第23話 問い
その翌朝。
村には昨日までの慌ただしさが残っていた。
復興部隊は朝早くから動き始め、倒れた柱を起こし、崩れた屋根を修復している。
怪我人の手当ても続き、炊き出しの湯気が静かに立ち上っていた。
子ども達にも少しずつ笑顔が戻り始めている。
悠真はその光景を眺めながら、小さく息を吐いた。
「昨日まで戦場だったなんて……信じられませんね。」
ヒュプノスは穏やかに微笑む。
「戦いが終われば、次は日常を取り戻す戦いです。」
「怪異を倒すだけでは、人は救われません。」
「安心して眠れる場所があって、初めて戦いは終わるのです。」
悠真は静かに頷く。
その言葉の意味を、昨日より少しだけ理解できた気がした。
大蛇も村人達を見渡し、小さく微笑む。
「皆さんがいてくださるから、多くの命が救われています。」
ヒュプノスは照れたように笑う。
「私は指示を出しているだけですよ。」
「皆が優秀なんです。」
その時だった。
風が止んだ。
村全体が静まり返る。
復興作業を続けていた部隊の者達も、何かを感じたように動きを止めた。
妙な静けさだった。
悠真は違和感を覚える。
周囲を見渡す。
誰も、息をしていないようだった。
そこで初めて気付いた。
囲まれている。
いつから。
誰一人分からない。
黒い人影。
一人。
二人。
三人。
十。
二十。
数え切れない。
それは影なのか。
幻なのか。
輪郭は揺らぎ、実体は曖昧。
だが、その全員が静かに武器を握っていた。
剣。
槍。
弓。
斧。
古びた甲冑を纏い、その姿はどこか天照の戦士達にも似ている。
しかし決定的に違う。
生者の気配が、一切感じられなかった。
誰も動かない。
誰も声を発しない。
ただ。
一人のために待っているかのように。
ヒュプノスが静かに目を伏せる。
「……還れなかった者達です。」
その言葉が落ちた瞬間。
影達がゆっくり左右へ分かれる。
一筋の道が生まれる。
その奥から。
一人の男が静かに歩いてきた。
白衣に茨を纏い。
頭には茨の冠。
手には白い槍。
神代だった。
大蛇は静かに頭を下げる。
「お久しぶりです。」
神代は足を止める。
感情を見せない瞳が、大蛇を見つめていた。
大蛇はゆっくりと視線を上げる。
その目は神代ではなく、頭上の茨へ向けられていた。
「……まだ、その茨を纏っておられるのですね。」
短い沈黙。
大蛇は静かに続ける。
「何千年もの間。」
「あなたは今も。」
「あの日をご自身だけで背負い続けておられる。」
「リディアさんなら、きっと――」
ヒュプノスが小さく口を開く。
「……あの日。」
「世界は、リディアさんの犠牲によって――」
その瞬間だった。
「――貴様らが。」
空気が凍る。
神代の瞳が鋭く光る。
「リディアの名を語るな。」
悠真は目を見開く。
神代が、一歩踏み出した。
そう見えた。
次の瞬間。
その姿は消えていた。
誰一人、その動きを見ていない。
気付けば。
白い槍の穂先が、大蛇の喉元へ静かに添えられていた。
大蛇ですら反応できなかった。
村中が息を呑む。
悠真は考えるより先に身体が動いていた。
いつの間にか。
エレナの前へ立っていた。
ヒュプノスは静かに頭を下げる。
「……失礼しました。」
「軽々しく口にしてよい御方ではありませんでした。」
神代は静かに槍を下ろした。
「貴様らに。」
「あいつの想いを語る資格はない。」
そのまま全員をゆっくりと見渡す。
兵士達。
村人達。
ヒュプノス。
大蛇。
そして。
悠真。
最後に。
エレナ。
神代の瞳が僅かに揺れた。
「……お前は。」
「クロノスか。」
突然の問いに、エレナは息を呑む。
「……何故、その名を。」
神代は答えない。
ただ静かにエレナを見つめる。
やがて、小さく目を閉じた。
「……そうか。」
その空気を変えるように、ヒュプノスが一歩前へ出る。
「神代さん。」
「本日は、何故こちらへ。」
神代は悠真へ視線を向けた。
「世界の行く末を見に来た。」
「きっかけとなる者を。」
そして、大蛇とヒュプノスを見据える。
「そして。」
「お前達が下そうとしている。」
「愚かな決断をな。」
ヒュプノスも。
大蛇も。
何も答えない。
神代は悠真とエレナの前まで歩み寄る。
「……お前達に問う。」
「世界か。」
一拍置く。
「個か。」
長い沈黙。
「その答え一つで。」
「世界は変わる。」
「その時が来たなら。」
「お前達は、どちらを選ぶ。」
悠真は答えられない。
エレナもまた、言葉を失っていた。
神代は二人の答えを待たない。
「……まだ、その時ではない。」
踵を返す。
還れなかった者達も静かに後へ続く。
誰一人として足音を立てることなく、朝靄の中へ姿を消していった。
重苦しい静寂だけが残る。
やがてヒュプノスが静かに息を吐く。
「……神代。」
「かつて私達と共に世界を守った英雄です。」
悠真は神代が消えた先を見つめる。
「英雄……。」
大蛇は静かに頷いた。
「私達にとって、大切な仲間でした。」
「ですが、ある出来事を境に、私達とは別の道を歩まれました。」
エレナは静かに口を開く。
「リディアさんって……?」
ヒュプノスは静かに目を閉じた。
「……今は、お話しできません。」
「ですが。」
「貴方達が知るべき時は、必ず訪れます。」
大蛇も静かに続ける。
「その時には、私達も全てをお話ししましょう。」
「今、その真実を知ることは、貴方達には重すぎます。」
悠真は神代が消えた朝靄を見つめ続けていた。
その隣で。
エレナは胸の奥に引っ掛かった、あの問いを何度も繰り返していた。
――世界か。
――個か。
その言葉の意味を。
まだ、誰も知らない。




