第2話 世界の壁、言葉の迷宮
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国際大会の1次ラウンドを突破した日本代表が次に挑むのは、世界ランキング1位の絶対女王・イタリアだった。舞台は決勝ラウンド、超満員の横浜アリーナ。
実況席の天海うららの前には、前回よりもさらに分厚いデータシートが並んでいた。イタリア代表のプレースタイル、スパイクの最高到達点、サーブの成功率――。
「心を伝える」という本質を掴んだとはいえ、世界のトップスピードはこれまでの比ではない。
「天海さん、今日のイタリアは『データ通り』には動かないぞ」
隣に座る朝倉直人が、腕を組んだまま鋭い視線をコートに向けてつぶやいた。
「彼女たちは、相手の心を折るバレーをしてくる。データを超えた『何か』を掴まないと、お前の言葉はまたスピードに置いていかれるぞ」
試合開始のホイッスルが鳴り響く。
朝倉の予言は、最悪の形で的中した。
イタリアの放つ強烈なジャンプサーブが、次々と日本陣営のレシーブを弾く。日本の生命線である「コンビバレー(組織力)」が機能しない。セッターが走らされ、苦し紛れのトスが東條美咲へと上がる。
「またも美咲に集まる! しかし、イタリアのブロックがすでに完成している!」
ドバシッ! と重い音がアリーナに響く。
美咲のスパイクは、イタリアの鉄壁のブロックに完全にシャットアウトされた。何度も、何度も、世界トップの高さが美咲の前に立ちはだかる。
「東條、決まらない……! 決まりません……!」
うららの声がかすかに震える。モニターに映し出された美咲の表情は、焦燥と疲弊に染まっていた。日本の絶対的エースが、コートの中で完全に孤立していく。うららは言葉を探した。だが、出てくるのは「ブロックに阻まれた」「拾えない」という、冷酷な現実の描写だけだった。
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第3セット、日本はすでに2セットを連取され、後がない。
美咲のスパイクが再びブロックされたその時、うららは双眼鏡越しに、美咲が自陣の床に視線を落とし、小さく首を振ったのを見た。
(違う。美咲ちゃんは諦めてるんじゃない)
かつてバレー部でセッターをしていたうららの脳内に、ある光景がフラッシュバックする。
美咲の視線は、ほんの一瞬だけ、コートの最後方にいるリベロと、ベンチにいる控え選手へと向けられていた。
彼女は、一人で戦おうとして空回りしていたのではない。
「自分の後ろで、ボールを繋ぐために必死に身体を投げ出している仲間たち」の顔を見て、もう一度、自分の折れそうな心を奮い立たせようとしていたのだ。
「朝倉さん……東條選手は、まだ死んでいません」
うららはマイクの音量をわずかに調整し、深く息を吸い込んだ。
「日本、再びリードを許す苦しい展開。世界1位の高さの前に、東條美咲のスパイクはここまで何度も阻まれてきました。……しかし、見てください。エースの目は、まだ前を向いています!」
カメラが美咲のアップを捉える。その瞳には、まだ炎が宿っていた。
「彼女が1本止められるたび、日本のレシーバー陣は、さらに激しく床に滑り込んでいます。『次こそは決めてくれ』ではない。『何度でも拾うから、何度でも打て』。その想いが、今、コートを回っています!」
うららの言葉に呼応するように、イタリアの猛攻をリベロが顔面で受け止め、ボールを上に跳ね上げた。執念で繋がったボール。
「上がった! 泥臭く繋いだ、これが日本のバレーだ! トスは、三度エース東條へ!」
美咲が跳ぶ。
目の前には、やはり3枚の巨大な壁。普通なら、もう腕が縮こまる場面だ。
だが、うららは叫んだ。
「ブロックは3枚!……いや、関係ない! 彼女の後ろには、共に床を這いつくばった5人の仲間がいる! 一人の100歩じゃない、全員の1歩で、この壁をぶち抜くんだ!!」
美咲が空中で、一瞬だけスパイクのタイミングを遅らせた。ブロックの頂点をわずかに外す、クレバーなワンタッチ狙い。
パチィン! と高い音が響き、ボールはイタリアのブロックの指先をかすめて、コート外へと弾け飛んだ。
「決まったアアアア! ブロックアウト! 技ありの一本、東條美咲! もぎ取った、意地の一点です!」
地鳴りのような歓声が横浜アリーナを包む。
美咲はコートの中心で、仲間たちと強く抱き合い、吠えていた。その視線が、一瞬だけ実況席へと向けられた気がした。
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試合は激闘の末、セットカウント1-3で日本は敗れた。世界1位の壁は、やはり高かった。
しかし、会場を包んでいたのは、割れんばかりの拍手と、確かな希望だった。
放送終了後、機材を片付けるうららのもとに、朝倉が歩み寄ってきた。彼はいつもの厳しい表情を少しだけ緩め、こう言った。
「天海。今日の第3セットのあの一言、あれはデータにも台本にもない、お前にしかできない実況だった。お前がコートの『絆』を言葉にしたから、視聴者は敗戦の中に、次の勝利への光を見たんだ」
「朝倉さん……」
「合格だ。お前はもう、ただの伝える人間じゃない。コートの熱を増幅させる、立派なプレーヤーだよ」
朝倉はそう言い残し、満足げに去っていった。
一人残った実況席で、うららはヘッドセットを見つめる。
敗れはしたものの、美咲たちの戦いはまだ続く。そして、それを言葉で支える自分の戦いも、始まったばかりだ。
「次の試合は、もっと響く言葉を届けるからね」
うららは誰もいないコートに向かって、小さく、しかし決意に満ちた声でつぶやいた。彼女の心には、もう実況席という名の「コート」で戦う覚悟が、気高く灯っていた。




