第16話 器
山道。
悠真、エレナ、八岐の大蛇の三人は静かに歩いていた。
昨日、上位種に襲われたあの凄絶な激戦の余韻が、まだ空気の底に重く沈んでいる。
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大蛇が、ふと足を止めた。
振り返り、二人を穏やかな目で見つめる。
「悠真さん、エレナ。昨日はよく生き残ってくれました。」
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エレナは黒いパーカーの拳をぎゅっと握りしめ、唇を噛む。
「……私、何も出来なかった。怖くて、身体が動かなかったの。」
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大蛇
「ええ。それが普通です。上位種の放つ殺気は、人の本能を縛るものですから。人間の器では、立ち向かうことすら許されません。」
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悠真
「どうすれば……あの恐怖の中でも動けるようになるんですか?」
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大蛇は静かに、けれど底の知れない瞳で微笑む。
「まず、恐怖に打ち勝つことです。」
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その瞬間、大蛇の身体から、昨日上位種を一瞬で消滅させたあの圧倒的な魔力の片鱗が放たれた。
肌を圧し潰すような神聖な重圧。大気がきりきりと悲鳴を上げて軋む。
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悠真
「っ……!」
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エレナ
「……あ。」
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二人の身体が、再び本能的な恐怖で硬直する。
動けない。指先一つ、大蛇のオーラに縛られて動かせない。
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大蛇
「安心してください。」
大蛇が二人にそっと手をかざす。
淡い光の波紋が、悠真とエレナの身体を包み込んだ。
「私の持つ八つの能力の一つ──『支援』の術です。本来なら、あらゆる身体能力を爆発的に高める私の力ですが……。」
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悠真は自分の身体を見る。
少しだけ呼吸が楽になった。だが、それだけだった。身体の奥が酷く熱く、窮屈に軋んでいる。
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エレナ
「……あんまり、変わらない?」
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大蛇
「ええ。あなたたちの『器』が、まだ小さすぎるのです。これでは私の力を受け止めきれません。」
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エレナは俯き、それから、弾かれたように顔を上げた。
金髪を激しく揺らし、大蛇の目を真っ直ぐに見据える。
「大蛇さん。お願い。私を、私達を鍛えて。もう、誰かがボロボロになるのを見てるだけなんて嫌。二人で……ちゃんと肩を並べて戦えるようになりたい。」
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エレナ
「私は、クロノスの血族。なのに、特別な力が感じられない……。」
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大蛇
「クロノスの血族の力は、永く生きている私も良くは知らないのです。時を司る……とは聞いてますが、その力を見た者は居ないようですよ。」
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大蛇
「覚醒には個人差があります。気になさらないで、今できる事をしましょう。」
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大蛇の纏う空気が、一瞬だけ、酷く切なく揺れる。
「この先は、昨日以上に戻れない危険な旅になるかもしれません。あの天照の言う通り、世界は溢れ始めています。この先も上位種が出ないとは言い切れません。」
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「悠真さん。エレナ。今ならまだ、引き返せますよ。記憶を探すのをやめ、英雄としての仕事を捨てれば、普通の人間として平穏な日々に戻れる。最後の機会です。どうしますか?」
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悠真は、腰に帯びた黒い刀の柄をそっと握りしめた。
「……俺は、行きます。自分が何者なのかを知るまでは、引き返せません。」
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エレナもまた、双短剣を強く握り直す。
「私も行く。ここで立ち止まるくらいなら、前に進む。」
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二人の覚悟を受け止め、大蛇は深く、美しく微笑んだ。
「分かりました。器を大きくしなければ、この先の上位種には絶対に立ち向えません。ですから──これからは旅の間、常にこの支援の術を二人に掛け続けます。」
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悠真
「常にって……この、身体が軋むような重圧をずっとですか?」
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大蛇
「はい。肉体と魂に、私の魔力を四六時中馴染ませ、あなたたちの器を強引に押し広げます。」
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大蛇は静かに、腰の衣服に手を添えた。
空間の密度が、さらに一段階、爆発的に跳ね上がる。
「そのうえで──」
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「今から放つ、私の初撃を避けてくださいね。」
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エレナ
「……は?」
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悠真
「大蛇さ──」
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言葉は、途中で引き裂かれた。
最古の母の姿が、目の前から音もなく掻き消える。
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悠真
「っ!!」
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考えるより先に、腰の黒い刀を抜き放っていた。
『肉体の記憶』が、頭上の空間へと刀を跳ね上げる。
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キィィィン──!!
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鼓膜を突き刺すような鋭い金属音。
悠真の黒い刀が、虚空で大蛇の放った白い一撃と衝突し、強烈な火花を散らした。
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悠真
「う、ぐっ……!?」
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だが、衝突した瞬間に押し寄せた質量は、人間の域を遥かに超えていた。
常に掛けられ続ける『支援』の魔力の負荷。それが肉体を内側から圧迫し、鉛のように重い。
足の骨が軋み、悠真の身体が地面へと沈み込む。
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エレナ
「悠真!」
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エレナが地を蹴る。
魔力の重圧に耐えかねてふらつく足。それを気力だけでねじ伏せ、大蛇の側へ向けて双短剣を交差させて躍り出た。
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大蛇
「いい反応です。」
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微笑む大蛇の声が、真横から聞こえた。
いつの間にか、悠真の刀を押し込んでいたはずの姿が消え、エレナの死角へと回り込んでいる。
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大蛇の白い衣が揺れる。
鋭い回し蹴りが、エレナの脇腹へと迫る。
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エレナ
「うそ……速すぎっ……!」
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エレナは咄嗟に双短剣を盾にするように引き戻した。
激しい衝撃。
少女の華奢な身体が、木の葉のように山道へと吹き飛ばされ、転がった。
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悠真
「エレナ!」
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悠真が駆け寄ろうとする。だが、一歩を踏み出した瞬間に、全身の筋肉が強烈な痙攣を起こした。
常に注ぎ込まれ続ける、大蛇の圧倒的な魔力。
それが肉体の『器』の限界を超え、細胞一つ一つを押し広げようと暴れ回っている。
激しい息切れ。視界がチカチカと明滅する。
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大蛇
「動いてはいけません。術の負荷に身体を馴染ませるのです。魔力を拒絶せず、自らの血管に巡る血の一部だと思いなさい。」
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大蛇は、乱れ一つない姿で静かに二人の前に立ち塞がった。
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大蛇
「私の初撃すら防げないようでは、上位種の殺気の中では再び肉体の蝋人形になるだけです。さあ──立ち上がりなさい。次の攻撃が来ますよ。」
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エレナは泥を拭い、双短剣を握り直して立ち上がる。
悠真もまた、膝の震えを刀を杖にして抑え込み、大蛇を見据えた。
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身体が重い。呼吸が苦しい。
だが、奇妙なことに──彼らの魂の奥底にある『器』が、冷徹な不条理を貪るようにして、静かに、確実に広がり始めていた。
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成長の代償は、
いつだって、命懸けの不条理だ。




