TRACK-3 烽火を上げよ 10
レジーニは歯がゆさに苛まれながらも、ドミニクとラグナ・ラルスの戦いを、固唾を呑んで見守っていた。
はじめは、まるでエヴァンがドミニクを殺そうとしているように見えて、複雑な心境だった。
だが戦い方も雰囲気も、何もかもがエヴァンとは違っていた。
エヴァンにはない、驚異的な身体能力。純粋な力の差。マキニアンの中でも、一撃のパワーがトップクラスだというドミニクが、子ども相手のように軽くいなされてしまう。
ドミニクの肩がラグナの凶刃に貫かれ、追い打ちをかけられる寸前、レジーニはブリゼバルトゥを構えて駆け出した。
ドミニクを庇うように両者の間に割り込み、振り下ろされたラグナ・ラルスの右腕のブレード、その付け根の手首を柄と見立て、ブリゼバルトゥで受けた。防いだ剣は想像以上に重く、踏ん張らなければ押し潰されそうだ。
今、ようやく真正面からまともに向き合う。同じ容姿といえども、エヴァンとラグナは完全な「別人」なのだ、という現実をまざまざと突きつけられた。
ラグナはレジーニを見ているものの、緋色の瞳に活力は無く、顔はどんな感情も表していないのだ。
相棒が、こんな“無”の情調を漂わせたことは、一度としてない。
こんな目は、見たくなかった。
ブリゼバルトゥと鍔迫り合い状態のまま、ラグナがブレードを水平に倒した。次の瞬間、真紅の切っ先が、レジーニの眉間目がけて突き出される。
それはごく僅少だが、常人の目では捉えられないほど速い動きだった。
しかし、レジーニには“視え”た。
ドミニクとの戦いでは、肉眼で追いつけないほどのスピードを発揮していたラグナの動作が、今のレジーニには緩やかに視えていた。先日のアゴニー討伐の際に起きた現象と同じだ。
戸惑う余裕はない。今はむしろ、この不可解な現象を利用しなければ。
レジーニはブリゼバルトゥを、柄を上向きにして立てながら、ゆっくり迫るラグナのブレードを弾き返した。がら空きになった胴に回し蹴りを叩き込み、負傷したドミニクとラグナとの距離を稼ぐ。
それまで何の表情も見せなかったラグナが、一瞬だけ大きく両目を開いた。マキニアンでもない生身の人間に剣を見切られ、あまつさえ攻撃まで受け、さすがに驚きを隠せなかったらしい。
(ただの人間に反撃などされまいと、高を括っていたようだな)
レジーニは皮肉めいた笑みを、口元に浮かべた。
ラグナに対抗できるのは、自分と他者の時間の流れが乖離する、この現象が発動している間だけだ。
効果が消失するまでに、ラグナを制圧しなければならない。
(やれるか……?)
早くも動悸が乱れ、目の奥が熱くキリキリ痛む。身体にかなりの負荷がかかっているのだ。猶予はない。それでも――、
(やるしかない)
ラグナがレジーニを睨み、走る姿勢をとった。さすがというべきか、アゴニーほど動きが鈍く見えない。それだけもとの俊敏性が高いということだ。
マキニアンならば、ある制限が課せられているはず。最強といわれるラグナ・ラルスにも、果たしてその制限は有効なのだろうか。
それを確かめる方法は、一つしかない。
レジーニはブリゼバルトゥを地面に突き刺し、手を離した。ホルスターから銃を抜き、これもその場に落として走り出す。一切の武器を持たずに、ラグナを迎え討つ。
ラグナが忌々しげに目を細めた。彼の真紅のブレードが収縮し、腕の形状に戻った。
読みが当たってくれた。ラグナもオートストッパー――非武装者に対しては細胞装置を起動できないセーフティ機能――が有効なのだ。
走る勢いで、ラグナが回し蹴りを放った。レジーニは腕を掲げてガードし、続けて繰り出された蹴りも、かがんで回避。すぐさま体勢を整え、ラグナにパンチを喰らわせる。
ラグナはこれを避け、レジーニの腕を掴むと、捻り上げながら投げた。
受け身をとったレジーニは即座に立ち上がり、低い位置からラグナの胴体を蹴りつける。相手にダメージが入った様子はないが、レジーニは構わずタックルを仕掛けた。
ラグナがカウンターの膝蹴りを放とうとしている。狙い定めているのは顎。
レジーニはこれも読んでいた。ゆっくり迫るラグナの右膝を、左手で外側に払いつつ、流れるような腕運びで左フックに繋げる。
拳がラグナの顎にヒット。よろめいた隙に、数発続けて胴へのパンチを浴びせた。
確実に当たってはいるものの、やはりラグナがダメージを負った様子はない。相変わらずの無表情で、何事もなかったように体勢を戻している。
こちらの攻撃は的確だが、効いていない。まずいことに、レジーニの鼓動と呼吸はさらに荒くなり、ラグナの動きが速くなっていた。時間乖離が解除されつつあるのだ。
このまま時間の流れが通常に戻れば、その反動で極度の疲労が押し寄せてくる。そうなれば、しばらく自力で動けなくなるだろう。
(タイムリミットなのか……)
脂汗が額に滲み、視界がかすんできた。乱れた呼吸を整えようとしても、荒ぶる心臓の動きについていけない。アゴニーのときよりも消耗が激しかった。
ラグナを弱らせることも叶わないまま、相棒を取り戻すためにできることが何ひとつないまま。
返り討ちに遭って終わるのか。
突然、心臓を鷲づかみにされたような苛烈な痛みがはしった。レジーニは秀麗な顔を苦痛に歪めて胸を抑え、呻きながら地面に膝をついた。
身体に限界がきたのだ。呼吸はますます苦しく、息を吸っても肺が満たされず、喘ぎ声にしかならない。
足音が近づいてくる。早く立ち上がらねばと己を叱咤するが、指の一本すら満足に動かせなかった。
ラグナが右手を伸ばしてきて、レジーニのワイシャツの襟首を掴んだ。そのまま引っ張り立たされ、近くに停まっていた車の側面に、背中から叩きつけられる。衝撃でドアガラスが割れた。
ラグナの絞めつけが強くなり、レジーニの首が圧迫された。どうにか逃れようと、ラグナの手を何度も殴りつけるが、効果はなかった。
生気のない緋色の目が、レジーニを静かに見据える。すると、それまで固く一文字に閉じられていた唇が、ゆっくりと開いた。
「俺より速かった」
抑揚のない、相棒の声。
「何者だお前」
顔を近づけ、レジーニの目を覗き込むように凝視する。その双眸が、驚いたように一瞬見開かれた。
「ああ、そういうことか」
「何の……話だ……!」
「片鱗だ。お前が、いつか成るモノの」
「いつか……成るモノ……だと?」
「死ねばわかる」
レジーニの背筋を、冷たいものが伝う。まるでブリゼバルトゥに斬りつけられたかのように。
死ねばわかる。いつか成るモノ。
その意味を理解してしまいそうで、レジーニは戦慄した。
ラグナの右手が、レジーニのワイシャツから首に移り、一気に絞め上げてきた。
レジーニは喘ぎながらも手を伸ばし、ラグナを引き離そうと彼の身体を押した。しかしその腕も掴まれ、唯一の抵抗手段を封じられた。
首を絞める手に、力が加えられていく。喉仏が押し潰され、気道が狭まり、もはや喘ぐことさえままならない。
これまでなのか。絶望がレジーニの脳裏をよぎった、そのときだった。
無感情に首を絞め続けていたラグナが、突然顔をこわばらせ、レジーニから離れた。
その直後、銀色の光がひと筋、閃く。
風が一陣吹いたかと思うと、レジーニの眼前からラグナが消えていた。
代わりに、見知らぬ何者かが、そこに立っていた。
レジーニは、急に解放された気道が吸い込んだ空気にむせ、咳き込みながらも、その人物を見やった。
精悍な横顔の男だった。長い黒髪を一つにまとめ、裾の長いミリタリーコートを羽織っている。
右手に握るのは、刀身がゆるやかに湾曲した剣。東方の刀だろうか。秋の陽光を反射し、雄々しく輝いている。さきほどの銀の光と風の正体はこれだ。
この男が、肉眼では捉えられない速さでここまで駆け寄り、ラグナに対して一太刀振りぬいたのだ。
ラグナが瞬時に危険だと判断し、飛び退って距離をとるほどの人物。
(誰だ……?)
男が顔をレジーニの方へ向けた。険しくも、意思の強さを感じさせる凛呼とした藤色の瞳が、レジーニをまっすぐに見る。顔立ちから、東方の出身者だとわかった。
男が頷く。いや、目礼に近い会釈か。刀を握り直し、また正面――ラグナの方を向いた。
レジーニは、バージルから聞いた話を思い出した。
弟子とともに、メメント討伐依頼の執行中、どこからともなく現れた、東方系の男に助けられたと。
その男は、たったの一撃で、メメントを屠ったのだと。
後日レジーニは、ドミニクにもその話をした。彼女は、男の正体に心当たりがある、と言った。
かつて、マキニアンの精鋭部隊〈処刑人〉を率いていた人物だ。全マキニアンの頂点にあり、ラグナや、あのシェド=ラザさえも抑えこめたという。
その男の名前は、ルミナス。




