第16話 世界への挑戦のはじまり
マサ(父) 35歳
カズ(息子) 4歳8か月
ダンロップフェニックストーナメント3日目の観戦から帰って、翌日は同トーナメントの4日目をテレビ観戦している。
「ほら、カズ、ここのコース、昨日観に行ったところだよ」
「ほんとだぁ」
「観に行った」と言っても、結局ちゃんとお目当ての松山英樹選手を追いかけたのは最初の2ホールだけ。あとの大半は、カズのスナッグゴルフで終わってしまった。「世界」のゴルフに触れれば、カズも何か感じるだろうかという期待もあって観戦に行った大会だが、思いがけず、カズの別の才能を見ることができた。
そのスナッグゴルフの最中、年上のお兄ちゃんに怯むことなく闘いを挑み「おれが最初に的に当てる」というおそらく自ら立てたであろうミッションを成功させて、勝ち誇ったかのような「ドヤ顔」をして帰ってきた。自分が同い年くらいのころだったら、そんな年上のお兄ちゃんに挑んでいく勇気はなかった。「戦闘民族サイヤ人」とも思えるカズのこの個性に触れて、親なりに思ったことがあった。
「試合に出してみたら、面白いのではないか?」
自分は、幼少のころ、誰かと競うのはあまり好きではなかったし、そんなに勝ち負けにもこだわりはなかった。幼稚園のころ、1度転園したのだが、転園先の幼稚園で、おそらく自分が来る前まで一番足の速かった子とかけっこ競争をして、勝ってしまったことがあった。幸か不幸か、身体の成長は早いほうで、背も高かったので、幼稚園の時はまだ足が速い方だったんだ。その打ち負かしてしまったかつてのトップランナーから、運動会の前にこう頼まれた。
「おれに勝たせてくれ」
と。
幼稚園生にも「足が速い」というプライドがあったのであろう。要するに八百長を頼まれたわけだ。今考えると、それで勝たせてやったって、その子のためにならないし、インチキはスポーツにおいて最も恥ずべきことだから、負けてやることはなかったのだが、当時の自分はどっちでもいいと思っていた。それが全力だったかどうかも覚えていないけれど、幼稚園の運動会のかけっこは2位になったことを覚えている。
そんなもんだから、たぶん4歳の自分があの日、あの場にいたとしても、スナッグゴルフで闘いを挑むなんてことはしていなかったと思う。まして相手は年上だ。そんな人に挑む勇気も気概も全くなかったに違いない。自分と対比することで、これはカズの個性のひとつに違いないと思えた。妻もそんなに好戦的な方ではないので、一体誰に似たのだろうか。
この年のダンロップフェニックストーナメントでは、松山英樹選手が優勝争いに加わることはなく、ベテランの市原弘大選手の優勝で幕を閉じた。
試合のテレビ観戦を終え、おもむろにパソコンを開く。
「幼稚園 ゴルフ 試合」
などと検索ワードを入れて、幼稚園児でも出場可能なゴルフの試合を探す。しばらくあれやこれやと探していると…
「世界ジュニア日本代表選抜大会」
という大会が見つかった。年齢ごとにカテゴリーが分かれており、最年少は「アンダー6」つまり「6歳以下」というのがある。パー3は50ヤード未満、パー4でも100ヤード前後、パー5は200ヤード弱、だいたいそれくらいの距離設定だった。
「あ、これならもしかして闘えるかも?」
普段河川敷でラウンドしている様子からして、飛距離は十分戦えそうだ。ドライバーも80ヤードくらい飛ぶようになってきているし、ユーティリティで50ヤードくらいは飛ぶから、パーオンも十分狙える。アプローチとパターの難点はあるが、そこをもう少し磨いてみたら戦えなくもない気がする。何より、7歳以上のカテゴリーになると各地方の予選があるようだが、6歳以下のカテゴリーは、いきなり決勝大会で、勝ったらアメリカで開催される世界ジュニアに「日本代表」として出場できるというのだ。6歳以下は競技人口も少ないだろうし、例年の記録を見ると、出場選手は10名前後だ。つまり、10%前後の確率で「世界」への切符をつかみ取ることができるというわけだ。数字だけで考えると、随分と世界が近しく感じられる。
思い返せば、青春時代はサッカー部に所属していた。幼少期には全く競い合うことに興味関心はなかったが、Jリーグブームもあって、サッカーをやってみる気になったんだった。ちょっと練習を頑張って、学校でレギュラーを掴み、「地区選抜」というのに選ばれたことがあった。当時、私は東京で暮らしていて「地区選抜」というのは、いくつかの市や町を合わせた地域から選ばれた20名くらいだった。チームの中から選ばれるのは数人だけで、その「地区選抜」に入るだけでも随分と誇らしかった。
でも、その上の「東京都選抜」となると別世界だ。身体的にも技術的にも格段にレベルの違うサッカーエリートたちが集う場所。到底その中に入れる気はしなかった。その「東京都選抜」の上の世界はほとんど知らないが、おそらく「関東選抜」があって、その上が「世代別日本代表」だったのだろう。「世代別日本代表」ともなれば、学校のサッカー部からの選抜だけでなく、各Jリーグチームが抱えるユースチームからも選ばれていたはずだ。Jリーグのユースチームに入る人間なんて、それだけで相当な篩に掛けられた才能たちのはずで、全く想像もできない世界だった。ワールドカップで活躍する「日本代表」という日の丸を背負った選手たちは、雲の上のそのまた上くらいの存在で「自分がそこにたどり着けるか」とか「たどり着きたい」なんて、考えたこともない。
もちろん、ジュニアゴルフの「日本代表」が本当のアスリートの「日本代表」と全然違うことは言うまでもない。でも、それでも、誰もがなれるわけではない「日本代表」に10%くらいの確率でなれるかもしれないのであれば、挑戦し甲斐はあるし、先のスナッグゴルフで、その片鱗はあるように感じられた。ダンロップフェニックストーナメントで感じた可能性を、ただの可能性で終わらせてはもったいない。
早速妻に相談してみる。
「ねえねえ。『世界ジュニア日本代表選抜大会』ってのがあって、優勝すると日本代表としてアメリカに行けるらしいよ。この試合出てみない?」
「ええ!?幼稚園だよ?無理でしょ」
「いや、『アンダー6』ってのがあって、6歳以下だからみんな幼稚園だよ」
「そうなの?でも、『日本代表』だなんて、そんなの無理じゃない?」
「いや、こないだのスナッグゴルフのあれ、面白かったじゃん。戦闘民族サイヤ人だぜ。試合に出るの、結構向いていると思わない?」
「それはそうかもしれないけど。大会はいつあるの?」
「来年の3月。あと4か月くらいだね。ちょうどカズの誕生日の日が試合だよ」
「え、誕生日が試合の日?」
面白いことに、ちょうどカズが5歳になる誕生日が試合の日だった。
「これもめぐり合わせじゃない?カズ!試合出てみない?こないだ観に行ったみたいな、ゴルフの試合」
「うん、いいよ」
「あっさり……」
「本人もやる気だし、いいんじゃない?世界に行ったら英語も興味持つかもよ?」
「そうね。パパがいいなら、いいんじゃない」
妻は自分が熱心に教えている英語が役に立つと思ったのか、許可してくれた。
「よし!それじゃあ、『世界ジュニア』を目指して、練習頑張っていこう!」
こうして、「世界」に向けてその気になった我が家の挑戦が始まることとなった。
世界ジュニア日本代表選抜大会まで、あと4か月だ!




