第三章 幸せって
月曜、仕事に行くと、後輩がパタパタと走って寄ってきた。
「おはよーございます。」
「おはよう。」
「帰省はどうでしたか。」
「楽しかったよ。また仕事頑張ろうって思えた。」
「そうですか、確かに今日の先輩いい顔してます。」
「そう?」
「なんていうか、vigorousって感じ。」
「あーはいはいビゴラスね。あとで調べるわ。」
「ふふふ。」
僕は今週、仕事に精一杯取り組んだ。兄貴が日本一のヒーローになれなかったように、僕もきっとすごいヒーローにはなれないだろう。でも、それでもいいんだと思った。僕は僕の幸せを見つけよう。それはきっとこの毎日の生活を頑張った先にあるはずだ。
金曜になった。後輩が仕事を一人で抱えすぎていることに気づいた僕は、後輩の仕事を手伝うことにした。
「もう定時過ぎちゃってるんで先輩は帰ってください。」
「これ終わるまではやるよ。」
「んー、今週気合い入れすぎです。これができるなら毎週帰省してください。」
僕らは二人で職場に残って仕事をした。そしてもう空も暗くなった頃、仕事に一区切りがついた。
「よーし、帰るか。」
「先輩、明日なんか予定あります?」
「んー、ないけど?」
「先輩の家って近いですか?」
「来ようとしている。」
「正解。」
「いいよ、打ち上げってことで。」
「よっしゃ!」
後輩はわかりやすくガッツポーズをした。僕は笑った。
僕らは一緒の電車に乗って一緒の家に帰ることにした。途中でピザを買って帰ろうということになって、ピザとお酒を買って帰ることになった。
「先輩の家ってどんな感じなんですか?」
「普通の家だよ。ワンルーム。」
「へえ、五年働いてワンルームですか、夢がないですねえ。」
「あんまり住むところに執着してないからってのはあるよ。もっといい家に住んでる同期もいるし。」
「え、先輩って同期に友達とかいるんですか?」
「失礼だなあ。」
そんな会話をしているうちに僕の家に着いた。
「こちらがそのワンルームです。」
「入っていいですか?」
「ちょっと部屋掃除するから待ってて。」
「はーい。ピザ冷えちゃいますよー。私も冷えちゃいまーす。」
「二分待って。」
「いーち、にい、」
僕は部屋に入って、パッと目についたところだけ綺麗にした。二分ならそれくらいしかできない。
「いいよ、入って。」
「失礼しまーす。え、思ったより綺麗。」
「失礼だなあ。」
「テレビ置いてるんですね。珍しいかも。」
「確かに?最近の人テレビ見ないっていうもんな。」
「これ映画とか見れるんですか?」
「うん、なんか契約してたはず。」
「じゃあピザ食べながら見ましょうよ。」
僕らは部屋の隅に荷物を置いて、一緒のソファーに座った。普段一人で座っているソファーは、二人で座るとちょっと狭かった。
「じゃあかんぱーい。」
後輩の音頭で缶チューハイをカチンと当てて僕らはアルコールを喉に流した。
「ん、このピザ美味しいー。ちょっと冷めてるけど。」
映画を流し始めた。映画は、つまらなかった。後輩は、きっと今日この家に泊まるだろう。後輩と話しながら、僕は遥か昔に思いを馳せた。
それは、あの日、彼女が僕の家に泊まった日の思い出だった。今でも鮮明に覚えている、あの夜。彼女は、僕にクイズを出したんだっけ。確か安全ピンを持っていたんだ。そしてそれを自分に刺した。無敵だったはずの彼女は確かに傷ついていた。僕はそこで兄貴の話を思い出した。
「歳をとって怪力が使えなくなったら俺は若い別の怪力の能力者に取って代わられる。」
能力は歳とともに衰えることがある。僕は能力者じゃないから知らないけど、兄貴がそう言うなら正しいはずだ。もし彼女の能力も衰えるのだとしたら。十年前のあの頃に既に無敵ではなくなっていた彼女は今ではもう無敵でもなんでもないだろう。それでも無敵のヒーローとして、日本一のヒーローとして活動している。そんな彼女との思い出に浸った。なんて言ってたっけ。クイズとか言ってこんなことを聞いてきたんだ。
「実は無敵じゃない私が、傷付いた時、一緒にいてくれる?」
僕は、なんて答えたんだっけ。思い出せない。一緒にいたいと、そう思ったはずだった。でもきっと、そうは伝えなかったんだろう。だって、今一緒にいないのだから。そこまで考えて、僕は今一緒にいる人のことを思い出した。そうだ、僕は今後輩と一緒にいる。これが、目の前の幸せということなんじゃないだろうか。僕が今まで見逃してきたことなんじゃないだろうか。これを掴むことが、正しいことなんじゃないだろうか。昔の話は、忘れろ。
気がつくと僕は泣いていた。
「え、もしかして泣いてます?」
僕は、目の前の幸せを掴むことにした。
土曜になり、アラームの音がして僕は目を覚ました。静かに体勢を変え、隣に眠る後輩を眺めた。綺麗な寝顔だ。きっと幸せはこんな形をしているんだろう。僕は幸せの輪郭をなぞろうとした。しばらくして後輩が目を覚ました。
「ん、おはよ。」
「おはよう。」
後輩は伸びをしてから目をぱちっと開けてこちらを見た。
「先輩いつ起きたんですか?」
「ちょっと前。」
「うわー私の寝顔見てたんだー。」
「減るもんじゃない。」
「えっち。」
しばらくして、具体的には一緒にコーヒーを飲んでから、後輩は僕の家から出て行った。「駅まで送るよ」と言ったけど、「別れるのが寂しくなるので嫌です」と言われてしまった。その分、家を出る前に思う存分僕を抱きしめて深呼吸をしてから出て行った。幸せってこういうことなのかもしれない。




