第三章 凛と玲
「君なのね。」
僕は狼狽えた。なぜこの人はこんなに冷静なのか、なぜ僕の元に現れたのか、なぜ僕のことを知っている様子なのか。
「誰ですか?」
僕は思わず敬語になった。
「あら、見たことある顔ね。」
僕はこの人を知らない。背の小さい女性だ。スーツを着ていて、ヒーローに見える。
「ヒーローの方ですか?」
「そうよ。マシアハでもあるわ。」
マシアハ。つまり襲撃犯だ。
「共犯者がヒーロー本部内部にいたのか。」
「共犯者?ノンノン。私が首謀者。マシアハのリーダーよ。」
首謀者。この事件の、もしかしたら戦争になるかもしれないこの事件の首謀者が僕の目の前にいる。僕にできることはなんだ。僕は早く彼女の元に行かなくちゃいけない。
「僕に何の用ですか。僕にはしなきゃいけないことがあるんです。」
「無敵ちゃんを止めること、ね。」
「な、なんでそれを。」
「あなたのことは調べさせてもらったわ。でも調べる必要もなかったかもしれないわね。」
その女性、リーダーは会議室の中を歩いて僕の方へ向かってきた。
「こんな見るからに無能力の雑魚が相手とはね。」
「能力は関係ないだろ。」
「無敵ちゃんは必ず私が手に入れるの。」
「そうはさせない。」
「かっこいいこと言うのね、でも無駄よ。あなたは私がここで釘付けにすることになってるの。」
「どういうことだ。」
「私ね、何回もこの作戦をシミュレーションしたの。何回も、何回もね。ほとんどの場合、無敵ちゃんは私たちのものになったわ。でも一回だけ失敗したの。それが、あなたってわけ。」
リーダーは僕の目の前までやってきた。
「あなたの説得が万が一、比喩じゃないわよ、本当に一万回に一回の確率で成功してしまったら、私の計画は壊れちゃう。私はどうしても無敵ちゃんを手に入れなきゃいけないの。」
僕が彼女を説得できる確率が一万分の一だと言われてしまった。そんなことはないと信じてるけど、それでも僕は彼女の元へ行かねばならない。
「そこをどけ。」
「無駄よ、私が無敵ちゃんを手に入れるの。」
「なんで、なんでお前が沖野を欲しがるんだ。」
リーダーはぷっと笑った。それから大きな声で笑い始めた。
「何がおかしい。」
「いやいいわ、あなたを通しててあげてもいいかもって思ったの。だって、あなたじゃ説得は無理だから。」
「そんなのわかんないだろ。」
「人間って面白いわねほんと。無能力者の考えることはわかんないわ。」
僕はイライラした。リーダーはニコニコしていた。
「なんで無敵ちゃんを欲しがるのか、だっけ?」
その笑顔に僕はさらにイライラした。
「そんなの決まってるじゃない。」
リーダーは思いっきり笑って言った。
「嬲り殺すためよ。」
*
あれは私が高校生になった頃。当時中学生だった弟の体の中、心臓のあたりに黒いグルグルが見えた。
「何あれ。」
いつも通りの朝、ダイニングで朝ごはんを食べようと思った時だった。
「玲、昨日なんかした?」
「なんもしてねーよ。」
嫌な予感がした。私は玲の心臓に巣食うそいつをじっと見た。グルグルと真っ黒な蠢きがそこにはあった。私の拳くらいの大きさだった。私はそいつの正体を見破ろうとした。私に見えるものなら、わかるはず。そう思った。
「お母さん、玲病気かも。」
「なあに凛、また何か見えたの?」
「玲の心臓に、何かがいる。」
「いる?生き物なの?」
「わかんない。でも、動いてる。」
玲の心臓は動いている。それに同期するように、グルグルと黒い何かが動いていた。
「凛はいろんなものが見えるのね。」
「早く病院に連れてって。」
「うーん、お母さん今日仕事なのよね。」
そんなことを言っている場合じゃない。
「早く!」
「玲、体調悪いの?」
「別に。またねーちゃんの『見える』とかいう気持ち悪いやつだろ。」
「でもこれはほんとなの!」
「別になんともねーよ。」
「お母さんお願い、玲を病院に連れて行って。」
「うーん困ったわねえ。」
心臓がドキドキする。不安で不安で仕方がなかった。私は、小さい頃からいろんなものが見えた。お化けや幽霊が見えたことはないけど、人間の中身なら大体見える。それが私の人生だった。他人の嘘も、大人の言い訳も、大体わかる。なんでわかるのかはわからない。直感でそう思うの。その直感が、玲は危ないとそう告げていた。
「今日は無理よ。玲も体調が悪くなったらすぐ保健室に行くのよ。」
「わかってる。」
私は納得できなかった。でも、そうするしかない。私の「見える」には、根拠がない。
次の日、また朝ダイニングに行くと、そいつと目が合った。そいつは玲の心臓にどっかりと居座っていた。心臓の鼓動に合わせてグルグルと蠢いた。
「まだいる。」
玲は何も気にしてないみたいだった。それが怖くて、玲に聞いてみた。
「昨日なんか苦しいとかなかった?」
「ねーよ。『なんかいる』とかまだ言ってんの?」
「だっているもん。」
私はそいつを睨んだ。嫌い。
「もう朝から喧嘩しないの。」
「してねーよ。」
「土日になったら、玲を病院に連れて行って。お願い。」
「凛が言うならそうするかしらねえ。」
「なんで俺が病院行かねーといけねーんだよ。」
「玲、お願い。」
私は目を見て言った。玲はちょっと狼狽えて、「わかったよ」と言った。
私は玲が、家族が好きだ。そしてあいつが嫌いだ。
土曜になって玲は病院に行った。私も着いて行った。
「病院の先生になんて言えばいいんだよ。ねーちゃんに『なんかいる』って言われました、って言うのか?」
「それでもいいわ。心臓に違和感があるとかでいいのよ。とにかくレントゲンか何か撮ってもらって。」
「なんだよそれ。」
結局玲は病院の先生に、「ねーちゃんが…」と言った。病院の先生は私の方を見た。
「能力者の方ですか?」
「んー、いいえ。」
「そうですか、心配なら一応レントゲン撮りましょうか。」
そう、私は能力者じゃない。小さい頃から何か見えるという現象に悩んでいた私は、病院に相談したこともあるんだけど、能力者とは認められなかった。何かが見えるという能力は、あまりにもあやふやで病院の先生を困らせるだけだった。私が能力者だったら、こういうのも通りやすかったんだろうと思うと、悔しかった。
「レントゲンの結果ですが、玲さんの体に異常はありませんでした。」
「嘘。」
「ほらな。何もないんだって。」
「嘘よ。」
だって、今ここにいるもん。私の目の前で椅子に座る玲の心臓にグルグルと真っ黒いのがいるもん。これは何?レントゲンにも映らない私の目にしか見えないグルグルは何。
私たちは、異常なしということで病院を出た。
「凛が間違えるなんて珍しいわね。」
「間違えてない。いる。」
「何もいねーよ。」
私の不安は大きくなっていった。
それからしばらくの時間が経った。グルグルは相変わらず玲の心臓に巣食っていて、鼓動に合わせてその身を震わせていた。玲に何事もないのが不思議だった。玲は相変わらず元気で、私もこのグルグルのことを忘れようとした。でも毎朝目を合わせる。こいつは何だ。
ある日、いつものように朝のダイニングに行くと、玲のそれが少し大きくなっているように見えた。それは心臓を中心に放射状に広がり、ドクンドクンと心臓に合わせて震えていた。真っ黒な蜘蛛の巣だった。
「玲、昨日なんかした?」
「してねーよ。」
「調子は?」
「フツー。」
玲は何も気づいてない。
「あのね、お姉ちゃん玲の心臓に何か見えるって言ってたでしょ?」
「うん。」
「それがね、大きくなってるの。」
「知らねー。」
玲の心臓にいるそいつのことを、私はクモと呼ぶことにした。蜘蛛の巣を張っているんだ、クモに違いなかった。
その日から、クモは少しずつその巣を広げていった。まるで玲という獲物を丸々捕まえてしまうかのようなその動きに私は危機感を覚えていた。
「お願い。もう一度病院に行って。」
玲とは仲がいい方だと思う。毎日会話するし、玲もねーちゃんって呼んでくれる。昔はもっと仲が良かった。どこへ行くのもいつも一緒だった。一緒にお風呂だって入った。あれはいつだっけ、私が小学校に入った頃だったかな。
「なあ、ねーちゃんもいつかケッコンするんだろ?」
「そうかもね。」
「俺、ねーちゃんとケッコンするやつはすげーやつじゃないと許さねーから。」
「なにそれ。」
「俺よりねーちゃんを幸せにできねーやつとはケッコンさせねー。」
私はその言葉が嬉しかったのを覚えている。玲のためにも、私は幸せにならなきゃいけない。私の幸せな未来には、玲がいる。玲のいない世界は、知りたくない。
病院の検査の結果は異常なしだった。病院なんて信用できない。なんでこのクモが見えないの。こんなに大きな巣を張っているのに。
クモは次第に大きな巣を張り、ある朝、玲の全身が巣に包み込まれた。私にはもう、何が異常なのかわからなくなっていた。
「玲、本当に体調は大丈夫?」
「ねーちゃんキモいよ。」
「ごめん。」
「あ、あとさ、ねーちゃん今日帰ったら俺の部屋来てよ。」
「なに?」
「何でもいいだろ。」
「わかった。」
その日は友達と遊ぶ予定があった。私はお出かけを楽しむことにした。友達にも、一応相談してみることにした。
「あのね、弟の体の中にクモがいるんだけど、どうしたらいい?」
「凛、意味わかんないことを言うのは小学生までにしなさい。」
「違うの、本当にいるの。」
「凛ったらいくら弟を溺愛してるからと言ってもそれはキモいよ。」
「違うんだって、本当にいるの。」
「なにがいるの。」
「…クモ。」
「どこに。」
「心臓。」
「どんな。」
「拳くらいの大きさの黒いの。」
「ほんとなのね?」
「嘘言わない。」
「んー。病院は?」
「行った。」
「なんて?」
「異常なしって。」
「じゃあ、異常ないんじゃない?」
「私が間違ってるってこと?」
「そうは言ってないけど。」
私はむすっとした。みんなそう。病院が正しくて私が間違ってるって言うの。病院なんてクソだ。何でそれがわかんないのかな。
私は家に帰ると弟との約束を思い出した。
「玲、入るよ?」
「はーい。」
私は扉を開けて部屋に入った。見慣れた弟の部屋。でもその中心にはクモがいた。
「ねーちゃんに渡したいものがあって。」
「なによ。」
「はい、これ。誕プレ。」
え。
「え。」
「いらねーならいいけど。」
「いる、いる!」
「はい。」
嬉しい。嬉しい。玲が私にプレゼントをくれた。初めてじゃないけど、玲が反抗期になってからは初めてだ。
「え、開けていい?」
「いいよ。」
「やった。」
私は丁寧に包装を剥がした。箱にも包まれていなかったそれは、予想の通りハンカチだった。
「俺のお小遣いだとこのくらいしか買えなかった。」
「嬉しい。お姉ちゃん嬉しい。」
「よかった。」
「ありがとう!」
「ちょ、こっち来んな。」
私が思わず玲を抱きしめようとすると、玲はそれを避けた。
「やめろって。」
「玲〜!」
「早く出てけ!」
幸せな一日だ。玲が私にプレゼントをくれた。私はルンルンで一日を過ごした。晩御飯もおいしかった。明日あんなことになるとは思いもしなかった。
次の日、朝、玲を見ると様子が違って見えた。蜘蛛の巣が全身に張ったまま、その中心のクモが少しおとなしくなっていた。まるで蛹のような。嫌な予感がした。
「玲、苦しくない?」
「なんかちょっと熱あるかも。」
ついに玲にも症状が出た。クモの力が強くなっているんだ。そう思った。
「ちょっと外の空気吸ってくるわ。」
「私も行く。」
「なんでねーちゃんが来るんだよ。」
「行かせて。」
玲の目を見た。玲はわかってくれた。家を出ると、私は玲の歩く方に着いていった。玲の少し後ろから、玲の中のクモを見ていた。
「昨日ねーちゃんに誕プレあげたじゃん。」
「うん。」
「あの時言えなかったんだけどさ、」
ドクン。クモが動いた気がした。
「う、あ。」
玲がしゃがんだ。私には当然のことに見えた。だってあんなにクモが動くのを見るの初めてだったから。
「玲!」
私は駆け寄った。
「ねーちゃん、来ないで。」
「なに言ってるの。」
「ねーちゃ、」
その時、繭が破けた。クモは大きくなって玲の心臓を破いた。玲は血を吐いた。
「玲!」
玲が口の形だけで伝えた。
「来ないで。」
玲の体は急速に大きくなっていった。体から人間とは思えない何かが突き出して、玲は血を吐き出した。腹を破って腕が出て、足を破って足が出た。顔だった場所はどこかへ行ってしまい、玲だったものは全身から腕や足のようなものが突き出した異形へと変化を遂げた。私はそれを見て、尻餅をついたままあとずさった。異形は、動かなかった。私は死んだんだと思った。私が見ていたクモは、やっぱりいたんだ。私は間違っていなかった。
「玲?」
その異形は私の声に反応したかのように少し動いた。死んでない。生きている。生きているとして、これは玲なの?私は必死で頭を回した。蛹を破った蝶は、羽が乾くまでじっとしている。もしかして、これから動き出すのかもしれない。
私は家に走って帰った。
「お母さん、お母さん!」
「なに朝から。」
「玲が、死んじゃった。」
「え?」
「死んじゃったの。私置いてきちゃった。」
お父さんとお母さんは、私の話を聞いて急いで家を出て行った。私は自分の部屋に戻った。布団に入って、全部忘れようとした。これは夢だ。悪い夢だ。そう思おうとした。
それからしばらくが経って、両親は帰ってこなかった。私は家に鍵をかけた。万が一玲に生きている頃の記憶があったら帰ってくるかもしれないと思ったからだ。それから、テレビをつけた。玲はニュースになっていた。どうやら、何人か殺してしまったらしい。玲はそんな子じゃない。
その時、ニュースが速報に切り替わった。どうやらヒーローがヘリコプターから玲に向かって飛び降り、高速で近づいて無力化するという試みが行われるようだった。私は画面を見た。苦しかった。玲は死にたくないだろうなと思った。
ヒーローが飛び降りていく。私と同年代の女らしい。画面の中で、玲はバラバラにされた。私は忘れない。
弟を殺したヒーローがピースをして笑っていた。
*
「私ね、無敵ちゃんだけは許さないの。絶対に。」
リーダーはゆっくりと僕の周りを歩きながら言った。
「ありきたりな言葉だけれど、一番苦しむ方法で殺してあげるわ。無敵ちゃんが苦しむのってどんな方法があるのかしらね。」
「あなたを使う方法も考えたわ。だけど却下ね。」
僕はそろそろ動き出そうとした。時間がない。
「話は終わったか?」
「あら、聞いてたの?真面目ねえ。そういうところが嫌われるんだと思うわ。」
「僕は沖野を探しに行く。」
「んー、あと三分よ。間に合うかしら。」
「間に合わせる。」
「じゃあ、いいわ。行ってらっしゃい。」
僕はそれを聞くと会議室から飛び出した。




