マイラ・グランヴィルは推理する6
廊下には誰もいない。
警備の兵士一人すらいないのは不用心にも程があると思ったが、そのひっそりとしつつも金属で組み立てられ表面を木製でこしらえた扉の先にいる人物を思えば、むしろ一般兵の警護は余計なだけだろう。そこにいる男はそれほどまでの実力者であり、実質的にこの王国最強と讃えてもなんらおかしくはなく、過言でもない。
――王国騎士団長ゴドフロワ。
もし本気で彼と戦うことになれば、果たして魔術が如何程通じるかが重要になるだろう。騎士団長ともなる人間が魔術師相手の経験値が不足していると考えるのは甘すぎる。むしろ魔術師との戦闘では専門家という認識で対峙する必要があった。その上で頑強な肉体と特殊な装甲を施した鎧は生半可な攻撃魔術を弾き、そして彼の持つ剣は一般兵の剣よりも数倍重く密度があり、武器破壊すら容易ではないどころか、その剣に狙われて生き残った者はいないとすら言われている。
もちろん彼自身も魔術を扱う。あくまでも自身が尤も得意とする剣術の補佐がメインだが、いざとなれば攻撃魔術も防御魔術も使い熟すという。まったくもって王国最強といったものではないか。戦う気はまったくないが、そういう男のいる部屋に入ろうとしているのだから多少気が張っても仕方が無い。
(……何しろ私は今や王族殺しとして広まってしまっているからな)
アズヴァルドは濡れた服もそのままに、あの場から離れてまず向かったのがここだった。兵士達による報告で王城内に厳重な警備が敷かれた後になれば身動きができなくなる。ならば最短最速で最も効果的な一手を打つべきだという判断からだ。
扉の前に立つ。
ここを知る者は、それこそこの部屋の主と、その主を守る騎士団長以外はいない。王城の地下、隠し扉の先にある一室だ。
「入ってこないのかな?」
扉の向こうからそんな声が聞こえてくる。頑丈な扉越しなので結構な声量だったはずだが、それでもかすれたような音になってしまっている。
「許可を頂いたようなので、失礼します」
扉を開き、中をそっと覗く。僅かに開いただけでは死角になる位置に席があるのだろう、諦めてアズヴァルドは中へを入る。
「これはこれはアズヴァルド副所長殿」
その声に一瞬だけ視線を送る。例の騎士団長であるゴドフロワが、後ろに手を組んで直立している。一見して警戒していないようだが、恐らくそれでも今の自分を取り押さえるには十分だと考えているのだろうか。
(まったく、この国の最強というのはどれも恐ろしい)
本気でこの国の中枢に立とうと思うのなら、ただの実力ではどう足掻いても上にはなれない。アズヴァルド自身が相当な戦闘力を有していたとしても、やはり本職相手には勝てるものではない。特に前線に立つことを生業としている本物の戦闘狂ともなれば、いざ戦闘時に重要となる勘というもので一歩遅れを取る可能性が高かった。こればかりは実戦経験だけが物を言うだろう。
(私の戦場は主に研究所だからな。仕方無い)
「座らないかな? 副所長ともあろう者が立ちっぱなしなのを観ているのは忍びないからね」
「これは殿下、お気遣い感謝致します」
ソファに座っている第三王子に一礼をしてから、アズヴァルドは向かい合うようにして腰を下ろす。王宮魔術研究所に用意している客人用のソファより随分と上等だ。
「さて、状況がいまいち掴めていないのだけれど、一体ここへ何の用かな。ボクとしては一切伝えていないこの場所を知っていた理由についても伺いたいところだけど、大まかには予想がついている」
「さすがチャールズ殿下。ええ、ご想像の通りですよ」
「そうか」
チャールズは事前に用意してあった自分の分のカップを持ち上げて、そこに注がれた紅茶を一口だけ口に含み、ゆっくりと喉を濡らしていく。
「一応答え合わせをしよう。まず、結果として君は完全に油断をしていたね?」
「……。油断? 私が?」
「ああ、『彼女』が一ヶ月もの間何もしていなかったと思ったか、あるいは何かしてきても自分なら必ず返り討ちにできるという過剰な自信によってしてやられた、というところだろう。でなければ君が耳を塞がれる雨の中を逃げるようにしてここへやってはこないだろう?」
「ああ、濡れていますからね、私。それで雨の中を奔ったと知ったということですか。ではなぜ『彼女』――いえ、マイラ・グランヴィルにしてやられたと?」
「そもそも王城内で君を害する理由を持つ者がいない。君は実に上手く立ち回り、政治というものを理解していた。だからこそどの貴族も君に何かすることは利にならないと知り、手を出さない。さらに王城の兵士は訓練された者達だ。そんなことするはずがない。言っておくがボクやゴドフロワ騎士団長もまったくそんなことをする理由が無いな。となれば、答えは自ずとそこへ辿り着く」
「フィデス・サンクは?」
「彼女の人柄を考えれば人を傷つけるなんてこと、まず考えられないね。不確定要素ではあるけれどマイラ・グランヴィルほどじゃない。マイラ・グランヴィルはほとんど怪物のような人間だよ」
「怪物……」
言われてみると確かにそうなのかもしれない。先ほど行われた一連の出来事を思い返すと、マイラという少女は本当に自分には隠すべきことが何も無いと演じきっていたではないか。通常の人間があそこまで堂々と演技をしきってみせるだろうか。そこまで頭が回るのに危険なところまで出てくる必要は?
(……あの場で殺される可能性もあった。それを考えるなら彼女の行動は異常すぎるというわけだ)
しかし、とそれによってマイラ・グランヴィルはその場にいた兵士達から圧倒的な信頼を得たに違いない。彼女の行動はその一点が最も重要だったのかもしれなかった。
「どちらにしろ君が逃げるまで追い込まれるのは、さすがにこちらとしても予想外だったね。詳細は教えてもらえるのかな」
「――分かりました」
正直忌々しく腹立たしいことこの上ない出来事だが、アズヴァルドは隠すこと無く全てを語る。それを聞いたチャールズは眉を寄せて握りこぶしを口に当て数十秒ほど黙考し、アズヴァルドを一瞥した。
「なるほど、一ヶ月の間に彼女がやったことが大体想像できる。自分の立場と身分をよく弁えているね、彼女は。先ほども言った通り、雨の中で君と対峙するという意味をしっかりと理解しているところからもその賢しさが分かる」
「賢しさ、ですか。確かに冷静になると彼女の狙いが見えてきますね。それと何を淡々とやってきたのか」
「ああ、恐らく彼女は一ヶ月掛けて一番身近な者の信頼を得た。つまり――」
「見張りの兵士との親好を結んだ。やり口はたぶん連帯感を強める手法が考えられます」
「ボクには分からないが一緒に遊んだ相手には心が緩んでしまうそうだね」
「――なるほど、それはありそうですね」
「えーっと」
喋るなと命令されていたわけではないだろうが、空気を読んで喋っていなかったゴドフロワが恐る恐る手を挙げる。
「どういうことです?」
「ああ、つまり彼女は兵士達と一緒にゲームをやったんだ。もしかしたらこれについてはボクがヒントを与えてしまったかもしれないね」
「ヒントとは?」
「謎解きゲーム。いや、犯人当てゲームというべきか。思考実験みたいなことをね、やったんだよ。彼女を追い込み反応を見るための実験だったけれど、どうやらその時の経験すら彼女の糧になったようだ」
「……謎解きゲーム……そうか、もしかしてそういう心理状況を作り上げた、ということですね」
「さすが副所長、冊子が早くて助かる。――が」
チャールズは自分を守る騎士に視線を送る。その騎士は腕を組んで高らかに笑い出した。
「はっはっは、はっはっはっはっは」
「……説明が必要なようだね」
「つまりです、ゴドフロワ騎士団長殿。一緒に謎解きゲームをするのは楽しい上に連帯感が生まれる、ということですよ」
「連帯感、と?」
「ええ」
全く以て忌々しいが、という言葉を飲み込み、アズヴァルドは話を続ける。
「彼女は一ヶ月の間、自分達の見張りとなっている兵士に話しかける時間はいくらでもあった。またいくら兵士といえど、常に見張りで立ち続けていれば自然と気が緩む瞬間も来るでしょう」
「そうしないように鍛えているつもりですが」
「人間は常に集中し続けられる生き物ではない、ということです。なればこそ彼女はそこを突くように、言葉だけでゲームへと誘った。それは彼女の現状と、『本当の犯人捜し』という魅力的なゲームへの誘いです。彼女が自分が犯人ではないと兵士達が納得できる理論的な説明の後、同情を買い、そして自然と他の犯人の可能性をチラつかせる。何しろホットな話題です。ほぼ全ての人間が同じ条件下においたなら自覚せずともその誘いに乗ってしまうでしょう」
「そう、そして彼女は恐らく聖女をもゲームに誘い込み、アズヴァルド副所長を犯人とする『まるで本当に出来事であったかのように』すらすらと推論という名の虚構を積み上げていくだけでいい。それも一ヶ月近くかけてじっくりと、それしか考えられないという方向に持っていく。簡単なようだけれど、人間は考える生き物だ。彼女と話していない時間帯に自分一人だけで考え、矛盾に気付くこともあるだろう。そう簡単に事は運ばないだろうに彼女はそれをやってのけた、ということだね」
「確かにそれならばあの兵士達の動きも納得できます。そうやって犯人に仕立て上げられた私としては複雑な気持ちですがね」
「そう、そして君が犯人だというのは確定してしまった」
「というと?」
やっとの思いで話についてきているゴドフロワの問いに、チャールズは嘆息する。マイラ・グランヴィルは仮定によって犯人を作り上げたといっても過言ではないという仮説だが、これは所詮仮説に過ぎない。マイラ・グランヴィルが犯人だという証拠が無ければやっていることは彼女と同じだということだ。こんな突拍子も無い話を警護の片手間で理解する騎士団長も頭が回る人物だと言えるが、とはいえさすがに全てを理解しその先まで考えが及ぶといったことはない。
「現にアズヴァルド副所長が犯人だと信じた兵士達の前で、彼はその兵士の同僚を殺してしまったんだ。これは決定的な瞬間だろう。言い逃れはできないだろうね」
「……殺すつもりはなかったんですよ」
「だろうね。何らかの手を使い、君の魔力は暴走させられた――そんなところだろう」
その場にいなかったというのに、一体どこまで推論を立てているのか。アズヴァルドは目の前の王子に薄ら寒いものすら感じていた。他の兄弟も知略や戦略、頭脳戦において秀でていたと評価できるが、このチャールズという王子は上の兄弟より遙かに危険人物なのではないか。
(いいや、今はその智惠を借りるしかない状況だ。この人について考えるのは後回しにしよう)
「つまりアズヴァルド副所長は彼女が犯人であるという決定的、いや圧倒的な証拠が必要になる」
「でしょうね。今は緊急的にここへ避難しているような形になっていますが」
「避難? 冗談を言わないで欲しい。何のメリットも無く君を匿うつもりはないよ」
「当然、要求があるものと思っていました。ところでゴドフロワ騎士団長殿」
「なんですかな?」
「私に思うところがあれば、どうぞ」
「……」
ゴドフロワは一瞬だけ眉を寄せたように見えたが、その表情は普段と些かも変わらない。彼は場内の兵士、そして騎士達全ての頂点にいる男だ。その彼の配下を――たとえ陰湿な企みによって罠に嵌められたのだとしても――殺した男を前に、何も思わないはずがないと、アズヴァルドは告げているのだ。
「戦いのさなかに死んだ者は常に不幸だと、私は思っています」
ゴドフロワは彼のそんな気遣いに気付いたのかどうか、少しだけ語り出す。
「戦いは常に死と隣り合わせです。正々堂々と名乗りを挙げた先で名誉と共に死ぬのも、企みによって死ぬのも、結局は同じこと。その死を悼むことこそあれ、戦を恨んでも仕方がない。崖から落ちて命を失った知人を想い、その崖を恨みましょうか」
「……。騎士団長殿」
「――されど副所長殿、勘違いをなされぬよう」
「……!」
「今のは騎士団長としての矜持、あるいはただの意地です。俺個人は恨まないわけではない」
ぞくり、と背筋が凍る。
(私が気圧された……!)
それは怒気というものだろうか。あるいは五感が鋭いアズヴァルドだからこそ感じ取れた不可解な魔力の波動かもしれない。




