第3話 予感
神代隊詰所。
鎧の音が響く。
剣を研ぐ音。
革紐を締める音。
誰も喋らない。
出撃前はいつもこうだった。
だが今日は違う。
静かすぎた。
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「聞いたか?」
若い隊員が口を開く。
誰も反応しない。
それでも続ける。
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「西の境界線。」
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「向こうの連中が逃げてるらしい。」
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手が止まる。
空気が止まる。
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「逃げてる?」
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「あいつらが?」
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「追われてるみたいだったって。」
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誰も笑わない。
冗談では済まない。
境界の向こうの存在は、
恐怖そのものだった。
その恐怖が逃げている。
意味が分からなかった。
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「見間違いだろ。」
古参の隊員が言う。
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「境界の連中が逃げる理由なんてない。」
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若い隊員が頷く。
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「ですよね。」
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納得した顔ではなかった。
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神代は黙ったまま剣を背中へ差す。
視線だけが窓の外を見る。
赤い空。
裂けた雲。
終わらない戦争。
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「神代。」
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総隊長が声を掛ける。
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「お前はどう思う?」
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神代は少し考える。
そして答える。
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「嫌な予感がします。」
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隊員達が顔を上げる。
神代がそんなことを言うのは珍しかった。
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「だから準備しましょう。」
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「帰るために。」
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総隊長が笑う。
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「お前らしい答えだ。」
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神代は肩をすくめる。
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「待ってる人がいますから。」
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誰も何も言わない。
全員にいた。
帰る場所が。
待つ人が。
守る理由が。
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その時。
扉が開く。
伝令兵。
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「神代隊!」
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「出撃命令!」
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全員が立ち上がる。
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総隊長。
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「神代隊、出るぞ。」
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返事が重なる。
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神代は最後に剣を確認する。
鞘へ収める。
立ち上がる。
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「神代。」
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総隊長が呼ぶ。
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「死ぬな。」
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神代が笑う。
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「努力します。」
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隊員達も笑う。
いつものやり取り。
いつもの出撃。
そのはずだった。
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詰所の扉が開く。
赤い空。
冷たい風。
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遠く。
治療所の前。
小さな人影。
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リディア。
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神代は小さく笑う。
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「行ってきます。」
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誰にも聞こえない声。
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空が鳴く。
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世界が震える。
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神代は知らない。
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この戦いが、
自分から全てを奪うことになるなんて。
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まだ、
知らなかった。
第三戦線。
神代隊が到着した時には、
戦いは終わっていた。
静かだった。
静かすぎた。
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瓦礫。
折れた武器。
崩れた防壁。
血。
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だが、
死体がない。
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「何があった?」
隊長が呟く。
誰も答えられない。
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神代は周囲を見る。
嫌な静けさだった。
戦場の静寂じゃない。
何かが違う。
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その時だった。
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「......帰りたい。」
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全員が振り向く。
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一人の男。
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鎧を着ていた。
壊れている。
錆びている。
だが、
間違いなく人間の鎧だった。
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男は座り込んでいた。
空を見ていた。
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「帰りたい。」
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「娘が待ってるんだ。」
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神代の足が止まる。
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若い隊員が剣を抜く。
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「悪霊です!」
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男は反応しない。
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「帰らないと。」
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「約束したんだ。」
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「誕生日には帰るって。」
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神代は動けなかった。
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悪霊が、
家族を語るはずがない。
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悪霊が、
約束を語るはずがない。
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隊長が前へ出る。
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「名前は。」
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男はゆっくり顔を上げる。
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「......忘れた。」
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沈黙。
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「思い出せない。」
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「でも。」
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「帰りたい。」
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「娘が待ってる。」
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神代の手が震える。
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男は笑う。
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「帰り道を知らないんだ。」
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「どこに帰ればいいんだろう。」
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若い隊員が声を震わせる。
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「隊長......。」
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隊長は答えない。
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答えられない。
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男の身体が崩れていく。
砂になる。
光になる。
風に消える。
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最後に残った言葉。
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「帰りたい。」
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静寂。
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誰も動かない。
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神代は空を見る。
赤い空。
裂けた世界。
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そして初めて思う。
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敵とは何だ。
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俺達は、
何と戦っている。
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風が吹く。
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誰も答えなかった。




