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マイラ・グランヴィルは推理する4

 雨の中、複数の足音が聞こえてくる。

 この王城に勤める屈強な兵士達が奏でる音だ。決して雨の音なんかに負けず、その力の一端が窺い知れる、実によく訓練してきた者達の軍靴が立てる音だ。

 アズヴァルドは反射的に身構える。彼らが本気で行動を起こしたのならば、その刃によって瞬時に斬り伏せられるのは己だとよくよく知っているからだ。伊達に戦争の専門家ではないということになる。もっとも魔術さえ使えばアズヴァルドにとって大きな脅威ともならないが。

 しかしそれは兵士とて同じことだ。相手が魔術の天才であると把握しておきながら何も手を打ってこないというのは悪手だろう。だからこそ現れた兵士達が自分を取り囲んだとき、まず彼らの装備を確認した。一人は剣の柄に手を添え、一人は唇に笛を当てている。もう一人はアズヴァルドの正面に――マイラを庇うように前へと立つ。三人だ。たった三人でアズヴァルドを囲んでいる。

(少なすぎる――いや、王宮の中ではこれでも)

 あの笛が厄介だ。

 吹けばとにかく高い音が遠くにまで届き、他の兵士達を瞬く間にここへ呼びつけることになるだろう。何が厄介かといえば、魔術は言葉を使って発動するというのが基本となり、魔術を扱うものなら当たり前とさえ言える前提条件だ。魔術の構成を解き放つには強いイメージが必要で、そのイメージをはっきりと形にすることこそ言葉の持つ意味だとさえ言う研究者もいるぐらいだ。

 つまり声を媒介をする限り、音より速く魔術を発動することは不可能だとされている。音よりも遙かに速い光を発動させることは可能だが、効果範囲は声が届くところまでとなる。つまり『効果範囲に及ぶまで声が届いてから』やっと光を発動させて、そこまで光源を届けることが可能となる、という意味だ。兵士が鈴を鳴らした時点でアズヴァルドがどれだけ高速に魔術を発動させても既に手遅れだった。

「私が本当に犯人だと思っているのですか?」

 すかさず頭を切り替えて、眼前の兵士達へ揺さぶりを掛ける。

「私が王宮魔術研究所の副所長だと知り、その上で剣を抜いたということならば、今後どのような言い訳もできませんよ」

 一瞬だが、確かに兵士達の足が怯んだ。

 ――それでも彼らはその場に踏み留まり、件の切っ先をアズヴァルドへと向ける。

「そちらこそ言い訳無用。自分で犯人を名乗っておきながら、言い訳ができる身分だと? 残念ながら一度拘束をさせていただく」

「断りましょう。私は犯人ではないのでね」

「全て知っています! このマイラ様のお言葉が何よりも真実だと証明された今! あなたに副所長の権限などない! フィリップス殿下並びにエドアルド殿下の無念! 如何程か!」

「知るわけがないでしょう、殺してなどいないのだから」

「まだそんなことを言うか!」

 兵士の一人が剣を構えたままゆっくりと近寄ってくる。アズヴァルドは努めて冷静を装いつつ、この状況を打破できる方法を必死になって頭の中を探っている。この兵士達は動揺させることこそ可能だが、完全にマイラ・グランヴィルの味方となっている。

(何故だ。何故この城の兵士達が容疑者でもある小娘の言うことをすんなり信じる?)

 この一ヶ月でマイラ・グランヴィルは一体何をしたというのか。なぜ一ヶ月もかかったのか。どうしてこの日を選んだのか。

(不明点が多すぎる! 一度掴まるべきか? いや、恐らくその後のことも対応されてしまう可能性が高い――逃げるしかないか!)

 この場を離れて冷静に考える時間が必要だった。

 その為には目の前の兵士達には悪いが、一度気絶してもらう必要があるだろう。

 そう決めたアズヴァルドはすかさず魔術を唱える。

「……!」

 マイラの顔色が変わる。危険を察知したのか、顔を覆い隠すように両腕を交差させ、アズヴァルドの魔術に備えたようだ。兵士達もまた彼が魔術を唱えようとしていることを察知し、それこそマイラより早く剣を振り抜こうとする。相手に抵抗の意思があると判断し、魔術が発動する前に行動を起こすところなどは実に優秀だったが。

 相手はこの国きっての天才魔術師であるアズヴァルドだ。常人が構築する魔術よりも数段早く発動が可能で、実際それはこの場にいた兵士達全ての予想を上回っていた。

 真空を発生させることで兵士達を浅く斬り、後退させることに成功した。

「……がっ……!」

 したが、その傷はアズヴァルドの予想を上回って深く、どぼどぼと溢れる血液にその兵士の顔から生気の色が消えていく。

「あ、アズヴァルド! 貴様!」

(魔術制御の失敗ッ? いや、私に限ってそんなことはありえない! 殺さないように手加減した!)

 ほとんど傷を負っていない兵士の一人が斬りかかり、もう一人の兵士は死にかけている兵士に駆けよって治癒魔術を展開する。

 アズヴァルドは混乱しつつも剣を躱し、またも魔術を唱え、今度は衝撃で兵士を吹き飛ばす。

「あっ……!」

 兵士の腹部から、向こうの景色が見える――

「――馬鹿な……」

 愕然とする。二度も魔術の制御に失敗したのかと。

 兵士が死んだこともまた衝撃だが、それ以上にアズヴァルドは己の築き上げてきた魔術が己の制御を離れているという事実に激しい動揺が走り、額から汗が一気にあふれ出てくる。

(馬鹿な馬鹿な馬鹿な! 何が起こっている!)

 残った兵士は、目の前の兵士に魔術を唱えながらも、もう一人はもう助からないことを察して強く目を瞑った。それからゆっくりと目を開き、憎悪の炎を宿してアズヴァルドを睨む。

「……おかしい、こんなことはあり得ない……!」

「き、さまぁっ……! 人を平然と殺しておいてよくも!」

「……冷静になって考えろ。私が君達を殺して何の得がある! 私は今まで王国に仕えてきた! この私が、この国の兵士を殺す筈がないだろう!」

「ならば今きさまがやったことを言ってみろ! 許さん……許さんぞ……!」

 もはや言い逃れはできまい。

 アズヴァルドの決断は早かった。ならば応援が来る前にこの場に居る全員を消し、証拠隠滅を図るべきだ。

「させるとお思いで?」

 いまだ治療から手を離せない兵士の前に、一人の令嬢が立ち塞がる。――マイラ・グランヴィルだった。

「時間を稼ぐぐらいなら私でも可能です」

「ダメです! マイラ様!」

「いいから治療を。あの方を止められるのはおそらく私だけでしょうから」

 驕り高ぶっているのかと唾棄すべき発言だが、ここまできてマイラ・グランヴィルがそんな手抜かりをするはずがない。

(私の魔術をマイラ・グランヴィルが操作した? いや、そんな魔術は無い。魔術構成を乗っ取るというのは理論上可能だが、その手法はせいぜい私ぐらいしか知らず、それにそんな素振りを見せて私が気付かぬ筈が無い。筈が無いんだ!)

 ――もし、もしマイラ・グランヴィルがアズヴァルドの知らない方法で魔術を使っていたのだとしたら?

(あり得ない! それを今証明してみせる!)

 しとしとと身体を濡らす空の下、アズヴァルドは曇天のように己を追い込み、この国の地位ですら足下から曇らせようとしている元凶のマイラに対して魔術を発動する。この女だけは殺さないと危険だ。この女だけはここで仕留めておかねば、今後どのような形で自分を追い込んでくるかしれたものではない!

「あら」

 マイラは涼しい顔をしながら横目で遙か後方の大木が折れ、凄まじい音を立てて倒れていくのを確認してからうっすらと嗤う。

「確かに恐るべき威力ですわ。ですが、その威力をきちんと制御できないのならば、ただの危険な力に過ぎません。これでは国家にどの様な影響を及ぼすことか」

「な……ん……なぜだ……?」

 再び魔術を唱える。声を張り上げ、必ず殺すという意思を込めた真空の刃だ。さらに雨を凍らせてマイラをその場で足止めし、その無数の滴を刃へと変える。

 だというのに、マイラはまるで変わらぬ涼しい顔で、大貴族の令嬢たる振る舞いを一切忘れずにそこへ立っていた。

(魔術は発動している。魔術は届いている! しかしなぜだ! どうしてその魔術が届く前に全ての攻撃が外れるか『元に戻る』んだ!)

 魔術の効果が無くなっているのかとも考えたが、実際に効果が全て消えているわけではない。もしそうならば魔術が外れて後方の大木が倒れることなどないだろう。もっと違う、根本的な、根源的な何かが違うのだとアズヴァルドの深い魔術知識が必死になって叫んでいた。だがそれはアズヴァルドの知識にはない違う知識の問題だ。

 この世界はまだそこに辿り着いていない。

 だからこそアズヴァルドは理解できない。

「大人しくしてください。それとも逃げますか?」

 ――仮にこの場を逃げたとしても、マイラはこの後にくる兵士達に向けて自分の都合が良い方向で話を進めることだろう。

 やはりここで殺すしかないのだ。

 魔術の効果はある。魔術が通じないわけではない。それに彼女が魔術を扱えたところで、彼女を測定した魔力の絶対量は自分の方が上だ。

 ならばと、アズヴァルドは魔術ではなく魔力そのものの操作へと切り替える。魔力は一種のエネルギーだ。いや、一種とはわず万物のエネルギーとも呼べるものだ。必ず肉体に存在し、魔術師はその魔力を訓練次第で自由に操作を可能とする。

 つまり魔力による身体能力の飛躍的な強化だ。

 一般兵士でもこれを得意とする者は数知れないが、肉体強化は単純にその魔力量によって強化具合が変わる。アズヴァルドは普段から肉体を鍛えてるわけではないので単純な腕力ならそこらの兵士に負けるかもしれないが、この身体強化ならば例え相手が騎士団長といえど引けを取ることはないという自負がある。

 見た目は変わらないが、あのマイラのことだ、すぐに自分が何をしたのか察するだろう。

「剣を」

 兵士から剣を受け取ったマイラは、慣れた手付きでそれを構える。

 しかしアズヴァルドの動きは、それこそまさに一歩目から神速とも呼べる目にもとまらぬ速度でマイラの横まで踏み込み、魔力で鉄塊のように固めた拳を彼女の腹部に向けて撃ち抜く!

 マイラは反応こそ遅れたものの、咄嗟に剣をその拳と身体の間に潜り込ませて受け止めた。が、彼女の体重そのものが拳の勢いを全く受け止められず、少女は振り抜いた拳の勢いそのままに吹き飛ばされていった。

 地面を何度も転がったもののダメージ自体はさほどなかったのか、マイラは転がった勢いを利用して身体を回転して曲芸のように立ち上がる。彼女が受けたダメージを全て受け止めたとでも言わんばかりに剣の腹がくの字に曲がっていた。

(剣で全ての威力を受け止めた? そんな技術が彼女に……?)

 鉄を打ち付け鍛えた剣を折る威力の一撃だった。技術か、あるいは運良く剣が犠牲となったようだが、もう彼女を護るものはない。

(次で決める)

 足に魔力を流し、再び超高速で彼女に迫る。その速度は一度の瞬きで数歩分を移動し、彼女が何かをする前にこの拳はその華奢な肉体を貫いているだろう。

 だが、当たる寸前で彼女は上半身を退く。わずか拳一つ分、彼女の身体はアズヴァルドの猛烈な一撃を避けてみせたのだ。魔力によって強化している彼の目はそれをはっきりと捉え、そしてマイラが後ろへ退く――倒れる勢いで蹴り上げたつま先が彼の顎を打ち据える。

「なっ……!」

 脳が揺れる。

(まずい!)

「動くな!」

 揺れる身体を強引に魔術で止める。彼女の蹴りは凄まじい速度だったが威力自体は低く、問題は勢いによって揺られた頭の中に入っている脳が揺さぶられることだった。つまり脳しんとうが起こる可能性が非常に高かったのである。

 それをアズヴァルドは意識が飛ぶ前に魔術を唱えて、頭の動きを強引に止めたのだ。

 本来の運動を強引に塞き止めたことによるダメージそのものは肉体に返ってきたものの、意識が混濁するよりかは随分と良いだろう。

「曲芸使いか……!」

「いいえ、歴とした武術ですよ」

 ダメージが抜けずに身体が動かないところへ、マイラの拳がアズヴァルドの鼻の下を打つ!

 パン、という小気味良い音と共に跳ね上がった顔と視界、それらはアズヴァルドにどうしようもない死角が生まれ、その瞬間を狙ってマイラの拳がさらにアズヴァルドの腹にめり込む。

「ぐっ……!」

 マイラ渾身の一撃だったのだろう。その一撃は確かに重いが、耐えきれないといった程ではない。意識さえ飛ばさずにいるならば対処可能だった。もし彼女の力がそれまでだというのなら、今すぐ反撃が可能だ。マイラと視線が合う。彼女の瞳には今ので仕留めきれなかった焦りのようなものが感じ取れた。

「アズヴァルド!」

 兵士が剣を構えてアズヴァルドに攻撃を仕掛けてくる。魔術で気絶させるかと思ったが、先ほどの凄惨な光景がフラッシュバックする。

(ちっ!)

 兵士がマイラと己との間に割り込んできた。このマイラ相手でも押されている状態の自分が、隣国との緊張感が高まり毎日訓練をしている兵士相手にどこまで立ち向かえるか怪しい。

(これ以上は時間が無いか!)

 時間切れだ。そろそろ応援の兵士が到着してもおかしくないだろう。本気を出せば――生死を問わないのならばどれだけ包囲されても脱出する自信はあるが、さすがに罪が無く嫌っているわけでもない無関係な人間を殺すのは気が引ける。

「壁よ!」

 自分と兵士の間にある地面を強制的に持ち上げて高い壁を作り、それによってマイラと兵士から死角を作ってから急いでその場を離れる。

「――マイラ・グランヴィルぅぅ……ッ!」

 ――雨の中。

 だから油断したとは思いたくなかったが、アズヴァルドは己が完全に敗北したのだと察していた。

 それがどうしようもなく許せなく、マイラという少女に対して強い憎悪を抱くことになったのだった。

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