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GATEKeePer−世界にその価値はあるのか−  作者: 大福


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第17話 重なる未来

 大蛇の姿が消える。


 まただ。


 どこにもいない。


 悠真は反射的に刀を構える。


「エレナ!」


 叫んだ瞬間だった。


 エレナは迷わず地面へ身を投げ出す。


 白い閃光。


 先程まで首があった空間を、一筋の斬撃が通り過ぎる。


 髪が数本、宙を舞った。


「……っ!」


 止まれない。


 今度は悠真の背後。


 殺気。


 振り向かない。


 身体だけが動く。


 刀を背中へ回す。


 甲高い衝撃音。


 火花。


 そのまま悠真は十数メートル吹き飛ばされ、岩へ激突した。


「がっ……!」


 肺から空気が押し出される。


 呼吸ができない。


 立てない。


 身体が重い。


 痛い。


 それでも。


「立ちなさい。」


 大蛇は歩いてくる。


「今倒れたら、本当に死ぬ時も立てません。」


 悠真は刀を杖に立ち上がる。


 脚が震える。


 腕が上がらない。


 汗が止まらない。


 視界が霞む。


 それでも構える。


 大蛇は僅かに微笑んだ。


「そうです。」


「強い者は、倒れない者ではありません。」


「倒れても立つ者です。」


 その言葉が終わるより早く。


 消えた。


「右!」


 エレナの声。


 悠真は刀を振る。


 空を切る。


「違います。」


 耳元。


 大蛇の声。


 悠真の背筋が凍る。


 膝裏へ軽く蹴り。


 身体が崩れる。


 そのまま首筋へ指先が添えられた。


「今ので死んでいました。」


 静かに指を離す。


 悠真は唇を噛む。


「……もう一回。」


 大蛇は頷いた。


「その言葉を待っていました。」


 少し離れた場所で、エレナも立ち上がる。


 脇腹を押さえながら笑う。


「私も。」


「まだ終わってない。」


 大蛇は二人を見渡す。


 母のように優しく。


 そして。


 誰よりも厳しい師として。


「では。」


「今日は、日が沈むまでです。」


 白い衣が風に揺れる。


 次の瞬間。


 また姿が消えた。


---


 それから、どれほどの時が流れただろうか。


---


 斬撃。


 衝撃。


 転倒。


 立ち上がる。


---


 また斬撃。


 吹き飛ばされる。


 血を吐く。


 それでも立つ。


---


 日はゆっくりと傾き始めていた。


 山道に落ちる影が長く伸び、白かった空が次第に茜色へ染まっていく。


 悠真の黒い刀には、無数の傷が刻まれていた。


 エレナの双短剣も、刃こぼれを起こし始めている。


 二人の衣服は裂け、肌には擦り傷と痣が浮かんでいた。


 それでも。


 大蛇の白い衣には、土埃一つ付いていない。


「遅いです。」


 姿が消える。


 白い閃光。


 悠真は辛うじて受け流す。


 しかし腕が痺れ、刀が弾かれた。


 柄を握る指から感覚が消えていく。


 それでも悠真は刀を離さない。


 大蛇の魔力は、今も絶え間なく全身へ流れ込んでいた。


 骨の内側を削られるような重圧。


 筋肉が引き裂かれるような痛み。


 血液に異物を混ぜられたような不快感。


 身体は本能的に拒絶している。


 吐き出せと叫んでいる。


 だが、拒絶すれば身体はさらに硬直する。


 大蛇の言葉どおり、それを自分の血の一部だと思い込むしかなかった。


 エレナが飛び込む。


 届かない。


 鋭い回し蹴り。


 華奢な身体が宙を舞い、地面へ叩きつけられる。


「まだです。」


 静かな声だけが山に響く。


「術を外へ押し返そうとしてはいけません。」


 大蛇は倒れたエレナを見下ろした。


「受け入れなさい。」


「ですが……!」


 エレナは地面へ手をつき、荒い息を吐く。


「こんなのを受け入れたら、身体が壊れます……!」


「壊れますよ。」


 大蛇は穏やかに答えた。


 エレナが顔を上げる。


「器は、無傷のままでは広がりません。」


 大蛇は自らの胸元へ、そっと手を添える。


「今ある限界を壊し、その外側へ新たな境界を作る。」


「それを繰り返して、初めて器は大きくなります。」


 悠真が刀を拾い上げながら問い返す。


「じゃあ、器を広げるっていうのは……身体を強くすることじゃないんですか?」


「それだけではありません。」


 大蛇は悠真へ向き直る。


「強靱な肉体があっても、魂が恐怖に屈すれば動けません。」


「強い魂があっても、肉体が力を受け止められなければ自壊します。」


「膨大な魔力を持っていても、それを扱う意思がなければ、ただの災厄です。」


 大蛇の黄金色の瞳が、二人を映す。


「肉体。」


「魂。」


「意思。」


「魔力。」


「そして、生まれ持った性質。」


「それらすべてを受け止め、ひとつの力として扱うための余白。」


「それが器です。」


 悠真は自分の手を見る。


 震えている。


 握り締めようとしても、指に力が入らない。


「余白……。」


「はい。」


 大蛇は頷いた。


「人は、自分が耐えられる範囲でしか力を使えません。」


「恐怖も、痛みも、怒りも、才能でさえも。」


「受け止める余白がなければ、溢れたものに呑まれます。」


 大蛇は一歩進む。


「上位種の前で、あなたたちは動けなくなった。」


 二人の表情が強張る。


「あれは弱かったからではありません。」


「自分たちの器を超える存在を前にし、肉体と魂が処理を止めたのです。」


「理解できない。」


「受け止められない。」


「だから、立ったまま動けなくなった。」


 悠真の脳裏に、あの時の感覚が蘇る。


 殺気に満ちた空気。


 命令を無視する身体。


 恐怖することさえ許されず、ただ固まるしかなかった自分。


 思い出しただけで、指先が冷たくなる。


「では、あの恐怖を消すんですか?」


 悠真が尋ねる。


 大蛇は首を横へ振った。


「いいえ。」


「恐怖は消してはいけません。」


「恐怖を失った者は、いつか自ら死地へ踏み込みます。」


「必要なのは、恐怖を抱えたまま動ける器です。」


 大蛇の声は優しい。


 だが、その言葉に逃げ道はなかった。


「怖くても。」


「苦しくても。」


「身体が止まれと叫んでも。」


「それらすべてを己の中に置いたまま、なお一歩を選べる者になる。」


「そのために、私はあなたたちの器を広げています。」


 エレナは唇を噛み、ゆっくりと立ち上がる。


 膝が震える。


 脇腹が痛む。


 呼吸をするたび、肋骨の奥が軋んだ。


「つまり……。」


 双短剣を握り直す。


「この苦しさも、全部抱えたまま戦えってことですね。」


「そのとおりです。」


 大蛇は微笑んだ。


「苦しみがなくなるのを待っていては、戦いは終わってしまいますから。」


 悠真も刀を構える。


「だったら……慣れるしかない。」


「慣れるのではありません。」


 大蛇は静かに言い直す。


「己の一部にするのです。」


 白い衣が揺れる。


 次の瞬間。


 大蛇の姿が消えた。


---


 何十回。


 何百回。


 同じことを繰り返した頃だった。


 エレナの呼吸が変わる。


 重い。


 苦しい。


 身体は、とっくに限界を超えている。


 指先の感覚は薄れ、双短剣が自分の手にあるのかさえ分からなくなり始めていた。


 視界の端が暗い。


 耳鳴りがする。


 心臓だけが、壊れかけた鐘のように胸の内側を打ち続けている。


 もう無理だ。


 身体がそう訴える。


 今度こそ立てない。


 次の一撃は避けられない。


 それでもエレナは、大蛇から目を逸らさなかった。


 怖い。


 痛い。


 逃げたい。


 そのすべてを、身体の中から追い出そうとするのをやめた。


 恐怖を消さない。


 痛みを否定しない。


 重圧も、震えも、荒い鼓動も。


 すべて自分の内側に置く。


 そのまま。


 次の一歩だけを選ぶ。


 その時だった。


 胸の奥で、何かが軋んだ。


 壊れたのかと思った。


 だが、違う。


 内側から押し広げられていた何かが、ついに限界を越えた。


 張り詰めていた壁が砕け、その先に新しい余白が生まれる。


 流れ込む大蛇の魔力が、僅かに軽くなった。


 いや。


 魔力が弱まったのではない。


 自分の方が、それを受け止められるようになったのだ。


「……これが、器……?」


 その瞬間。


 目の前の大蛇が揺れた。


「……え?」


 一人しかいない。


 なのに。


 二人いる。


 違う。


 今、そこに立つ大蛇と。


 次の瞬間に踏み込む大蛇。


 二つの姿が、重なって見えていた。


「これって……。」


 大蛇の右足が、まだ地面にある。


 だが、その足が次に踏み込む場所が見える。


 肩は動いていない。


 それなのに、腕が振り抜かれる軌道が重なっている。


 白い指先が描く線。


 身体の捻り。


 視線の向き。


 斬撃が通過する空間。


 まだ起きていない動きが、淡い残像となって映し出される。


 大蛇が消えた。


 だが、エレナには見えていた。


 どこへ現れるのか。


 どちらの足から踏み込むのか。


 どの角度で腕を振るうのか。


 考えるより先に、身体が動いた。


 エレナは左足を半歩引く。


 上体を僅かに傾ける。


 ヒュッ――


 白い一撃が、鼻先を通り過ぎた。


 髪が揺れる。


 だが、触れていない。


 何もない空間を切り裂いた。


 いや。


 ほんの一瞬前まで、エレナが立っていた場所を。


 初めて。


 完全に避けた。


 大蛇の動きが止まる。


 黄金色の瞳が、静かに細められた。


「なるほど……。」


 その声には、僅かな感心が滲んでいた。


 悠真は荒い息を吐きながら、目を見開く。


「今の……見えてたのか?」


 エレナは答えられない。


 自分でも何が起きたのか、理解できていなかった。


 ただ、大蛇を見つめる。


 今は一人しか見えない。


 だが、意識を集中させた瞬間。


 現在の姿に、薄いもう一つの姿が重なる。


 次に踏み込む姿。


 ほんの僅か先の動き。


「未来じゃない……。」


 エレナは呟く。


「ほんの少しだけ……。」


「次が……見えた。」


 大蛇は静かに頷いた。


「器が広がるとは、こういうことです。」


 悠真が息を呑む。


「これも……器なんですか?」


「はい。」


 大蛇はエレナから目を離さない。


「器とは、力を溜める容器ではありません。」


「自らの中に眠るものを、受け止めるための広さです。」


「才能は、持っているだけでは使えません。」


「目覚めた力に心が耐えられなければ、恐怖に変わる。」


「身体が耐えられなければ、自らを傷つける。」


「魂が耐えられなければ、その力に人格を呑まれる。」


 エレナは自分の目元へ触れる。


「じゃあ、これは……私の中に、ずっとあったもの?」


「恐らくは。」


 大蛇の声が僅かに低くなる。


「ですが、まだ力と呼べるほどのものではありません。」


「今のあなたが見ているのは、未来そのものではない。」


「相手の魔力。」


「筋肉の収縮。」


「重心の変化。」


「意識の向き。」


「この世界に生じる僅かな揺らぎ。」


「それらを一瞬のうちに捉え、次の動作として認識しているに過ぎません。」


 エレナは大蛇を見つめ続ける。


「でも、動く前に見えました。」


「ええ。」


「通常であれば、まだ形にならない情報です。」


「ですが、あなたはそれを誰よりも早く拾い上げた。」


 大蛇の黄金色の瞳が、僅かに鋭くなる。


「時間そのものを見ているわけではない。」


「けれど、他者より先に『次』へ触れている。」


 エレナの胸が強く鳴った。


 なぜか、その言葉が遠い昔から知っていたもののように響く。


 大蛇はそれ以上を語らなかった。


「今は、その感覚を忘れないことです。」


「見ようとしてはいけません。」


「力めば、今の視界に囚われます。」


「恐怖も、痛みも、相手の殺気も、すべて受け止めたまま、その先にある違和感を拾いなさい。」


 エレナは双短剣を構え直す。


 腕は震えている。


 脚にも力が入らない。


 それでも、先ほどまでとは違った。


 苦しさは消えていない。


 恐怖も消えていない。


 ただ、そのすべてを置いておける場所が、自分の中に僅かに生まれていた。


「もう一度……お願いします。」


 大蛇は微笑んだ。


「よろしいでしょう。」


 悠真も刀を持ち上げる。


「俺も、まだ終われません。」


「では。」


 大蛇は二人を見渡した。


「次は、避けるだけでは済みません。」


 白い衣が、夕暮れの風に揺れる。


「見えたものを信じ。」


「受け止めた恐怖と共に踏み込み。」


「私へ一撃を届かせてください。」


 悠真とエレナの表情が引き締まる。


 大蛇の姿が、再び霞んだ。


 エレナの視界に。


 現在の大蛇と。


 次に動く大蛇が重なる。


 ほんの一瞬先。


 誰にも見えないはずの「次」が。


 エレナにだけ、見え始めていた。

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