3話 ブラックナイト覚醒
オレはオオカミにゆっくり近寄る。
月明かりがオレと一匹のオオカミだけを照らしていた。
あちらもオレの敵意に気づいたようで、一瞬逃げるような素振りをした。
「逃がすかよ!」
オレは手近にあった石を投げた。
運よくそれは数メートル先のオオカミの胴体に当たる。
風に混じって、グルル……と唸り声が聞こえた。
……さて、挑発には成功したけれど……果たして勝てるのだろうか。
警察犬の訓練動画を思い出す。
強盗の腕に噛みついている間に他の警官が犯人を取り押さえる動画なら見たことがある。
多分あいつも、いきなり首を狙ってきたりはしないだろう。
まずは脚か腕を狙いに来るはずだ。
金属板を巻いた左腕を構える。
なるべく上手いこと腕に誘導しなくては。
オレはもう一発石を投げた。
そいつはそれを素早く避け、こちらに突進してきた。
速い。
だが……どこを狙うか分かっていればそんなに恐ろしくはない、はず。
オレは目の前のオオカミを見据え、金属板の仕込まれた左腕で身体をガードするように向かい合った。
正面のオオカミが大口を開けてオレに飛びついてくる。
オレはそれを左腕で受け止めた。
「ぐ……」
板越しにもオオカミの強烈な咬合力が伝わる。
板ごと腕を粉砕されてしまいそうだ。
オレは短剣を持った右腕を振りかぶり、オオカミに突き立てようとしたところで――背後から肩に痛みが走った。
「なっ……っ!?」
思わず振り返ると、そこにはもう一匹のオオカミがいた。
しまった。オオカミは群れで行動する生き物なのに――どうして一匹だと思い込んでいたんだ!馬鹿かオレは!
オオカミの荒い息が首にかかり、肩がミシミシと嫌な音を立てる。
痛みで気を失ってしまいそうだ。
オレは腕に噛みついたオオカミを睨みつけながら、意識を失わないよう必死で考えた。
……黒野貴志は身動きが取れない。
しかし……「ブラックナイト」ならどうする?
ここは主人公補正が働く異世界。だったら――その文法に則って動くしかなさそうだ。
「『やれやれ……獣退治なんて久しぶりなんだがな』」
オレはそう言いながら強くイメージする。自分が覚醒し、オオカミを蹴散らす姿を。
一瞬、左腕のオオカミが噛むのを緩めた。
その隙を狙って、オレは右脚でそいつを蹴り飛ばす。
瞬間、グローブが光った。
蹴られたオオカミは「キャイン!」と痛そうな鳴き声を上げた。
そのまま背後のオオカミの頭を掴んで背負い投げをすると、そいつは自身の背中を強かに打ち付けた。
オレは急所を丸出しにしたオオカミの腹を狙ってナイフを振りかぶる。
ぐちゅり、と嫌な音がした後、そいつは動きを止めた。
温かくてぬるぬるとしていた。
返り血がオレの顔に振り注ぐ。
オオカミしばらく抵抗したけれど――そこから動きを止めた。
もう一匹のオオカミは、その様子を見て逃げ出そうとした。
オレは背後から短剣を投げると、それは背中に突き刺さり――その身体は、ドサリと横に倒れた。
その様子を見届けてから、オレもその場に倒れた。
「はぁ……はぁ……」
酷く興奮していた。
全身が熱く、心臓が痛いほどに鳴り響く。
あんなに大きな生き物を殺すのは初めてだった。
手にはまだ、さっきのオオカミの血と温度が残っている。
吐きそうだった。
「たかしくん、お疲れ様!いやー、すごかったねー。まさかの拘束からの大逆転!ブラックナイトの名前は伊達じゃないね!」
倒れているオレの頭上を、興奮気味のホセイちゃんが舞う。
小さな妖精に、背景には満月。
絵面だけは名画みたいだった。
「……どうも……」
「肩の痛みは大丈夫?結構深々と噛みつかれてたけど」
「めちゃくちゃ痛い。これ感染症とか大丈夫?狂犬病にならない?」
「リアリストだなぁ。そんなつまらない展開、このホセイちゃんが用意するわけないじゃないか。エンタメは面白いほうが正義さ」
「……へぇ。打ち切り回避できそう?」
「ふふふ。君もこんなに頑張ったしね。エンタメ目線で言うと、さっきの『ブラックナイトなりきり』は最高に良かった。これからも頼むよ」
「……はぁ……」
オレは肩と腕の痛みに耐えながらぼんやりとホセイちゃんを眺める。
強烈に眠かった。
身につけていたグローブがやけに熱い。
オレはそのまま意識を失った。
ーーー
目が覚めると、見慣れない天井があった。
気がつけば質の良さそうなオレは清潔に整えられたベッドの上で寝かされていた。
……さっきダニエルさんが「ここは自由に使っていい」と言っていた部屋だった。
オレはゆっくりと起き上がり、じくじくと痛む自分の肩を確認した。
そこには包帯が巻かれていた。
左腕にも痣があったが――こちらは大したことないだろう。
「おはよ、タカシくん。結構眠ったね」
すぐ近くにホセイちゃんがふわふわと浮かんでいた。
「おはよう、ホセイちゃん。オレはどのくらい眠ってた?」
「多分10時間くらいかな。全く、ダニエルさんに君の勝利と気絶を伝えるのには苦労したよ。感謝してよね」
「あ、ありがとう……ホセイちゃん、その辺は結構無力なんだ」
「わたしが干渉できるのは環境に対してであって、キャラクターに対してじゃないからね」
「ふーん……それ違うんだな」
「全然違うね。わたしは舞台を整える権限と、キャラクターの情報アクセス権ならあるけれど、オオカミだってイノシシだって無から湧いてくる訳じゃない。ただオオカミに困っている農家の情報を持っていたり、オオカミを先に弱らせたりすることはあるけどね」
「へぇ……なるほど」
意外と地道な下準備があるらしい。
ホセイちゃんの言うことを信じるなら、だけど。
その時、ドアが開いた。
そこには昨日のーー空から落ちてきた金髪美女がいた。
彼女はオレに向かって優雅に一礼をした。
「おはようございます、黒野貴志さん」
「き、君は、昨日の」
「わたしはリミアと申します。あなたの治療をしに来ました。それから、昨日は助けて頂きありがとうございました」
「ど、どういたしまして……」
オレが気まずそうに目を逸らすと、彼女は気にした風もなくオレのベッドの上に座った。
彼女の青いスカートがふわりと拡がった。
視界の端に、ホセイちゃんのニヤけた顔が目に入った。
「肩の具合はどうですか?」
「あー……まだちょっと痛むかな」
「かしこまりました。失礼します、動かないでくださいね」
リミアと名乗った金髪美女は、にっこりと微笑む。
その顔はやはり少しだけでミライに似ていて、俺は彼女に一瞬魅入ってしまう。
何故だろう、全然別人なのに。
彼女はそっとオレの肩に触れた。
リミアさんの手のひらから、淡い光が溢れた。
「えっと……これは?」
「触れたところから回復力を高めていく治癒魔法です」
「へぇ……すごいな。魔法なんて初めて見た」
「昨日は……本当にありがとうございました。あなたがいなければ、わたしは今頃ここにはいませんでしたから。あなたは恩人です」
「そんな……大げさじゃないか?リミアさんは魔法が使えるんだろ」
「わたしが使える魔法はこの治癒魔法だけですから。それに、これは自分には使えません」
「へぇ……不便だな」
オレがそう言うと、リミアさんは少し沈黙した後口を開いた。
「……あなたは」
「ん?」
「この世界の人ですか?」
「え、あー……実は違うんだけど……なんでわかったの?」
「名前が……特徴的でしたので。この辺りでは聞き慣れないというか……」
「あ、そっか。黒野貴志なんて名前、この辺にいないよな。まぁオレも今まで同姓同名には会ったことないけど」
「わたしは黒野貴志さんに会ったことがあるかもしれません」
「え?」
予想外のリミアさんの言葉に、オレは間抜けな顔で口を開けた。
オレの知り合いにこんな金髪美女いたっけ。
絶対忘れる訳がないのに、全く覚えがなかった。
「それは……別人だよね?」
「……えぇ」
リミアさんはしばらく沈黙した後頷いた。
その態度に何か意味深なものを感じたけれど、彼女はそれ以上言葉を続けようとはしなかった。
不意に彼女がオレに距離を縮めた。
「肩の傷ですが、まだ時間がかかりそうですね。少し失礼します」
「え?」
次の瞬間、オレは彼女に抱きつかれていた。
彼女の身体の柔らかい部分が全身に当たって、自分の体温が上がるのを感じた。
「えっ、えぇっ!?」
「この魔法は使用者と患者の接触部分が多ければ多いほど効き目が早くなります。少し窮屈かもしれませんが……我慢してくださいね」
「いや窮屈っていうか、いや、えっと、なんて言ったらいいかわかんないですけど」
む、胸が、当たってます!!
こんな幸せな治療があっていいのか!!
彼女の大きな胸の柔らかさと、髪から漂う甘い香り。
それらはオレを動揺させるには十分だった。
そんな様子を見て、彼女はくすりと笑った。それからオレの手に自分の指を絡めた。
ホセイちゃんが脚をバタバタさせ、「ピャー!」と謎の奇声を上げながら悶える姿が遠くに見える。
だ、駄目だ、オレにはミライが……
あぁでも何故だろう、こんなに違うのに、リミアさんからミライの面影を感じて仕方がない。
ミライも付き合い始めた頃、こうやってオレに抱きついて反応見て楽しんだりしてたっけ。
「あ、あの」
「はい」
「これが治療なのは分かってるんだけど……そ、その、流石に刺激的すぎるので離れて頂けないでしょうか」
「あら、駄目ですか?」
「オレ……恋人がいまして」
オレがそう言うと、リミアさんはさらにオレに自分の身体を押し付け、耳元で囁いた。
「へぇ……どんな人ですか?」
「……喧嘩ばっかりだし時々すごくムカつくけど……でも誰よりも大事な人」
「ふーん……」
彼女はしばらく考えるように沈黙した後、「その人のことが、本当に大事なんですね」と笑い、オレから離れた。
緊張から解放された安堵と、ほんの少しの名残惜しさが混じる。
「肩、どうですか?」
「あ……痛くない」
「良かった」
彼女は「安静にしてくださいね」と言いながら、部屋から出ていった。
オレの身体にはまだ彼女の柔らかさが残っていた。
ドアが閉まり、ホセイちゃんは心底楽しそうな顔でオレをのぞき込んだ。
「いやー、うん。予想通り……いや、想像以上かな。ヒロインの破壊力はどうだい?タカシくん」
「……この世界の女性ってみんなあんな感じなの?」
「ふふふ。一応言っておくと、この世界の常識から考えても、彼女はかなり大胆なタイプだよ」
「そうなんだ……何がリミアさんをそうさせるんだ……絶対おかしいだろ」
「それはわたしの口からは言えないな。というかタカシくん、君も満更でもなかったよね」
「あれが嫌いな男は男じゃない」
「おやおや。わたしとしてもブクマが稼げそうで嬉しい限りだよ」
「……」
この小人、完全に面白がってやがる。
オレはホセイちゃんを睨みつけたが、彼女はそれを涼しい顔で受け流した。
ーーー
その日の午後、オレはダニエルさんにもらった報酬を持って町に出掛けた。
30イーネ、日本円にして大体20万円くらい。
……これ、ブクマとか評価が上がるともらえる金額が上がるシステムだったりするのだろうか。
そこの読者様、チャンネル登録、高評価、よろしくお願いします!
なんつって。
しかし本当にこの話に読者とかいるんだろうか。
オレから読者の姿は見えないから、いつ打ち切りになるか分からなくてヒヤヒヤするな。
考えても仕方ないけど。
昨晩のオオカミ狩りはめちゃくちゃ痛かったし命がけだけれど、生活費も治療費も別だし一晩でこれだけ稼げるなら悪くない仕事なのかもしれない。
一応、メタ的には「主人公補正」がかかっている訳だし。
……でも別に怖くない訳じゃないんだよなー。
あぁ、でもこんなふうに前向きに考えられるのも、主人公補正とリミアさんの治療のおかげかもしれない。
もしこれが全治10ヶ月後遺症あり、とかだったら、同じように思うのは難しいだろう。
やっぱり、この世界の戦闘は現実とは違う。
そんな事をぼんやり考えながらフラグくんの後をついていくと、『武器・防具専門店』と看板に書かれた店に着いた。
……来ておいてアレだけど、そもそもこんな店がこんな小さな町にあることに驚く。
日本だったら大都会にあるかないかくらいの専門店だろう。
しかも銃刀法に違反しない程度の玩具しか扱えないだろうし。行ったことないけど。
けれどもここには本物の武器と防具が安価で売っているらしい。
……当たり前だと思ってたけど、現代社会って平和なんだよな。
ずっと平和な環境にいると、そういう事を忘れそうになる。
オレは扉を開けて中に入る。
そこには銀色の甲冑や巨大な斧、弓矢や盾などが所狭しと並んでいた。
「この胸当ては10イーネか……、防具も全部揃えようと思うと最低でも合計50イーネくらい必要だな」
オレは品物を物色しながら店内を歩き回る。
「あとは武器……何がいいんだろ、刃物とか包丁とノコギリくらいしか使ったことないんだけど、もうちょっと長い得物にも慣れたほうがいいのかな。ホセイちゃん、次の展開まだ教えてくれないんだよなー」
ちなみにホセイちゃんはダニエルさんの家で寝ている。
「神にも休みは必要なんだよねー」とか言いながらゴロゴロしていた。
彼女の言葉を信じるなら、舞台を整えるための裏方作業も結構疲れたりするのだろう。
……そんな事より素直に元の世界に返して欲しいけど。
ふと視界の外で誰かが横切るのが見えた。
ぶつからないように慌てて避けると、その人物は同じようにオレを避けた。
「……?」
よく見ると、それは鏡だった。
しかし、そこには見たこともない男が映り込んでいた。
黒髪に金のメッシュが入った短髪、赤と青のオッドアイのイケメンが、そこにいた。
……誰?
10代のオタクが初めてオンラインゲームする時にキャラメイクしたみたいな外見だな。
オレは鏡に近づく。
試しにオレは、右手を挙げてみた。
すると鏡の中のイケメンも、訝しげな表情を浮かべながら同じように右手を挙げた。
随分変わったイケメンだな。オレの動作を一挙一動真似するなんて。
オレは鏡にピースしてみた。
やたらと顔の良い男が無表示で鏡にピースしていた。
「……いぇーいオタクくん見てるー?今から異世界転生してイケメンになっちゃいまーす」
フィクションでよく見るヤンキーのモノマネをしてみたが、思ったより似合わなかった。
顔がイケメンでも陰キャは陰キャだった。
しかし、これでリミアさんの積極的な態度に合点がいった。
こんなイケメンに助けられたとなれば、あの好感度になってしまうのも無理はない。
顔だけが全てだとは思わないけど、やっぱり顔って大事だよなー。
オレだって美少女に助けられたらドキドキしちゃうだろうし。
「……いやしかし、異世界転生ってすごいな……意味わからんことばっかり起きるな」
オレはしげしげと鏡を眺める。
ホセイちゃんなら「やっぱり主人公のビジュは大事だからね!」とか言うのだろうか。
会計を終え、店を出てふと隣のフラグくんを見ると、いつの間にか矢印からビックリマークに変化していた。
「これは……イベント発動するべきか?ホセイちゃんいないけど大丈夫かな」
まぁでも、あの数字狂の神のことだ。勝手に触ったところで面白ければ文句はないだろう。
……むしろこれ、無視したらどうなるんだ?
今までなんの手がかりもないからホセイちゃんの言うことに従ってきたけれど……もし彼女の言う道筋から逸れた場合……一体何が起きるんだ?
これに触れた場合、RPGとしては運が良ければアイテム、悪ければ戦闘……辺りがお約束だろうか。
ただ、あのホセイちゃんのことだ。
「ただフラグくんに従うだけなんてつまらない!」なんて無理難題を言うかもしれない。
どうするべきだ?
主人公なら……ブラックナイトならどうする?
……いやブラックナイト関係ねぇわこれ。
ゲーマーなら出てるフラグは全部触るのが礼儀だろ。
オレは恐る恐るフラグくんに触れた。
その瞬間、フラグくんはクラッカーのように弾け、先端から紙吹雪を飛ばした。
そして何事もなかったかのように矢印に戻る。
「……え?終わり?」
オレが呆気に取られていると、フラグくんは澄ました様子でオレをダニエルさんの家に誘導しようとした。
「いや本当になんだよ!」
町中でオレのツッコミだけがその場に残されていた。
けれどもその瞬間、フラグくんが突然――暴れ出した。
そういう形容は本来はふさわしくないかもしれない。
けれども、オレの目からはそうとしか言えなかった。
「ふ、フラグくん?」
オレの呼びかけにも応えず、フラグくんは上下左右前後にグルグルと回りだした後――フラグくんはその場から弾けたように猛スピードでダニエルさんの家の方へ飛んで行った。
何だ?何があった?
嫌な予感がした。
すると背後から、聞き慣れない男の声がした。
背中に銃口のような気配がある。
冷や汗が身体中から吹き出すのがわかった。
「お前が次の主人公か」
「……だったら何だよ」
「お前に恨みは無いが――ここで死んでもらう」




