第二章 普通、嫌?
今日も一日授業を受けて研究室に篭って、鏡太くんとのヒロシ対策の時間になったからいつもの教室へ向かった。
「お疲れー。」
「お疲れー。」
大学生はなぜかお疲れという挨拶をする。なぜなのかはわからないけど、とにかく大学生は疲れているのかもしれない。
「さ、今日も対策やりますか。」
「うん。」
私たちはいつものように教材を広げ、過去問に取り組んだ。途中、わからないところがあったから、鏡太くんに教えてもらった。鏡太くんの説明はわかりやすくて、そういうところもかっこいいなって思う。なんていうか、そう、スマート。
「そろそろ休憩にしよっか。」
「うん。」
一時間くらい勉強した私たちは、休憩を挟むことにした。休憩中、何か鏡太くんと喋りたいんだけど、何を話していいのかわかんない時が多々ある。
「そういえば、能力者のヒロシの結果がニュースになってたね。」
今日の私は時事ネタを振ってみた。自分からあまり話そうとしない鏡太くんと喋るには、こういう雑談のタネを拾っておくことが大事だ。鏡太くんはスマホに目を落としながら答えた。
「へー、そうなんだ。」
「あれ、見てない?今年から能力者にもヒーローになるのに試験が義務付けられたって話だけど。」
「あー、それは聞いたかも。」
「でしょ、それがさ、結構落ちた人いたらしいの。」
「そうなんだ。」
「能力者なのに大変だよね。」
「うん。」
鏡太くんはあまり興味がなさそうだった。この話題はハズレか。私はそう思った。
「鏡太くんはさ、自分にも能力があったらいいなとか思ったことある?」
鏡太くんはそこでやっと初めて私の方を見た。
「あるよ。」
アタリかも。
「へーそうなんだ。やっぱ子どもの頃とか憧れてた感じ?」
「んー、うん。兄貴が能力者でさ、やっぱり近くで見てると憧れちゃったな。」
「そうなんだ。お兄さんはヒーローやってるの?」
「うん。立派なヒーローだよ。尊敬してる。」
「へえ、いいね。私一人っ子だからそういうのないんだ。」
「優華ちゃんは、能力があればって思ったことないの?」
鏡太くんは「あるでしょ」くらいのテンションで言った。
「ないよ。」
「え、ないの。」
「うーん、この話をすると長くなる。」
「いいよ、聞かせて。」
大当たり。私はウキウキで喋り始めた。
「私ね、実は境界能力者なの。」
境界能力者。それは能力者と非能力者のちょうど中間に位置するグレーゾーン。能力があるとも言えないし、ないとも言えない。少しだけ能力があるけど、普通の範疇に収まると診断された人たち。こういう人たちがスポーツの大会なんかで成績を残すとちょっとざわつく、社会からも触れられにくい話。まだ境界能力者への法律なんかは整っていなくて、社会問題にもなりつつある。
「へえ。」
鏡太くんは否定のスタンスで入らなかった。私はそれが嬉しかった。
「治癒の能力の境界能力者なの。人より傷が治るのが早いってだけなんだけど、勝手にグレーゾーンにさせられたわ。」
「なるほど。」
「一回、子どもの頃に能力の測定をしたときに、治癒のスピードが能力者として認めてもいい値が出たことがあるの。一回だけね。」
「うん。」
「お医者さんによると、その結果を役所に持っていけば能力者として登録もできるって話だったの。」
「うんうん。」
「私は両親と話し合って、その結果、能力者としては登録しないことにしたわ。」
「なんで?」
鏡太くんは不思議そうな顔をした。本当になんでかわかんないみたいだった。
「だって、普通がいいから。」
「んー?」
「私は、普通がいい。両親にもそう言ったの。」
鏡太くんは唸っていた。
「それ以降の測定では一回も基準値を超えることはなかったわ。むしろ歳とともに値は下がっていくばっかり。最近は測定もしてないけど、もう境界能力者かも怪しいかもね。」
「なんで普通がいいの?」
鏡太くんは変な質問をした。
「え、だって、普通って幸せじゃん。」
「んー?」
「違うかな。」
「だってさ、能力があれば、それがアイデンティティにもなるし、ヒーローにもなりやすいし、いいことばっかりじゃん。」
「境界能力者が能力者として生きていくのは大変だと思うよ。」
「それは、そうかもだけど。でもアイデンティティを獲得できるのは大きいと思うけどなあ。」
鏡太くんは不思議そうだった。
「さっきから鏡太くんが言ってるアイデンティティって何?」
「自分らしさ、みたいなの。」
「自分らしさはもう十分持ってるわ。」
「うーん。」
「普通で十分。むしろ贅沢なくらいよ。」
「そっか。」
鏡太くんは納得していなかった。
「普通、嫌?」
「嫌っていうか、なんていうか。」
「私たちは普通の人間、普通の人生、それって結構幸せじゃない?」
「普通じゃ、ダメなんだ。」
「どうして?」
「普通じゃ、追いつけないから。」
「何に?」
「んー。」
鏡太くんは言葉を選んでいた。
「憧れに。」
そっか、鏡太くんは私よりもっと遠くを見てるんだ。私はその時、初めて私たちの視線が合わない理由がわかった気がした。見てるものが違う。私は今ここを見ている。鏡太くんは、遠くの何かを見ている。
「普通って素晴らしいことだと思うけどな。」
「わかんないや。」
「そっか。」
私たちは違うものを見ている。ピントの合わない会話は、次の話題に移っていった。
それから三週間が経って、ついにヒロシの筆記試験本番まで残すところ一週間となった。鏡太くんとの勉強会にも熱が入る。でも鏡太くんは最近ぼーっとしてることが多くてちょっと心配。
「鏡太くん、ねえ鏡太くん。」
「ん?ああ、ごめん、またぼーっとしてた。」
「いいわ、休憩にしよ。」
「ありがと。」
彼はにこっと笑った。あ、あの笑い方だ。私は気づかないふりをして伸びをした。また何かを思い出していたのかな。
「そういえばさ、優華ちゃんはなんでヒーローになろうと思ったの?」
私の動機か。あれ、言ったことなかったっけ。
「私は、自分に自信を持ちたいから。誰かのために生きていると思えることが、私のためになると思うの。そうじゃないと、きっと私は不安になる。」
そう、私は自分のためにヒーローになる。どんな仕事に就いても、きっと回り回って誰かを助けていることになるんだと思うけど、私は「誰かを助けた」という実感が欲しい。目の前で誰かを助けたという実感が欲しいんだ。その実感がなければきっと私は不安になる。「私の仕事は人のためになっただろうか」って。だから私はヒーローになる。ヒーローになって、まずは私自身を救ってあげるの。
「へえ。初めて聞いたかも。」
「そうだっけ。」
鏡太くんは少し嬉しそうな顔をした。多分これは、ほんとの鏡太君。鏡太くんは嬉しそうに喋り出した。
「自分のためだよ。みんな。みんな自分のためにヒーローになるんだ。」
「そうかな。誰かを救いたいからって人もいるんじゃない?」
「その人も結局、他の人を救うことで自分自身を救ってるんだよ。とどのつまり、みんな自分のためにしか生きられないんだ。」
「そうかしら。」
「そうだよ。」
あの夢に出てきた女の子みたいなことを言うんだなって思った。あの女の子は、「ヒーローが救えるのはヒーローになった自分だけ」って言ってた。似てる。もしかすると、あの女の子は鏡太くん自身なのかもしれない。新しい夢の解釈に気づいて、私はドキッとした。救えなかった過去の鏡太くん自身が、あの女の子になって出てきたのかも。それを救おうとする鏡太くんと私は、いつも失敗する。救えない悲しさが、あの子の声でこだました。
「ヒーローなのに助けられないの?」
ごめんね。いつか、助けてあげるから。鏡太くんがどんな過去を過ごしてきたのか、どうしてあの子を救えなかったのか、知りたいと思った。鏡太くんの内側に少し踏み込んでみようと、私は思った。
「鏡太くんは?」
鏡太くんは首を傾げた。
「鏡太くんはなんでヒーローになるの?」
「んー、子どもの頃からの夢だったから、かな。」
鏡太君はまたにこっと笑った。あれは、多分ウソの鏡太君。
「そうなんだ。」
私は、それ以上は何も聞かなかった。聞けなかった。鏡太君がいつもに増してとんでもない壁を作っているように思えたから。その壁は、壊すことはおろか触ることすら拒むように思えた。まるで「それ以上は聞くな」とでも言わんばかりの、完璧すぎる微笑みだった。私はまた雑談のタネを撒いてみた。
「この前地震があったじゃん。」
「あったね。」
「あの地震って鏡太くんのお兄さんとかも出動したりするの?」
「あー、」
鏡太くんはちょっと躊躇ってから話し出した。
「兄貴は、実家に帰ったらしい。」
「え、なんで。」
「色々あったんだって。」
「色々ってなに。聞いてもいいのかな。」
私は踏み込むことにした。鏡太くんが心を開いてくれるかどうか、きっと五分の勝負だ。
「んー、いいよ。」
よし。私の勝ちね。
「優華ちゃんなら話せる気がする。」
「やった。」
「んっと、兄貴の夢は日本一のスーパーヒーローになることだったんだ。」
「うん。」
「能力が目覚めてから、兄貴はヒーローになるための人生を歩んできた。」
「うん。」
「能力者は普通のチームには参加できないから、好きだった野球もやめさせられた。」
「うん。」
「それからは、ヒーローだけを目指してた。」
「そうなんだ。」
「晩御飯の時によくその話を聞いてたよ。」
「うんうん。」
そんなお兄さんがどうして実家に帰ったんだろう。ヒーローとして活躍しているって聞いてたのに。
「兄貴は怪力の能力者だった。その力は特別で兄貴の誇りでもあったんだ。」
「うん。」
きっと鏡太くんみたいに能力を重要視していたんだろう。あのバイアスはきっと家族ぐるみのものだ。
「でも、ヒーロー協会には怪力の能力者がそこそこいたらしい。」
「そっか、そうなんだ。」
「兄貴は自分より優れた能力者たちの中で、自分の能力に自信が持てなくなったらしいんだ。」
「んー。」
「兄貴は心身の調子を崩して実家に帰ったよ。」
「そっかー。」
私は、なんて言えばいいんだろう。鏡太くんの憧れのお兄さんの挫折。それに鏡太くん自身も少なからずショックを受けているだろう。それは能力主義の考え方の暗い部分に見えた。
「お兄さんとは連絡取ってるの?」
「うん。この前久しぶりに電話したよ。」
「そっか、どうだった?」
「元気そう、ではなかったかな。」
「そっか、そうだよね。」
「兄貴はすごいヒーローなんだ。」
「うん。」
「僕はヒーロー協会が間違ってると思う。」
んー。危ない。私はそう思った。鏡太くんは今危ない方に行こうとしている。
「間違ってはないんじゃない?」
「じゃあ、誰のせいなの。」
「なにが?」
「兄貴がこんな苦しんでるのは、誰のせいなんだよ。」
鏡太くんは今まで聞いたことのないような声でそう言った。強い声で、でも泣きそうだった。
「誰のせいとかじゃないと思うよ。」
強いて言うなら、能力主義のせいね。思ったけど、それは言わなかった。
「僕がヒーロー協会に入ったら、ヒーローが正しく活躍できるような組織にしたいと思ってる。」
「うん。」
それは、素晴らしいことだと思う。私は言葉を選んで、口に出した。
「一緒にヒーローになろう。」
私は鏡太くんの目を見た。鏡太くんの目には涙が隠れていた。
「うん。」
鏡太くんはそう言って、私から顔を背けて涙を拭った。大丈夫、隠さなくてもいいよ。
「話聞いてくれてありがと。」
鏡太くんは私の方を向き直ってそう言った。こういうのがちゃんと言えるところが好き。
「いつでも話して。」
「ありがと。」
「さ、勉強しよっか。」
「うん。」
私たちはまた勉強に戻った。はあ、と私は心の中でため息をついた。これで脈なしなんだもんなあ。こんな話もしてくれるのに、ただの友達って感じ。特別には、なれない。
「あ、そうだ、これ食べる?」
鏡太くんは鞄からお菓子を取り出した。
「食べる食べる。」
餌付けだ。どうせ捕まえてくれないなら、餌付けなんてしなくていいのに。私は全部分かった上で、私の一番可愛いであろう笑顔で可愛らしく返事をした。それが、私なりの精一杯の意地だった。
「鏡よ鏡、世界で一番可愛いのはだあれ。」
私は家に帰った後、洗面所で鏡を見ながらつぶやいた。鏡は、私を映してくれた。私はにこっと笑ってみた。鏡太くんみたいな笑い方。私はそれになんだかイライラして、鏡から目を逸らした。ふうっと息を吐く。またヒロシの勉強に戻ろう。勉強は私を裏切らない。
「優華、ご飯できたわよ。」
少ししてから、お母さんの声がした。私は「はーい」と返事をして台所に行った。今日も美味しいご飯が私を待っている。今日はお父さんも仕事が早く終わったみたいで一緒にご飯を食べられるみたいだ。ご飯はみんなで食べた方が美味しいに決まってる。
「優華、試験の勉強の方はどうなんだ。」
「まあ、順調かな。」
「そうか、直前だからな。焦る気持ちもわかるけど、ちゃんと寝るんだぞ。」
お父さんはいつも過保護。一人娘が可愛い気持ちもわかるけど、親の子離れが全くできてない。私が来年からヒーローになったらこの家は一体どうなっちゃうのかしら。お母さんが一人でご飯を食べてるのかな。少し遅くなってもいいからお父さんと一緒に食べて欲しいな。
みんなで美味しくご飯を食べ終わった後、私は自分の部屋に戻ってギターの練習をした。未だに上手く鳴ってくれないギター。私には無理なのかな、なんて思ったこともあるけど、このギターから逃げたくはなかった。私に振り向いてくれないギターは、ほんの少しだけ、鏡太君に似ていた。でもギターはあんな風に笑わない。その点扱いやすい。うん、鏡太くんなんかよりギターに恋した方がマシね。三十分ほど練習したけど、今日も繊細な一弦が上手く鳴らなかった。ちょっと不貞腐れてまたヒロシの勉強に戻った。いいもん、私ヒーローになるんだもん。
ヒーロー試験には筆記試験と面接がある。難しい筆記試験があって、その後に面接があり、それから合格通知が来る流れになる。特に大卒のヒーローは幹部候補生とだけあって試験も難しい。ネットでは「筆記ができれば合格」と噂されていて、実際に面接では簡単なやり取りをするだけのようだった。
私はもう何度読んだかもわからない、ヒーロー協会が出している応急処置マニュアルを読み込んで、それを暗唱した。こんなに勉強しても、現場に出ればわかんないことだらけなんだろうな。もし、鏡太くんが怪我したら、私は彼を助けられるかな。わかんない。鏡太くんが怪我をして弱っている時、彼は私を側に置いてくれるだろうか。私に頼ってくれるだろうか。なんだか、そうは思えなかった。きっとあの笑顔で、「大丈夫だよ」って笑うんだ。そしたら私は、それ以上は何も言えなくなってしまう。私は、鏡太くんが危険な目に遭っても助けられないかもしれない。そう思うと無力で仕方なかった。私は、無力だ。
いよいよヒロシが明日に迫った金曜日、私は鏡太君と一緒に勉強会をしていた。決めていた時間になって、私たちは帰る準備をし始めた。
「よし、鏡太くん、これで完璧だね。」
「完璧かは知らないけどよく頑張ったと思う。」
「完璧ってことにしよーよ。」
「んー、家に帰ってからもう少し復習するよ。」
「まあ私もするけど。」
大学から出ると鏡太くんとは向かう方向が反対だから、大学内を歩く時くらいしか話す暇がない。この少しの時間は私の楽しみの時間になっていて、だから今日も鏡太くんにウキウキで話を振った。
「筆記試験が終わったらさ、打ち上げしない?」
「いいね。」
「もし筆記試験がダメそうだったら慰め会にしよう。」
「アリだね。」
「でしょ。」
私の気分は最高だった。休みの日に鏡太くんと会えるなんて。ただ、気分が良かったのが、よくなかったかもしれない。私は軽率に思ったことを口に出した。
「鏡太くんって鞄にキーホルダーとかつけないよね。」
鏡太くんは少し固まってしまった。私が「変なこと言ったかな」と思っていると、鏡太くんは少し寂しそうな表情で答えた。
「なくすのが嫌なんだ。」
「あー、どっか行っちゃうことあるもんね。家にはお気に入りがあるの?」
「うん。あるよ。」
鏡太くんは俯きながら答えた。こんな鏡太くんを見るのは初めてで、私の方が少し面食らってしまった。
「へえーどんなの?」
「なくしたくないんだ。」
私はそれ以上聞けなかった。
「明日の試験頑張ろうね。」
「うん。」
私たちは大学を出たところで別れた。あれは、ほんとの鏡太くん?きっと、本当の鏡太くん。本当の鏡太くんに触れる勇気がないのは私。触れたいと願いつつ、いざ直面すると逃げてしまう。私たちは、永遠に「本当」で向き合えない。私たちは二人とも、「本当」に触れることに臆病すぎた。




