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GATEKeePer−世界にその価値はあるのか−  作者: 大福


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13/29

第13話 約束の形

旅支度を終える。

使い込まれた道具を背負い、昨日大蛇から譲り受けた黒い刀の重みを腰に感じながら、悠真は眩しい朝の光の中に立っていた。


大蛇

「忘れ物はありませんか?」


悠真

「多分大丈夫です。」


エレナ

「大丈夫。」


大蛇

「多分と大丈夫は少し不安ですが。まぁ、エレナがそう言うなら大丈夫でしょう。」


エレナ

「・・・?」


黒いパーカーのフードを小さく傾げ、少女は不思議そうに大蛇を見つめる。

その傍らで、小さな二つの影が悠真の衣服の裾をぎゅっと握りしめていた。


輝和

「もう行っちゃうの!?」


輝夜

「・・・もう?」


悠真

「また来るよ。」


輝和

「ほんと!?」


悠真

「ああ。」


輝和

「約束だよ!」


悠真

「約束。」


輝夜

「・・・。」


ふと見下ろすと、輝夜がじっと、吸い込まれそうなほど真っ直ぐな瞳で悠真を見上げていた。


悠真

「どうしたんだ?」


輝夜

「大人になったら。」


悠真

「ん?」


輝夜

「お嫁さんにしてね。」


悠真

「・・・え?」


唐突な言葉に、悠真は思わず声を裏返らせて硬直する。


輝和

「ずるい!」


大蛇

「輝夜。」


最古の母の、少しだけ困ったような、けれど愛おしさを隠せない声。


輝夜

「・・・約束。」


大蛇

「ふふっ。小さい子の言うことですから。」


悠真

「それなら安心ですね。」


大蛇

「安心するところでしょうか?」


悠真

「違うんですか?」


大蛇

「どうでしょうね。」


悪戯っぽく微笑む大蛇の視線を前に、悠真は頬を掻く。その横で、輝夜の小さな小さな掌が、悠真の指先にそっと触れた。


輝夜

「・・・約束。」


その一途な熱に背を押されるように、悠真は優しく微笑み、その小さな手を握り返した。


悠真

「・・・ああ。約束だ。」


輝夜

「うん。」


少女の口元が、嬉そうに、誇らしげに綻ぶ。

大蛇は愛おしそうに、二人の柔らかな頭を優しく撫でた。


大蛇

「いい子にしているんですよ。」


輝和

「してる!」


輝夜

「・・・してる。」


大蛇

「返事だけではなくて、本当にですよ?」


輝和

「うっ。」


大蛇

「お手伝いも。」


輝和

「できる!」


大蛇

「妹と喧嘩をしない。」


輝和

「それは輝夜次第!」


輝夜

「・・・ひどい。」


大蛇

「ふふっ。仲良くすること。」


輝和

「はーい!」


輝夜

「・・・うん。」


差し込む朝光の中、大蛇は静かに愛娘たちを見つめ、それから一歩,、前へと踏み出した。


大蛇

「では。行ってきます。」


輝和

「いってらっしゃーい!」


輝夜

「・・・いってらっしゃい。」


歩き出す。

ざわめく緑の山道を数歩進み、悠真はふと振り返る。

古びた集落の境界で、二人の小さな少女は、まだちぎれんばかりに手を振り続けていた。

大蛇もまた、慈愛に満ちた眼差しで、その小さな背中に手を振り返す。


そこにいたのは、世界を揺るがす最古の異血ではない。

ただ、最愛の我が子の無事を祈り、いつか還る場所を守り続ける、一人の母親の顔だった。


───


それから、静かな山道を三人は歩いていた。

ざわめく木の葉の音だけが、彼らの足元に落とされる長い影を揺らしている。


風が木々を揺らす。

誰も言葉を発しない。

背後へ遠ざかっていく集落の温もりが、まだ肌に残っているような静けさだった。


エレナ

「静かだね。」


悠真

「そうだな。」


エレナ

「寂しい?」


悠真は少し考える。

乾いた土を踏みしめる音だけが、規則正しく響いていた。


「・・・かもな。」


エレナ

「ふーん。」


いくつかの歩幅。しばらく、静かな間が流れる。


「特に輝夜ちゃん。」


悠真

「子供の言うことだろ。」


大蛇

「子供は案外、本気ですよ?」


悠真

「・・・。」


大蛇

「あの子は、昨日助けてもらった時のことを今でも覚えています。」


悠真

「そんな大したことしてないよ。」


大蛇

「あなたにとってはそうでも、あの子にとっては違うんですよ。」


大蛇は足を止めず、木々の隙間から覗く淡い空を見上げる。


「人は案外、小さなことで救われるものです。」


エレナ

「・・・。」


黒いパーカーのフードを小さく直しながら、エレナはただ大蛇の横顔を見ていた。


悠真

「そういうもんか。」


大蛇

「そういうものです。」


少し、傾斜のきつくなった山道を歩く。


大蛇

「それに・・・約束は大事にしなければいけません。」


悠真

「約束?」


大蛇は振り返らず、優しく笑う。


「ええ。子供は、約束を覚えていますから。」


悠真は少し困ったように笑う。

腰に帯びた黒い刀が、歩調に合わせて微かに鳴った。


「・・・なら守らないとな。」


大蛇

「はい。」


エレナ

「破ったら大変そうだもんね。」


悠真

「他人事みたいに言うなよ。」


エレナ

「私は知らないよ?」


三人の間に、短い笑いが弾けるように漏れた。

遠くで風が吹く。見下ろす谷の向こう、もう異血の集落の姿は見えない。


それでも、確かにそこには、自分たちを待っている帰る場所があった。


約束は、人を縛るものじゃない。

帰る場所を作るものだ。


───


異血の集落を離れてから数時間。

空気は穏やかだった。木漏れ日はまだ、先ほどまでの温かい日常の余韻を残している。


その時だった。


大蛇が、音もなく足を止める。


悠真

「どうしたんだ?」


大蛇はただ、静かに空を見上げる。

「 ...…来ます。」


エレナ

「怪異?」


大蛇は静かに首を横へ振る。その瞳に、冷徹な緊張感が宿った。

「英雄です。」


次の瞬間。

山道の先、傾いた陽光を背にして、一人の男が立っていた。


黒を基調とした和装。

短く整えられた黒髪。

腰には、飾り気のない一本の刀。


特別に身体が大きい訳じゃない。威圧的な装飾がある訳でもない。

だが、そこにただ佇んでいるだけで、大気がきりきりと音を立てて張り詰めていく。


悠真は無意識に、腰の黒い刀の柄にそっと手をかけ、呼吸を忘れて息を飲む。

強い──その事実だけが、理性を介さずに脳髄へ突き刺さる。

隣にいる最古の母、大蛇とも違う。紛れもない人間のはずなのに、人間の枠を遥かに踏み越えた絶対的な存在。


大蛇

「お久しぶりです。」


男は小さく頷く。その声音には、一切の感情の起伏が欠落していた。

「八岐。」


男の冷徹な視線が、滑るように悠真へ向く。

数秒。魂の底まで見透かされ、天秤に掛けられるような値打ちを測る視線。


放置されたままの世界を維持する冷酷な眼差しが、少年へ言葉を投げかけた。

「変化はまだか?」


大蛇

「──兆しは、僅かに。」


男は感情を交えずに、ただ事実だけを受け止めるように頷いた。

「そうか。」


興味を完全に失ったように、視線が悠真から外れる。

悠真はただ、その言葉の意味が分からず、刀の柄を握ったまま立ち尽くすしかなかった。


男は再び、大蛇を見る。

「最近はどうだ。」


大蛇の表情が、一瞬だけ翳る。

「良くありません。北側の境界が不安定です。上位種の出現頻度も増えています。」


男は、微動だにせず黙ってその報告を聞いている。


大蛇

「先月だけで三体。ここ百年で最悪です。」


男の表情は、一片の揺らぎすら見せない。

「・・・溢れ始めたか。」


大蛇

「ええ。向こう側も、結界の限界が近いのでしょう。」


悠真

「上位種って、なんなんだ?」


大蛇

「怪異の上位存在です。一体で都市を滅ぼせます。」


悠真

「・・・は?」


エレナもまた、黒いパーカーのフードの奥で言葉を失っていた。

男は無言で、最果ての天を見上げる。


「封印はあと何年持つ。」


大蛇

「十年。」


少しだけ間を置き、沈痛な沈黙が流れる。

「いえ。もっと短いかもしれません。」


深い沈黙。風が、死んだように止まる。


そして。

大洋の如き巨大な影が頭上の太陽を遮り、空が急激に陰った。

悠真が思わず見上げる。


巨大な影。驚くべきことに、音がしない。

巨躯を支える翼が羽ばたいているはずなのに、風の鳴る音すら何も聞こえない。


白と黒の美しい羽毛。すべてを見下ろす黄金の瞳。

厳かな獅子の身体に、不気味にうごめく蛇の尾。

神話がそのまま現世へ滑り出してきたかのような、圧倒的な存在。

それは木々を揺らすことすらなく、静かに地上へと降り立つ。


エレナ

「・・・綺麗。」


大蛇

ぬえです。古い異血ですよ。」


鵺は、その黄金の瞳を和装の男──天照へと向けた。

『終わったか。』


天照

「ああ。」


それだけだった。会話は、最小限の音だけで完結する。

天照は流れるような動作で鵺の背へと飛び乗った。


去り際、男は一度だけ、振り返る。

「八岐。何かあれば呼べ。」


大蛇

「ありがとうございます。」


鵺が、再びその巨大な翼を広げる。やはり、羽ばたきの音は一切無い。

ただ、大気を強烈に押し出す冷たい突風だけが、彼らの髪を激しく揺らす。


次の瞬間。

巨大な身体が、最初からそこにいなかったかのように、空へ溶けるように消え去った。


悠真

「 ...…今のは、なんだったんだ。」


大蛇は、遠ざかる空を見つめながら、少しだけ寂しげに笑う。

「英雄ですよ。」


悠真

「英雄って、全員あんな化け物みたいな奴なのか?」


大蛇

「いいえ。天照は特別です。」


大蛇は、何もない青い空を見上げる。

「昔からずっと。世界を守ってきた人ですから。」


遠い空。鵺の姿はもう、雲の彼方へと消えて見えなかった。


───


英雄は世界を守る。


そして、


見届ける者もまた存在する。


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