに私を糾弾している、と王子は仰るのですね?」
「いいや、まだあるよ。もっと根本的な証拠が。君自身にだ」
「私に証拠?」
「ゴドフロワ」
彼はその名を告げるだけで、騎士長という地位にある男が懐から短剣を抜き出しマイラへと投げ付ける。その動きに一切の淀みはなく、所作そのものが美しく感じられた。
しかしそれだけ無駄の無く洗練された動きであろうとも、恐らくゴドフロワは本気で投げてはいないのだろう。あくまでもマイラが短剣を認識し、最短で対処方を思い浮かぶ程度には余裕があった。とはいえ常人では避けることも叶わず胸を刺し貫いていたことだろう。
完全に虚を突かれた。まさか王子がこんな直接的な手を取ってくるとは思ってもいなかったのだ。確実に罠だと知っていながら、この肉体にあのナイフが刺さるのだけは避けなければならない。
一瞬だが、マイラはそれでも可能な限り思考を回す。これは罠だ。分かっている。けれど今から身体を動かして避けきることが可能か。否だ。ではどうすればいい。一つしかない。今できることはコレしかない。罠だと、唯一にして絶対に知られてはならないコレしかないのだ。
「止まれ!」
鋭く、しかしそれは確実に彼女が『唱えた魔術』であった。
容赦なく空気を裂き突き進んでいたナイフが見えない手に掴まれたかのように空中で止まる。誰もがそれを観ていた。誰もがそれを『観察』した。
「マイラ様が……」
「マイラ嬢が……」
――魔術を使った。




