第三章 襲撃
次の日になった。僕は朝の六時に目が覚めた。緊張と興奮であまり寝られなかった。ヒーロー協会のこれからと彼女の命運は僕の手に握られている。そう思うと手汗が止まらなかった。ベッドから起きて、キッチンに行き、コップ一杯の水を飲んで煙草に火をつけた。煙を吐く。その煙はゆらゆらと揺れて消えていく。僕は自分の精神状態がかなり不安定な状況にあることを自覚した。それでも、やらねばならない。彼女を殺すわけにはいかない。
僕は何度も伝えるべき言葉を繰り返して、練習した。何度も会議室を想像して、机を挟んだ向こうに居る彼女の目を見て話すイメージをした。会議室に入って僕が居ると知った時、彼女は驚いた顔をするだろう。喜ぶだろうか、それとも嫌な顔をするだろうか。それはわからなかった。でも、僕はそこで伝えなくてはいけない。いろんなパターンを想像して、僕は練習をした。
髭を剃り、スーツを着て、髪をセットした。このいつものルーティーンが僕を少しばかり落ち着かせてくれた。深く呼吸をして、彼女の顔を思い浮かべた。もう何年も見ていないのに、鮮明に思い出すことができた。
九時になり、玄関のチャイムが鳴った。
「はい。」
「新野だ。」
「準備はできています。行きましょう。」
僕は玄関のドアを開け、外に出た。そこにはスーツを着た新野さんがいて、その姿はいつもよりも説得力に溢れているように見えた。僕もそう見えていたらいいなと思った。最寄り駅まで二人で無言で歩き、電車に乗っている時も、電車を降りてからも、ずっと無言だった。協会本部が近づいてきた時、僕は新野さんに声をかけた。
「結局、どうやって僕を本部に入れるんですか。」
「なんだ、不安なのか。」
「いえ、気になっただけです。」
「俺に任せておけ。お前は自分の仕事に集中しろ。」
「はい。」
任せると言っても、僕はどうすればいいのだろうか。とにかく僕は新野さんについていくことにした。
協会本部に着くと、その入り口で警備の人に尋ねられた。
「許可証をお持ちでしょうか。」
「ああ。」
新野さんはスッと胸ポケットから紙片を取り出し、警備員に見せた。
え、そんなのあるの。聞いてない聞いてない。僕は焦った。
「そちらの方も許可証を提示ください。」
警備員が僕の方を見た。僕は新野さんを見た。
「あの、すまない、許可証を忘れたみたいなんだ。警備主任を呼んでくれないか。」
「すみません。許可証のない方を通すわけにはいきませんので、お引き取りくだ」
「警備主任を呼んでくれ。」
「申し訳ございませんが、」
「警備主任を、呼んでくれ。」
「申しわ」
「川島だ。警備主任を呼んでくれ。」
「え、あ、はい、少々お待ちください。」
川島?僕の頭にハテナが浮かんだ。
「はい、川島様。」
警備主任と思われる人が出てきた。新野さん、もしくは川島さんは、警備主任に耳打ちをした。すると警備主任の顔がみるみるうちに青ざめていった。
「どうぞお通りください。」
力無い声が聞こえた。
いや、めちゃくちゃパワープレイじゃん。僕は思った。「俺に任せとけ」って言っておいて、こんな真っ正面からのパワープレイで押し通すとかどんな神経してるんだ。
「川島さん。」
「新野でいい。その方が慣れてる。」
「新野さんってすごい人なんですね。」
「今更かよ。」
新野さんはふっと鼻で笑った。
僕らは二階の会議室へ向かった。時刻は九時四十五分。約束の時間まであと十五分だ。会議室のドアを開けると、しんっと静かな部屋が僕らを待っていた。新野さんが席に座り、僕はその隣に座った。静かな会議室でジリジリと時間が過ぎていく。あと、十五分。
「無敵が来たら、あとは全部お前に任せる。」
「はい。」
「泣き落とすも叱るもお前の自由だ。まあ、そんなのじゃあ無敵の心は変わらないだろうがな。」
「はい。難しいことだとは、わかっています。」
「そうか、なら安心だな。」
新野さんは椅子に深く座り直して、くつろいだような様子だった。この人は、本当におかしいのかもしれないと、僕はその時になって思った。僕が説得に成功したら、エリティストとの交渉は決裂、その場で戦争が始まるのかもしれない。そしてその場合、矢面に立つのは新野さんのようなヒーローのはずだ。それなのにこの人はくつろいだ様子で窓の外なんかを見ていて、全く闘う用意なんてしていなさそうだった。十時まであと、十分。
僕が彼女に伝える内容を反芻していた時だった。窓の外から大きな声がした。
「マシアハだ。」
新野さんが一瞬で立ち上がった。
「猿どもを殺しにきた。」
静かな会議室に響き渡った声は、確かにそう言った。
「エリティストだ。」
新野さんが呟いた。僕は「エリティスト」という名前が、ヒーロー協会側がつけた名前であること、彼らは自分たちのことをマシアハと呼んでいること、そしてそんなことすら僕は知らなかったということの全てを、ワンテンポ遅れて理解した。
「襲撃…。」
「ああ。お前はここにいろ。動くな。」
「新野さんは?」
「俺は声の元に向かう。」
そう言うと、新野さんの姿が目の前から消えた。本当に瞬間移動の能力者だったんだと、僕はその時初めて意識した。「能力は撤退のみに使う」と、そう言っていたはずの彼はすぐに能力を使った。そのくらいの緊急事態なのだ、僕は全て一歩遅れて理解した。
「お前らは包囲されている。猿どもを全て渡せ。」
大きな声がまた響いて、僕は窓を開けて下を見た。僕のいる会議室は、入り口のすぐ上の二階にある。僕から見える範囲には、おそらく声を出していると思われる男と、その周りにいる十数人の男たちが見えた。率直に言って、このくらいの勢力なら突破できそうに思えた。なんて言ったってここはヒーロー協会だ。ヒーローが何人いると思ってる。
しかし、僕の予想はすぐに覆されることになった。
まず、新野さんの声がした。
「おうおう、メシアハだっけか。何しに来た。」
新野さんの声はいつもと変わらず、低く渋い声だった。
「名乗れ。」
男は言った。
「俺は瞬間移動のヒーロー、名前は何でもいい。」
「おお、エリートか。仲間にしてやるよ。」
「名前がダサいから嫌だな。」
新野さんは玄関を越え、エリティストの方へ歩いた。
「このままだと、お前らボコボコにされて終わりだけど、どうだ。」
新野さんはそう言った。
「ああ、説明がいるよなア。」
男はすっかり失念していたかのように話し出した。
「この建物から出ることができるのは、能力者だけだ。そういう能力者がこちらにはいる。」
「じゃあ能力のあるヒーローが出て行ってお前らをボコボコにして終わりじゃねえか。」
「そうはいかねエ、能力者の能力を無力化する能力者がこちらにはいる。お前ももう少し近づくと危ないゼ。」
「そうかい。」
新野さんは足を止めた。
「この建物は十分後に爆発する。猿どもの皆殺しだ。へへへ。」
十分。僕は自分のすべき行動を模索し始めた。
「まあ、ムテキをこちらに渡してくれるなら、話は違うがな。」
僕はここで下の会話を聞くことを諦め、行動に移ることにした。無敵の彼女を説得するのは、今しかない。一気に騒がしくなる会議室の外、そんな中、無音と言ってもいいくらいの落ち着きで女の人が一人、会議室に入ってきた。




