第25話 視える死
怪異達の咆哮が、森を揺らした。
空気が震え。
木々に止まっていた鳥達が、一斉に飛び立つ。
悠真は剣を抜き。
ヒュプノスは両手に銃を構えた。
エレナも剣を正面へ向ける。
数が違いすぎる。
前方だけではない。
左右。
後方。
木の上。
怪異達は、三人を逃がさないように包囲している。
「背中を合わせてください。」
ヒュプノスの声は冷静だった。
「突破口を作ります。」
「悠真さんは左。」
「エレナさんは右を。」
「はい!」
二人が答える。
最初の一体が飛び掛かった。
悠真は身体を沈める。
鋭い爪が頭上を通過する。
剣を横へ振る。
怪異の腹が裂ける。
その横から、別の怪異が迫る。
銃声。
額へ穴が開き、怪異が倒れた。
「前を!」
ヒュプノスの声。
悠真は振り返らず、次の怪異へ剣を向ける。
一方。
エレナの視界には。
僅かに先の光景が重なっていた。
右から爪が来る。
その前に、一歩左へ。
背後から牙。
振り返る前に剣を突き出す。
怪異の喉へ刃が入る。
「見える……。」
大蛇との修行では。
ほんの一瞬。
攻撃の軌道が重なって見えるだけだった。
だが。
今は違う。
次に怪異がどこへ動くのか。
その後、自分がどこへ動けばいいのか。
断片的だった未来が。
少しずつ繋がっていく。
一体が跳ぶ。
エレナは既に、その着地点へ剣を置いている。
怪異は自ら刃へ飛び込むように胸を貫かれた。
すぐ横から腕が伸びる。
半歩下がる。
爪先が鼻先を掠めた。
その腕を切り落とし。
返す刃で首を斬る。
「エレナ……。」
悠真は目を見張った。
動きが。
大蛇との修行をしていた時とは、まるで違う。
速いのではない。
迷いがない。
怪異が動くより先に。
エレナは、既に次の場所へいる。
ヒュプノスも、その動きを視界の端で捉えていた。
「これは……。」
エレナの周囲だけ。
怪異達の攻撃が、不自然なほど空を切っていく。
偶然ではない。
速さだけでもない。
「クロノス……。」
ヒュプノスが小さく呟く。
「時を司る一族。」
「このような能力でしたか。」
エレナには聞こえていない。
未来が視える。
攻撃が来る前に。
どこへ避ければいいのか分かる。
どこを斬れば倒せるのかも分かる。
怪異達の動きが。
遅く感じられる。
「いける。」
エレナは一歩前へ出る。
更に一体。
首を斬る。
そのまま次の怪異の脇を抜け。
背後から剣を突き立てる。
「エレナさん!」
ヒュプノスが叫ぶ。
「隊列を崩してはいけません!」
「大丈夫です!」
エレナは振り返らない。
「全部、見えています!」
前方に三体。
その後ろに五体。
更に奥にも群れがいる。
だが。
怖くない。
一秒先が視える。
二秒先も。
僅かにだが。
先ほどより遠くまで視えている。
怪異が飛び掛かる。
右へ避ける。
次の怪異が腕を振る。
その下を潜る。
剣を振り上げる。
一体。
更に一体。
エレナの足元へ怪異の死骸が積み重なる。
「戻りなさい!」
ヒュプノスの声が飛ぶ。
「群れの奥へ入ってはいけません!」
「大丈夫です!」
エレナは笑っていた。
恐怖が消えたわけではない。
だが。
恐怖よりも。
自分の力が通じるという高揚感が勝っていた。
昨日まで。
悠真に守られてばかりだった。
自分だけが何もできなかった。
大蛇との修行でも。
何度も倒され。
何度も恐怖に足を止められた。
しかし今は。
戦えている。
自分の力で。
怪異を倒している。
「私だって。」
「守れる!」
エレナは更に前へ進む。
悠真が怪異を斬り払いながら叫ぶ。
「エレナ!」
「離れすぎだ!」
「大丈夫!」
答えながら。
エレナはもう一体の怪異を斬る。
「見えてるから!」
その言葉が。
判断を鈍らせた。
怪異達が突然、動きを止めた。
飛び掛かろうとしていた者も。
爪を振り上げていた者も。
一斉に。
エレナから距離を取る。
「……え?」
怪異の群れが。
ゆっくり左右へ分かれていく。
まるで。
道を開けるように。
いや。
違う。
道を譲っている。
何かを恐れて。
エレナの笑みが消えた。
開かれた道の奥。
一体の怪異が立っていた。
人に近い姿。
だが。
人ではない。
他の怪異よりも細い身体。
長い腕。
黒く硬質な皮膚。
顔にあるのは。
赤い二つの眼だけ。
口も。
鼻もない。
ただ。
その場に立っている。
それだけなのに。
エレナの身体が、本能的に震えた。
ヒュプノスの表情が変わる。
「上位種!」
銃口を向ける。
「エレナさん!」
「今すぐ下がりなさい!」
エレナは剣を構える。
「大丈夫です。」
声が僅かに震えた。
「見えています。」
自分へ言い聞かせる。
先読みを使えば。
避けられる。
今までと同じように。
次の瞬間。
未来が視えた。
上位種が右腕を伸ばす。
エレナは右へ避ける。
腕が軌道を変える。
胸を貫く。
――死。
「……。」
別の未来。
左へ跳ぶ。
上位種が踏み込み。
頭を掴む。
首が折れる。
――死。
後ろへ退く。
逃げた先へ、怪異達が押し寄せる。
身体を引き裂かれる。
――死。
前へ出る。
剣を振る。
刃が届くより先に。
腹を貫かれる。
――死。
しゃがむ。
跳ぶ。
受ける。
流す。
叫ぶ。
助けを求める。
どの未来でも。
どの道を選んでも。
最後に見えるのは。
倒れている自分だった。
「嘘……。」
先読みを止める。
もう一度。
未来を探す。
右。
死。
左。
死。
後ろ。
死。
前。
死。
死。
死。
死。
「嫌……。」
大蛇との修行では。
怖くても身体は動いた。
何度倒されても。
痛みを受けても。
恐怖を抱えたまま、一歩を踏み出せた。
だが。
今は違う。
怖いのではない。
死ぬ。
何をしても。
確実に。
自分は死ぬ。
そう意識した瞬間。
身体が硬直した。
指が動かない。
足に力が入らない。
呼吸すら浅くなる。
「動いて……。」
エレナは自分の身体へ命じる。
「動いてよ……!」
剣を握る手が震える。
上位種が。
ゆっくりと一歩踏み出す。
「エレナさん!」
ヒュプノスは、エレナの異変を見抜いた。
先ほどまでの動きが消えている。
先読みができなくなったのではない。
見えすぎたのだ。
助かる未来が。
一つもない。
ヒュプノスは上位種の頭部へ照準を合わせる。
「動かないでください!」
引き金へ指を掛ける。
その瞬間。
周囲の怪異達が一斉にヒュプノスへ飛び掛かった。
「なっ――」
一体ではない。
十。
二十。
無数の怪異が。
上位種を守るように殺到する。
ヒュプノスは銃口を逸らす。
銃声。
一体の額を撃ち抜く。
続けて二発。
三発。
怪異達が倒れる。
しかし。
次から次へと押し寄せる。
腕を掴まれる。
振り払い。
腹へ銃口を押し当てて撃つ。
「悠真さん!」
「エレナさんを!」
悠真は振り返る。
怪異の群れの向こう。
動けなくなったエレナ。
その前に立つ上位種。
「エレナ!」
悠真は走る。
だが。
距離がある。
目の前へ怪異が飛び出す。
「邪魔だ!」
剣を振る。
胴体を斬り裂く。
更に一体。
肩へ爪が食い込む。
痛みを無視して。
剣の柄で顔を殴る。
そして走る。
エレナの視界には。
上位種の未来だけが映っていた。
右腕が伸びる。
自分の胸を貫く。
何度視ても。
同じ。
死。
上位種が腕を引く。
槍のように。
一直線に突き出すために。
「逃げて……。」
エレナの唇が震える。
声にならない。
「悠真……。」
上位種の腕が。
消えた。
速すぎて。
そう見えた。
黒い腕が一直線に伸びる。
エレナの胸へ。
その瞬間。
身体を横から突き飛ばされた。
「え……。」
地面へ倒れる。
視界が揺れる。
鈍い音が響いた。
エレナが顔を上げる。
目の前に。
悠真が立っていた。
上位種の腕が。
悠真の背中から胸を貫いている。
赤い血が。
腕を伝って落ちる。
「悠真……?」
理解できない。
未来にはなかった。
自分が死ぬ未来しか。
視えていなかった。
「悠真!」
エレナの叫びが響く。
悠真の口から血が流れる。
身体が僅かに揺れる。
それでも。
倒れない。
上位種は腕を引き抜こうとする。
だが。
悠真は左手で、その腕を掴んだ。
「逃がすか……。」
力を込める。
腕を。
自分の身体へ食い込ませるように。
固定する。
上位種の赤い瞳が僅かに揺れた。
人間が。
心臓を貫かれながら。
まだ動くとは思っていなかった。
悠真は右手の剣を握り直す。
足を一歩。
前へ出す。
胸を貫く腕が。
更に深く入る。
激痛。
それでも。
悠真は止まらない。
「エレナに……。」
血を吐きながら。
上位種を睨む。
「触るな。」
剣を振り抜く。
一閃。
銀色の軌跡が走る。
上位種の首が。
宙を舞った。
赤い瞳を残した頭部が。
地面へ落ちる。
巨体が。
悠真の身体を貫いたまま、崩れ落ちた。
周囲の怪異達が動きを止める。
上位種が死んだ。
その事実を理解したように。
一斉に後ずさる。
ヒュプノスは怪異の一体を撃ち抜きながら叫ぶ。
「悠真さん!」
悠真の手から剣が落ちる。
身体を支えていた力が消える。
胸へ刺さった腕が抜け。
血が一気に溢れ出した。
悠真はゆっくりと。
前へ倒れる。
エレナが地面を蹴る。
「悠真!」
倒れる身体を抱き止める。
重い。
温かい血が。
エレナの服と手を赤く染めていく。
「嫌……。」
「嫌だ……。」
「悠真。」
「目を開けて。」
返事はない。
エレナの視界が揺れる。
先読みが発動する。
だが。
今度は何も視えない。
先ほどまで未来を埋め尽くしていた。
自分の『死』だけが。
完全に消えていた。
代わりに。
腕の中で動かない悠真だけが。
今という現実に残されていた。




