第二章 涙の温度
それからしばらくして、家に合格通知が届いた。お昼時にお母さんがキッチンから「優華!優華!」って叫ぶから何だろうと思って行ってみれば、「ヒーロー協会からなんか来てるわよ!」とのことだった。
「早く開けてみなさいよ。」
「わかってるって。」
私はドキドキしながら合格通知を開けた。お母さんの方がドキドキしているみたいだった。私はそれに少し笑いそうになって、急いで封筒を開けた。
「やった、合格だって!」
お母さんは両手を胸の前で握って、そのまま小さな声で「よかった」と言った。
「よかったー!」
お母さんは私が机に置いた手紙を手に取り、何度も読み直していた。
「鏡太くんに連絡してくる。」
私は自分の部屋に戻った。
「ヒロシの結果届いてた?」
鏡太くんにメッセージを送ると、すぐに既読がついた。
「うん、見たよ。」
「どうだった?」
「合格。優華ちゃんは?」
「私も合格!」
鏡太くんから「おめでとう」というスタンプが届いた。私はテンションに任せて普段なら言わないようなことを言ってみた。
「今日この後会わない?」
「いいよ。」
「じゃあ3時に駅前でどう?」
「いいね。」
私たちは祝勝会をすることになった。私は急いでシャワーを浴びに行った。3時ならあんまり時間ないじゃん!バカ私。
3時ちょうどに駅前に行くと、鏡太くんが待っていた。
「お待たせ。」
「いや今来たとこだけど。」
「そっか、ありがと。どこ行こっか。」
「んー、散歩でもしない?」
「アリですね。」
私たちは川辺を歩くことにした。鏡太くんが話し出した。
「まずは、合格おめでと。」
「お互いね。」
「合格するだろうと思ってたけど、合格してみると変な気分だな。」
「わかる。なんか実感ないよね。」
「うん、僕らがヒーローだってさ。」
「変な感じだよね。」
私たちはしばらく歩いた。何でもない話で盛り上がって、この時間がずっと続けばいいのにって思った。
「あそこのベンチ座ろ。」
どっちが言い出したんだっけ。私たちはベンチに座って、静かな川を眺めながらおしゃべりすることにした。私は思った。ここしかないんじゃないか、と。鏡太くんに私の想いを伝えるなら、今じゃないかって。でも、怖かった。この時間がいつか終わってしまうのだと知ることが、たまらなく怖かった。私は、しばらくの間、本当の気持ちを言い出せずにいた。
でも、私は強いのだ!今、ここで、伝えるのだ!
「ねえ、鏡太くん。」
「なに。」
「あのね、私には、鏡太くんが何を考えているかわからない時があるの。」
「うん。」
「鏡太くんは、きっと私の知らない今までを過ごしてきて、その中で大事にしてるものとかもあると思うんだけど、私はね、今、一緒にいる鏡太くんのことを考えるのが好きなの。」
「うん。」
「どんな過去を生きてたのかは知らないし、教えて欲しいなんて言うつもりもない。けど、鏡太くんがこれからどんな未来を生きていくのか、私に教えてほしい。」
「うん。」
「だからその、つまりね、えっと、私と一緒にいてください!」
言っちゃった。あれ、でも私、恋人としてって言ってなくない?ばかばか。
「その、ずっと好きでした!」
鏡太くんは少し黙って、何かを考えているようだった。ダメだったんだな。私は静かに思った。涙が出そうだったけど、俯いて鏡太くんには涙が見えないようにした。
「ごめん。」
鏡太くんは優しい声でそう言った.
「好きな人がいるんだ。」
鏡太くんの、私の大好きな声でそう言った。
「自分でもわかってる。僕は過去に囚われてるん…」
それ以上の鏡太くんの言葉は、何も入ってこなかった。鏡太くんは一人でぶつぶつと何かを言っていた。私はただ自分の目から大粒の涙が溢れるのを感じた。膝の上にギュッと握った手に落ちてくる涙は温かくて気持ち悪かった。自分では、とっくに諦められていると思っていた。もうすでに鏡太くんのことは諦められていて、ただの綺麗な終わり方として告白するのだと思っていた。でも、実際の私は違って、もっと薄汚かった。もしかしたら、と期待する自分がこんなに大きかったなんて、鏡太くんの反応を見るまで自分ではわからなかった。その落胆はあまりに大きくて、私一人では抱えきれなかった。私の体から溢れていく涙は、その落胆の分だけ汚かった。
「だからごめん、優華ちゃんとは一緒にいられない。」
私は涙を拭った。
「いいの。そう答えるのはわかってたし。」
「ごめんね。」
「いいってば。」
私たちの間に、沈黙が流れた。鏡太君の顔を見ることはできなかった。見たらまた泣いてしまいそうだったから。私は深呼吸を二回して、彼の名前を呼んだ。
「鏡太くん。」
「なに。」
「私の気持ちを聞いてくれてありがとう。」
「うん。」
鏡太くんは、いつも通りだった。それがなんだか悔しかった。
「鏡太くん。」
「なに。」
「きっとこれで最後だね。」
「うん。」
「鏡太くん。」
「なに。」
「今のうちにいっぱい呼んでおこうと思って。」
「そっか。」
「鏡太くん。」
「なに。」
「きっと鏡太くんは、その恋を諦める時が来るよ。」
「そうかな。」
「そうだよ。」
私は、鏡太くんとの、あったかもしれない未来を想像した。一緒に住んで、一緒にご飯を食べて、一緒に眠る。そんな温かい未来は、確かにそこに存在したかもしれないと、そう思った。能力のない普通の人同士の普通の人生が、絶対にそこにあるはずだった。それは絶対に、幸せなはずだった。でも、きっと鏡太くんはそんなものを望んではいない。普通から一生懸命離れようとしている、ただの普通な人。それが鏡太くんだった。きっと鏡太くんはそれにいつか自分で気づく。それくらいの賢さは持ち合わせている人だから。今は彼の若さが、輝いて見える未来が、その現実を覆い隠してしまっているだけ。自分でいつか気づく。もしその時に私が鏡太くんと出会っていたら。もしかしたら、違ったのかもしれない。でも、しょうがないのだ。鏡太くんは馬鹿だから、まだ気づけないの。幸せは、こんなに近くにあるのに。
「私といれば、きっと幸せになれるよ。」
「うん。そんな気がする。」
なにそれ。そう思うなら大人しく私と一緒にいなさい。
「それでも、返事は変わらないんだよね。」
「うん。ごめんね。」
「いいの。」
泣かない。そう決めたの。
「鏡太くん。」
「なに。」
「ずっと、楽しかったよ。ありがとう。」
「こちらこそ。」
「鏡太くん。」
「なに。」
「私といた未来より、絶対、幸せになってね。」
この時頬を流れた涙の温度を、私は一生忘れないだろう。




