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GATEKeePer−世界にその価値はあるのか−  作者: 大福


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第21話 始動 前半


 朝。


 木漏れ日が森を優しく照らしていた。


 昨夜まで響いていた剣戟も、息を切らす声もない。


 穏やかな風が草花を揺らし、小鳥たちのさえずりだけが静かな森へ響いている。


 悠真は小屋の前へ立ち、ゆっくりと深呼吸をした。


 澄んだ空気が肺を満たす。


 修行を始めた頃には気付く余裕すらなかった、森の匂いだった。


 右手を握る。


 ゆっくり開く。


 失ったはずの腕。


 今では違和感なく動いている。


 身体中に残る痛みだけが、この数日が夢ではなかったことを教えてくれていた。


 エレナも静かに空を見上げる。


 腰へ下げた双短剣にそっと触れる。


 まだ腕は重い。


 身体も痛い。


 それでも、不思議と怖くはなかった。


 その時だった。


 小屋の扉が静かに開く。


 二人は同時に振り向いた。


 姿を現した大蛇は、昨日まで修行で身に纏っていた白い衣ではなかった。


 濃紺の長袖の上着。


 黒い丈夫なズボン。


 腰には革帯。


 短い革靴。


 旅を続けるためだけに選ばれた、無駄のない実用的な服装だった。


 悠真は思わず目を丸くする。


「あれ……。」


「その服。」


 大蛇は自分の袖へ目を落とし、小さく微笑んだ。


「修行も終わりましたから。」


「今日からは旅支度です。」


 エレナも思わず笑う。


「その服の方が、大蛇さんらしいです。」


「そうでしょうか。」


 少し照れたように笑う大蛇を見て、悠真も自然と笑みがこぼれた。


 修行が始まった頃には想像もできなかった光景だった。


 恐怖しか感じなかった相手と、こうして穏やかに笑い合っている。


 それだけで、自分たちが歩んできた時間を感じられた。


 大蛇は二人を静かに見渡す。


「では。」


「参りましょう。」


「はい。」


 二人は力強く頷いた。


 三人は小屋を後にする。


 悠真は一度だけ足を止め、振り返った。


 森の中に佇む小さな小屋。


 数日前までは、生き延びることで精一杯だった。


 何度も倒れ。


 何度も立ち上がり。


 何度も死を覚悟した。


 あの場所で。


 恐怖を知り。


 痛みを知り。


 生き残る意味を教わった。


 もう戻ることはない。


 悠真は静かに前を向いた。


 大蛇が歩きながら口を開く。


「次の封印を目指します。」


「お二人にとって、本当の旅は今日から始まります。」


 森の中を歩く足音だけが静かに響く。


 悠真は刀へ手を添えた。


「修行は終わりましたけど……。」


「俺たち、まだ全然強くないですよね。」


 大蛇は歩みを止めることなく答えた。


「ええ。」


「まだ弱いです。」


 あまりにも率直な返事だった。


 悠真は苦笑する。


「やっぱりですよね。」


 大蛇も優しく微笑んだ。


「ですが。」


「以前のお二人であれば、上位種を前にした瞬間、身体は動きませんでした。」


「今は違います。」


「恐怖を抱えたまま、一歩を踏み出せる。」


「それだけでも、大きな成長です。」


 エレナは静かに自分の胸へ手を当てる。


 昨日、大蛇の動きが二重に見えた瞬間。


 現在と、ほんの一瞬先の『次』。


 あの感覚は、今でも身体のどこかへ残っていた。


 まだ自由には使えない。


 けれど、確かに自分の中で何かが変わっている。


 大蛇は空を見上げる。


「お二人とも。」


「ここから先は、修行ではありません。」


「失敗しても、やり直せる場所でもありません。」


 二人は自然と表情を引き締める。


 大蛇の声は穏やかだった。


 だが、その一言一言には重みがあった。


「一つの判断が。」


「誰かの命を左右します。」


「だからこそ。」


「どんな時も、生きて帰ることを忘れないでください。」


 悠真は静かに頷く。


「はい。」


 エレナも真っ直ぐ前を見据えた。


「必ず、生きて帰ります。」


 大蛇は満足そうに微笑む。


「その言葉を忘れなければ、大丈夫です。」


 三人は森の奥へ歩き続ける。


 修行を終えた今、その足取りは以前よりも力強かった。


 木漏れ日が三人の背中を照らす。


 静かな森を抜けた先には、まだ見ぬ世界が広がっている。


 それが希望なのか。


 絶望なのか。


 まだ誰にも分からない。


 ただ一つ確かなことは――。


 三人の旅が、今ここから始まるということだけだった。


―――――――――――――――――――――――

 

 歩き始めてから数時間。


 太陽はゆっくりと西へ傾き始めていた。


 森は次第に開け、遠くには小さな村が見え始める。


 その時だった。


 風向きが変わる。


 悠真が足を止めた。


「……。」


 鼻を掠める。


 嫌な臭い。


 焦げた木の臭いだった。


 エレナも眉をひそめる。


「何か燃えたのかな……。」


 大蛇は何も答えない。


 ただ、静かに歩く速度を速めた。


 三人は無言のまま村へ向かう。


 近づくにつれ、その異変は誰の目にも明らかになっていく。


 畑は踏み荒らされ。


 柵は倒れ。


 道には深く抉られた跡が残っていた。


 巨大な爪痕。


 木々は途中から折れ、幹には鋭い傷が刻まれている。


 悠真は刀へ手を添えた。


「戦った跡……。」


 村へ入る。


 崩れた家屋。


 割れた窓。


 焼け焦げた壁。


 吹き飛ばされた荷車。


 戦いの激しさだけが、その場に残されていた。


 エレナが辺りを見回す。


「人が……いない。」


 静かだった。


 泣き声も。


 叫び声も。


 誰一人として姿が見えない。


 悠真は小さく息を吐く。


「遅かったのか……。」


 大蛇は首を横へ振る。


「まだ分かりません。」


「警戒を。」


 二人は頷く。


 三人はゆっくりと村の奥へ進んでいく。


 その時だった。


 大蛇が足を止めた。


「……。」


 悠真も立ち止まる。


 その視線の先を見る。


「……え。」


 言葉を失った。


 村外れ。


 広場のように開けた場所。


 そこに横たわっていたのは。


 巨大な怪異。


 一体。


 二体。


 三体。


 四体。


 異界の上位種だった。


 まるで並べられたかのように、静かに横たわっている。


 エレナは震える声で呟く。


「嘘……。」


「全部……上位種……?」


 悠真は唾を飲み込む。


 忘れるはずがない。


 あの日。


 自分の右腕を容易く吹き飛ばした存在。


 何もできず。


 立っていることしかできなかった怪物。


 その上位種が。


 四体も。


 息絶えていた。


 しかも。


 どの亡骸にも大きな損傷はない。


 暴れた形跡も少ない。


 致命傷は。


 ただ一箇所だけだった。


 大蛇は静かに亡骸へ歩み寄る。


 しゃがみ込み。


 傷口へ視線を落とす。


 額。


 胸。


 喉。


 どれも急所を正確に撃ち抜かれている。


 余計な傷はない。


 二発目もない。


 まるで。


 一撃で命だけを奪ったようだった。


 大蛇は静かに立ち上がる。


「……間違いありません。」


 悠真が尋ねる。


「分かるんですか?」


 大蛇は静かに頷いた。


「ええ。」


「急所を一発。」


「それだけで終わらせています。」


「村への被害も最小限です。」


「これほど正確に上位種を討てる方は、多くありません。」


 穏やかに微笑む。


「ヒュプノスさんですね。」


 悠真が驚く。


「傷だけで誰か分かるんですか?」


「長く共に戦っていると。」


「その方の戦い方が分かるものです。」


 その時だった。


 背後から穏やかな声が聞こえた。


「買い被りすぎですよ。」


 三人は同時に振り返る。


 いつから、そこにいたのか。


 誰一人気付かなかった。


 一人の男が立っていた。


 白いロングコート。


 戦闘服というより、医師が纏う白衣に近い装い。


 黒髪には僅かに白髪が混じり。


 細い眼鏡の奥には、穏やかな瞳があった。


 戦場に立っているというのに。


 まるで大病院の院長が往診へ来たかのような、柔らかな雰囲気を纏っている。


 男は静かに微笑み、小さく一礼した。


「初めまして。」


「ヒュプノスと申します。」


 その名を聞いた瞬間。


 大蛇は穏やかに微笑んだ。


 悠真とエレナは、ただその男を見つめることしかできなかった。

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