第二章 幸せっていうのは
ヒーロー試験の当日、私は緊張していた。
「優華、忘れ物はない?」
「大丈夫。さっき確認した。」
「じゃあ気をつけて行ってくるのよ。」
お母さんの方が緊張しているみたいで、私は笑いそうになった。いい家族だ。緊張を和らげてくれる。お父さんは先に仕事に出ちゃったけど、昨日の夜に「頑張れ」って言ってくれた。
「いってきまーす。」
私は鏡太くんと駅で待ち合わせをして、一緒に会場に行く予定だった。私が駅に着くと、鏡太くんは先に着いていて私を待っていた。
「お待たせ。」
「今来たとこ。」
「そっか。」
「じゃ、行こ。」
私たちは電車でヒーロー協会の本部がある大きな街へ向かった。
「緊張するね。」
「うん。」
鏡太くんも緊張しているようだった。試験会場に着くと、それぞれに席が割り振られていて、私と鏡太くんは離れ離れになった。
「頑張ろうね。」
「うん。」
私たちは自分の席についた。私の席は長机の一番右側。左側には小柄な大人しそうな女の子が座っていた。みんなライバル。だけど仲間だ。私は気合いを入れ直した。集中しゅーちゅー。試験用紙が配られてからのことは、あまり覚えていない。ちゃんと集中できていたと思うし、それに何より今までの対策の成果が出せたと思う。鏡太くんといっぱい対策をした甲斐あって、試験は無事に終わった。多分、大丈夫。
試験が終わると、左隣の席の女の子が話しかけてきた。
「試験どうだった?」
私はちょっとびっくりした。だって、女の子の顔も、声も、あの夢に出てきた女の子そっくりだったから。空に落ちていった女の子そのままだったから。
「難しかったですー。」
私は初対面の女の子を目の前に、言葉を選んだ。
「そう。でも自信ありって感じに見えるわ。」
「そんな風に見えます?」
「うん。私にはわかるの。」
なんだろうこの感じ。この人はなんだかプライベートな距離にずけずけと土足で入ってくる。
「え、逆に難しくなかったですか?」
「難しくはなかったわ。この程度できて当然って感じ。」
「すごいですね。」
会話を終わらせよう。そう思った。
「あなた、境界能力者ね。」
「え。」
女の子はふふんと笑った。
「治癒の能力。そうでしょ。」
「そうですけど、なんでわかるんですか?」
「私がそういう能力者だからよ。判別の能力と呼んでいるわ。」
「能力者はこの試験を受けられないはずですけど。」
能力者は非能力者とは別の試験を受けてヒーローになる。法律でそう決まっている。
「能力者とは認められていないの。だから世間の言う非能力者よ。」
「でも能力があるって。」
「私の能力はどうやって計測するの?」
「計測?」
「そう、能力は病院で計測されて認められる。私の判別の能力はどうやって計測するの?」
確かに、と私は思った。計測できないような能力を持った人は、能力者として認められない。そういう社会の仕組みだ。
「そうなんですね。」
会話を終わらせよう。なんだかこの人は危ない気がする。
「ヒーローなんて、能力のある人だけがやればいいと思うの。そう思わない?」
「そうですね。」
適当に同意しておいた。私はそう思わないけど、今はやり過ごすことが大事だ。
「人より劣っている人間が人を救おうだなんて烏滸がましいと思わない?」
「そうですね。」
「あなたは認めるわ。私、境界能力者は能力者に入れてあげてもいいと思うの。」
入れてあげてもいい。その言葉に少しカチンときた。
「結構です。私は非能力者のヒーローとしてやっていくつもりです。」
「あら怒らないでよ。仲間よって言ってるの。」
「何の仲間なんですか。」
「私がヒーローになったら立ち上げようとしている団体があるの。その仲間に入れてあげるって話。」
「結構です。」
「あらそう、つれないのね。」
宗教勧誘とか、そういうのの類だ。私はそう判断した。
「まあでも気に入ったわ、あなたは助けてあげる。」
私は無視して自分の荷物を片付け始めた。
「『助けてあげるって何ですか?』って言わないのね。ふふ。」
女の子はわざとらしく私の声を真似して、そう言った。もう少し、もう少しで片付けが終わる。その時、大好きなあの声がした。
「この子に何の用ですか。」
見上げると鏡太くんだった。
「あら、男がいるの。」
「優華ちゃん、行こう。」
「でもダメね。こいつは無能力。助けてあげない。」
私は荷物を鞄に詰め込み、リュックのチャックも閉めないまま立ち上がった。
「『助けてあげないって何ですか?』ふふ。」
もう誰とも会話をしてないその子はまた私の声真似をして笑った。
鏡太くんに右手を掴まれて引かれた。初めて握る手だった。その手は大きくて温かった。その温度に感動しながら、私は手を引かれていった。離れていくその後ろで、女の子の声がした気がした。
「皆殺しよ。」
私の幻聴だったかもしれない。
「大丈夫だった?」
鏡太くんの優しい笑顔。落ち着く。
「大丈夫、ちょっと知らない人に絡まれてただけ。」
「そっか。過剰に心配しちゃったな。」
「ううん。嬉しかった。」
「よかった。」
鏡太くんは優しい笑顔だった。私はもう離れてしまった手の温度を思い出そうとした。
「帰ろっか。」
これで私のヒロシの筆記試験は終わった。私は実力を発揮できたと思うし、そうだとすれば合格のはずだった。鏡太くんはいつも私より成績がいいし、多分大丈夫だったんだと思う。
次の日の午後、私たちは一緒にお祝いをすることにした。二人で一緒に喫茶店に入った。まるでデートみたい。私はウキウキした。
彼はコーヒーを頼んで、私はカフェオレとパンケーキを頼んだ。
「お疲れ様〜。」
私たちはひっそりと乾杯をした。
「試験どうだった?」
「過去問通り。多分できたよ。」
かっこいい。私は素直にそう思った。
「確かに過去問と似たような問題も多かったかも。」
「んね。」
午後のゆっくりとした時間が過ぎていく。
「面接まで試験全部終わったら何したい?」
別に何を話してもいいんだけど、そう言われると何を話していいのかわかんなくて、こんな適当な質問を投げてみた。
「実家に帰ってみたいな。」
鏡太くんはコーヒーを飲みながら答えた。
「実家かあ。」
「うん。夏休みになったら、帰ってみようかなって。」
「いいね。帰るのいつぶり?」
「んー、大学一年の時に一回帰ったから三年ぶりとかかな。」
「えー、そんな帰ってないの。」
信じられない。私なら毎年複数回は帰る。
「帰っても特にすることないし。」
「そーなんだ。みんなそんなもん?」
「んー、みんなはもうちょっと帰ってるかも。」
「だよね。」
私は鏡太くんの自立性に彼の良さを見つけることにした。寂しい奴だな、とも思ったけど。
「実家帰るとどう?安心する?」
「んー、どうだろう、懐かしい感じはするかな。高校の時から一人暮らしだからもう寂しいとかもないんだ。」
「私実家から出たことないからその感覚わかんないんだよね。」
「そうだよね。わかんないと思う。」
鏡太くんは窓の外見ながら言った。
「兄貴に会いたいな。」
鏡太くんのお兄さん。怪力の能力者でヒーローになったけど挫折して実家に帰ってきているらしいという、あのお兄さん。私からしてみれば、鏡太くんが能力の信奉者になってしまった元凶。諸悪の根源。まあそんなことは言わないけど。
「いいね。あれから連絡取ったりした?」
「メッセージでちょっとだけ。ゆっくり休んでるってさ。」
「うんうん。それがいい。」
鏡太くんはコーヒーをまた一口飲んで、それから躊躇ったように話し出した。
「あのね、色々考えたんだ。」
鏡太くんは、ゆっくりと話した。私も、ゆっくり聞こうと思った。
「兄貴は能力者で、昔から特別だった。」
「うん。」
「でも、ヒーローには能力者が沢山いた。そこでは兄貴は特別じゃなかったんだ。」
「うん。」
「僕は、能力者になりたかった。」
「うん。」
「でもきっと能力者になっていたら、兄貴と同じ道を辿ったと思うんだ。」
「うん。そうかもね。」
「僕が能力者になりたかった理由を、改めて思い返してみたんだ。」
「うん。」
「僕は、愛されたかった。」
愛かあ。私はそう思った。私が私のお父さんやお母さんから無償で受けているものの名前だ。そして私が鏡太くんにあげようとしているものの名前でもある。
「兄貴みたいに、愛されてみたかったんだ。」
「うん。」
「思い返せば、それだけだったんだ。」
「そっか。」
鏡太くんの子ども時代の寂しい思いが、少しだけわかるような気がした。能力を持った兄、それを特別視する両親。自分を見てほしいという子どもの純粋な気持ちは誰にも責められるものではない。次第に自分さえも能力を特別視するようになり、能力への憧れ、能力の目覚めない自分へのやるせなさが大きくなっていく。
「能力さえ目覚めれば、僕も幸せになれると思ってた。」
「うん。」
「自分には能力が目覚めないとわかってからは、どうすれば幸せになれるのか、わかんなくなっちゃったんだ。」
「そっかー。」
私は考えた。幸せについて。私は今、幸せ?うん、幸せ。だって大好きな鏡太くんと一緒にいられて、家に帰れば大好きなお母さんとお父さんが待っている。これ以上求めることはない。私の全てが、ここにある。
「んーっとね、なんて言えばいいかわかんないんだけど、私の話を聞いてくれる?」
「うん。」
「コーヒーを飲むでしょ。」
「うん。」
鏡太くんは「何の話だろう」と言う顔をした。まあ聞きなさい。
「美味しいって思うでしょ。」
「うん。」
「そこにね、幸せがあるの。」
「んー?」
「小さな小さな幸せがそこにあるの。」
「うん。」
鏡太くんは一応、頷いてくれた。
「窓から午後の優しい光が差し込んでる。あったかいなあ。ここにも小さな幸せがあります。」
「うん。」
「ご飯が美味しい。今日は楽しく話せた。伸びをしてみると気持ちがいい。そういう幸せが、あります。」
「うん。」
「日々の暮らしの中にある幸せっていうのは、小さくて、見つけづらい。」
「うん。」
「そういうのを一つずつ集めて生きていくのが、幸せってことだと思うの。」
「うん。」
「わかった?」
「優華ちゃんらしいなって思った。」
「納得はしてないんだ。」
「んー。」
鏡太くんも少し考えているようだった。
「幸せっていうのは、もっと遠くにあるものの名前だと思ってたな。」
「うん。」
「今ここに足りないものの名前が、幸せだと思ってた。」
「違います。」
鏡太くんに、届け。
「幸せっていうのは、今ここにあるものの名前なんだよ。」
鏡太くんはふふっと笑った。
「そうかもね。」
「そうだよ。」
私は強い意志を持ってそう言った。伝われって念をこめた。
「僕は変なことを言う人に縁があるのかもしれないな。」
ああ。
「そうかもしれないね。」
私は笑った。伝わらなかったんだな。私の一生懸命考えた言葉を、「変なこと」だと言われるのは、寂しかった。鏡太くんのことをいくら考えても無駄なのかもしれない。そんな風にさえ思った。
「『縁がある』って言ったけど、他にも私みたいな人がいたの?」
「んー。」
鏡太くんは少し考えていた。
「そういえば、この前、『どうしてヒーローになるの』って聞いてくれたよね。」
鏡太君の声はいつも通り落ち着いていた。大切なことを言い出しそうな感じでは、なかった。
「うん。」
「僕は、なんて言ったんだっけ。」
「『小さい頃からの夢だった』って。」
「そうそう。だけど、本当はもっと直接的な理由があるんだ。」
「なに?」
私は理由もわからず少し緊張した。彼が何を話そうとしているのか、私にはわからなかった。もしかするととんでもないことを言うのではないかという予感がした。
「僕は、とあるヒーローに会いに行くんだ。」
その予感は当たっていた。
「沖野雫っていうんだ。僕の大切な人さ。」
大切な人。大切な人。どういう意味だろう。家族?友達?いいや、この言い方は。わかりたくない。わかりたくない。私はもうすぐヒーローになるのよ。鏡太くんがいたから頑張れた。今まで一生懸命頑張ってきた。その土台が、全て壊れてしまうような気がした。聞きたくない。聞きたくない。だって、私には、鏡太くんしか。だって、だって。
「僕はそのためにヒーローになるんだ。」
そっか。そっかあ。ああ、私今失恋したんだね。何も感じなくなってしまった心にカフェオレが沁みた。そっかあ。いつもどこか遠くを見ていた鏡太くん。その先には、ちゃんと人間がいたんだね。私より先にさ。ああ、そっかあ。そっかあ。ふーん。
「じゃあ、面接も頑張らなくちゃだね。」
私は笑顔で言った。鏡太くんみたいな笑顔だったと思う。何かを隠すための完璧な笑顔。ねえ、気づいてよ。私普段こんな風に笑わないでしょ。こんな完璧な笑顔じゃないでしょ。気づいてよ。ねえ。
「うん、一緒に頑張ろ。」
やっぱり。気づいてなんかくれないよね。そこまで優しくはないもんね。鏡太君はいつもそう。あとちょっとだけ優しくないの。そこまでずーっと優しいから騙されちゃった。ああ、苦しいな。
そのあとは、何を話したかよく覚えていない。ただうっすらと、これで最後なんだろうなと思った。
その夜、ギターを弾くとあれだけ鳴らなかった一弦が綺麗に鳴った。脱力が良かったのだろうか、私の手に力むほどの力は残されていなかった。アルペジオで弾くと、一番高い音がポロンと鳴った。私は少しの達成感と、なぜか悔しさを感じた。もっと早く鳴ってくれていたら、もっと純粋な心で喜べたのに。ギターの音色は思い通りにならない。世の中は思い通りにならないことだらけだ。
私はお風呂に入って、いつも通り考え事をした。私って、鏡太くんのどこが好きなんだっけ。一度冷静になって考えてみると、そんな問いが浮かんだ。今日の会話を思い出した。私が一生懸命考えた言葉を、「変なこと」だって言われたのは、ショックだった。幸せはここにあるって、今鏡太くんと一緒にいる、ここにあるんだって伝えたかったのに。私の言葉は鏡太くんに届かなかった。大切な人がいるって言ってた。鏡太くんにちゃんと言葉を届けられた人なのかな。鏡太くんは人の話を聞いているようで聞いていない。ずっと自分の世界に入ったまま、自分の考えたことが正しいと思ってる。あー、こんなやつのどこが好きなんだっけ。
まずは顔ね。私は指を折って数えることにした。顔が好き。決して強くはないけれど、柔らかくて優しいって感じの顔で、あの顔を見ると安心しちゃう。あの笑顔には私を幸せにする力がある。朝起きた時、隣でふと笑ってくれたら、一日頑張れちゃう気がする。どんなに嫌なことがあっても、家に帰った時にあの顔が見れたら、全部許せちゃう気がする。私って単純ね。馬鹿みたい。私はふっと笑った。それから次に、放って置けないところが好き。鏡太くんは、私がいないと危ない感じがするの。これもきっと私の自意識過剰なんだけど、鏡太くんには、良き理解者が必要だと思う。彼は自分の考えを唯一正しいことだと思ってる。その話を聞いてあげて、理解してあげて、間違っている方向に行きそうになっていたら止めてあげられる人が必要だと思う。もしくは、彼よりも馬力のある力で明るい方へ引っ張っていける人。私にそれはできないから、隣で話を聞いてあげる。そんな危なそうな感じが好き。それから、賢いところが好き。自分より賢い人を見るとかっこいいなって思うんだけど、それが雰囲気から出まくってる。なんでも卒なくこなすタイプで、要領が良い。スマートな感じが好き。私がわかんない時に教え方が上手なのも好き。それから、所作が丁寧なところが好き。食べ方とか、なんていうんだろう、優雅な感じがする。きっと良い家庭で育ったんだろうなって思う。そういうところが好き。それから、一緒にいてくれるところが好き。自分から誘ってはくれないけど、私といる時も嫌そうじゃないし、むしろ楽しそうにしてくれる。あの笑顔をあの距離で摂取できるのは、中毒になる。それからそれから…。
私は何個も何個も好きなところを挙げて、指が足りなくなったところでやめにした。
私ったら鏡太くんのこと大好きじゃん。自分で恥ずかしくなった。やめやめ、私はお風呂から上がった。
洗面所に行って髪をドライヤーで乾かしながら、私はまた考えた。こんなに好きなのに、今日は鏡太くんのことを考えても心が温かくならない。なんでだろう。うーん、と私は唸って、今度は鏡太くんの嫌いなところをあげてみることにした。
まず、私より好きな人がいるところ。信じられない。今一緒にいるのは誰ですかって話よ。もっと私を見ろ馬鹿。ほんと馬鹿。それから、私の話なんか聞いてないところ。結局自分の考えたことだけ信じて生きてるんだから会話する意味がない。会話っていうのは、それによって自分の中身が変化するから楽しいの。こんな話をしてこう思って、それもありかなって思ったとか、そういうのが楽しいの。自分の意見だけ突き通すなら一人で生きてろ。それから、優しくしてくれるところ。なんで私に優しくしてくれるの。好きな人がいるんでしょ。なんでよ。
「ばか。」
私は呟いた。私の声はドライヤーの音の中に溶けていった。嫌いなところを言い終わっても、髪はまだ乾いていなかった。しばらく顰めっ面で鏡に向き合ってドライヤーをかけて、それが終わると、私はドライヤーの電源を切って自分の部屋に向かった。
「あんなやつ好きになっちゃったんだもんなー。」
私はそう呟いて、ベッドに横になった。面接まであと一週間。きっと私は合格する。鏡太くんも、合格する。二人で、一緒にヒーローになる。それは、ずっと夢見ていたこと。だけど、だけど。悔しくて悔しくて仕方がなかった。私の気持ちは伝えないままでいいんだろうか。伝えても困らせてしまうだけなのに、伝える意味はあるんだろうか。
それでも、伝えようと思った。
面接が終わって、二人ともヒーローになったら。伝えよう。私の一番可愛い笑顔で。そして鏡太くんをいっぱい困らせよう。申し訳なさそうに謝る鏡太くんに、それでも笑顔で許してあげるんだ。そこまで、最後までやって初めて私のヒーロー試験は終わるの。それが私の意地だから。
待ってろ、ヒーロー試験。私はカレンダーを睨んだ。




