TRACK-3 烽火を上げよ 9
いつかこんな日が来るのではないかと懸念していた。
エヴァンの中にラグナ・ラルスの人格が潜んでいる以上、いずれ何らかのきっかけで目覚めるのではないか。彼が現れれば、愛すべき義弟は消え、ソニンフィルドのもとへ去ってしまう。そうなれば、敵対関係になってしまう。
アトランヴィル・シティでエヴァンと再会してから、ドミニクが人知れず危惧してきたことだった。
――大丈夫、そんなことになりはしない。
前向きに自分に言い聞かせてきた。しかし、最悪の事態は現実になってしまった。
ドミニクは早鐘を打つ心臓を鎮めるため、ゆっくり呼吸した。数メートル先に、エヴァンの身体を乗っ取った、恐るべき戦闘鬼がいる。無言無表情で、獲物を狙う捕食者のように、ひたとドミニクを見据えている。
〈SALUT〉時代、幾度となく目にしてきた、ラグナの力。ドミニクは、エヴァンを怖いと思ったことは一度もない。だがラグナの戦い方には容赦がなく、エヴァンと同じ外見でありながら、ドミニクは彼を恐れた。
(あれはエヴァンじゃない)
ドミニクがまばたきをした、その一瞬のうちに、ラグナが一気に距離を詰めてきた。弾丸のごとき速度だ。
視界の左端から、真紅の光が迫る。ドミニクは細胞装置によって鋼鉄化した腕を上げ、すんでのところで真紅の光を受け止めた。金属同士が衝突する、甲高い音が響き渡る。
真紅の光の正体は、ラグナの細胞装置――つまりは、エヴァンの本来の細胞装置――〈レーヴァティン〉の右ブレードだった。攻撃を受けとめた反動で、ドミニクの身体がやや傾く。しかし、踏みとどまった。
「くっ……!」
ラグナは攻撃の手を休めない。止められたブレードを引き、今度は左斜め下から振り上げた。ドミニクは上半身を反らしてかわすも、返す刀で降ろされたブレードに首元を狙われ、とっさに右腕で防ぐ。
ラグナの左のブレードが、まっすぐに突き出された。かわしきれない、と瞬時に判断したドミニクは、紅い刀身を掴んで引き寄せ、ラグナの胸元を蹴りつけた。
強烈な蹴撃により、ラグナが後方へ飛ばされる。距離が開いた隙に、ドミニクはケルベロスの砲台を呼び寄せた。三基のうち二基を左右の空中に配置、両腕と動作リンクさせて構え、体勢をやや下げながら右パンチを繰り出した。
右の砲台がドミニクの拳となり、ラグナに重量級の一発を見舞う。ドミニクは左パンチでさらに攻めた。
ただのメメントであれば、この一、二発でほぼ仕留められる。しかし相手はラグナ・ラルスだ。
(手を止めてはだめ。向こうにペースを掴まれたら勝ち目はない)
左の砲台の一撃を放った瞬間に、ドミニクは走り出していた。ラグナがこれしきでダウンするはずがない。案の定ラグナは平然としており、ケルベロスの砲台二基を軽く払いのけていた。
ドミニクはわずかな隙で間合いに入り込み、今度は自らの拳で挑んだ。鋼鉄のパンチを連続で浴びせる。そのすべてをラグナに防御されたが、ドミニクは怯まない。
ドミニクの何度目かのパンチを、ラグナが捌いた直後、一瞬だけ胴のガードが緩んだ。すかさずそこを蹴り込み、よろめかせる。続けて放った回し蹴りが、ラグナの胸に見事にヒットし、大きくたたらを踏ませた。
だがラグナは持ちこたえ、再び右腕をブレード化させ、上体をかがめて踏み込んできた。
紅の剣先が、先ほどより速いスピードで、ドミニクの胴体を突き刺さんと襲いかかる。ドミニクは反射的に跳び退ったが、ジャケットの腹部が切り裂かれた。あと一瞬でも回避が遅れていたら、被害は服だけでは済まなかった。
ドミニクが反撃の体勢を整えるより早く、ラグナの猛攻が始まる。風を斬るほど疾く鋭い真紅の剣舞が、ドミニクの胴と言わず手足と言わず切り裂く。マキニアンの治癒能力で傷はすぐに塞がるが、その治癒能力を上回るスピードで、傷が増えていった。
押されながらもどうにか剣撃を捌いていたドミニクは、自身も右腕をブレードに変形させ、突き出されたラグナの剣を、寸でのところで弾き返した。
ブレードはマキニアンの基礎スペックの一つで、刀身のカラーが個人により異なる。ラグナの真紅の刃に対し、ドミニクのブレードは薄紫がかったグレーだ。
ドミニクの得手はエヴァンと同じく、打撃と蹴技を中心とした近接格闘である。ブレードを使用することは少ないが、決して苦手というわけではない。
「どちらが先にブレードをうまく使いこなせるようになるか、勝負したこともありましたね」
そう言葉をかけたところで、ラグナが返事をするはずもなく。エヴァンの記憶を継いでいるのかさえわからない。
それでも、ふと思い出された懐かしい昔を、思わず口にしてしまったのは、虚ろな緋色の瞳の中に、エヴァンがいるのではないかと期待したからだった。
ドミニクの心境など知る由もないラグナは、淡々と、しかし正確な動きでブレードを振るう。真紅の刃が彗星の如く、空気中に軌跡を描いた。
ドミニクは激しく迫るラグナの剣を受け流し、あるいは捌いて反撃に繋げた。攻撃の隙を見出すのは困難だったが、いくらもないチャンスを逃すまいと、神経を尖らせた。
ドミニクの目的は、ラグナを倒すことではなかった。エヴァンにまで影響を及ぼしかねない状態にはしたくない。戦意喪失にまで追い込めればよかった。〈VERITE〉から、ソニンフィルドからラグナを引き離したいのだ。
だがそのためには、ラグナを倒すくらいのつもりで全力を出さなければ、逆にこちらが倒される。ドミニクはブレード同士の攻防の最中、密かに次の手段の準備をしていた。
ラグナがブレードを振りかざした瞬間、ドミニクはすかさず前に踏み出して、その腕を強かに蹴り飛ばした。立て続けに鳩尾に回し蹴りを叩き込み、三発目を腹に見舞う。
ラグナはややバランスを崩したが、ダメージなどないというように平然と立て直すと、ドミニクの足を片腕だけで抱え込み、投げ飛ばした。
ドミニクが地面に倒れ伏すや、ラグナは右腕をドラゴンの顎に似たフォルムの籠手に変え、追撃の拳を掲げた。
(まずい!)
とっさの判断で横に転がった直後、ドミニクの身体があった地面に、ラグナの拳がめり込んだ。コンクリートの地面が、クレーター状にひび割れる。
転がって距離をとったドミニクが顔を上げたとき、沈黙のままこちらを見据えるラグナと目が合った。
そのとき、察した。
ラグナはまだ本気を出していない。
五体満足で連行せよ、とでも命令されているのだろうが、ドミニクもかつて〈処刑人〉に所属していたマキニアンだ。侮られているというよりは、ドミニクと戦うのに、本領を発揮するまでもない、ということなのだろう。
その証拠に、ラグナの最大の武器である光学兵器を、まだ一度も行使していなかった。
(これが、本来のラグナ・ラルス……)
万全の体勢を整えられたラグナ・ラルス。
――勝てない。
絶望がドミニクの胸中を絞めつけた。だが、すぐに気持ちを奮い立たせ、ラグナを睨み返す。足止めさえできないのなら、なおさらレジーニに戦わせるわけにはいかなかった。
もしレジーニがラグナと戦うことになったら、間違いなく殺される。それだけは絶対にさせてはならない。
エヴァンと同じ身体で、相棒を手にかけさせてはならない。
ドミニクはラグナに向けて、両手を伸ばした。〈ケルベロス〉の三基の砲台が飛来し、ラグナの周りを取り囲む。砲台は空中で分解し、各パーツが小型の砲筒に変形した。
十五基の小型砲筒に姿を変えた〈ケルベロス〉が、赤いレーザーポインターを照射。包囲したラグナの全身にロックオンする。
〈ケルベロス〉は“砲台”だ。本来の機能として、カノンロアと名付けられたエネルギーキャノンを撃つことができる。一発の威力が凄まじいために、ドミニクは強力なメメント相手にしか用いらないようにしていたのだ。
小型砲筒に分解させたのは、逃げ場を失くすためだった。通常の大型砲台のままでは、俊敏性に優れるラグナに隙間を縫われてしまう。小型に分散させ、包囲網を狭めて、逃げ道を与えないのが狙いだ。
いつもは使用をためらうカノンロアだが、悠長なことは言っていられない。こうでもしなければ止められない相手なのだ。
「お願い、私にこれを撃たせないで」
ドミニクの言葉は本心からだった。できることなら撃たずに済ませたい。
ラグナがゆっくりと砲筒を見回す。
次の瞬間、ラグナを中心に、まばゆい光の線が閃いた。
(いけない!)
直感的に危機を察したドミニクは、ケルベロスの小型砲筒を退こうとした。しかし間に合わなかった。
砲台の二基分が、ラグナの放った鞭状のレーザーによって、無惨にも破壊されてしまったのだ。
辛うじて避難できた一基を手元に呼び戻す、そのたった数秒の間に、ラグナはドミニクの眼前に移動していた。防御の姿勢をとる暇もなく、紅く煌めく〈レーヴァティン〉の刃が、ドミニクの左肩口を貫いた。
「あぐッ……!」
燃えるような激痛が全身を駆け巡る。ブレードが引き抜かれ、肉の灼ける厭な匂いがたち、ドミニクは膝から地面に崩れ落ちた。
ラグナがついに光学兵器を行使した。そのショックと焼けるような痛みのせいで、ドミニクの身体が震える。光学兵器で灼かれては、治癒能力をもってしても、完治には時間がかかる。なにより被ダメージが大きい。
左肩の傷口を右手で抑えるが、抉られた部分は塞がらない。全身に、火花のようなノイズがはしる。荒い呼吸を繰り返すドミニクの頭上に、不穏な影が被さる。伏せた視界に入るのは、ラグナの爪先。
とどめを刺される――。
歯を食いしばった、そのとき。
別の爪先が目の端に映り、金属同士が衝突する甲高い音が響き渡った。
「誰を傷つけたか、わかっているのか」
割り込んだ声には、冷ややかだが焦げつくような怒りが滲んでいた。




