第7話命がけの逃亡
闇の中、1台の質素な馬車が狂ったように夜道を走っていた。
車内にいるのは、緊迫した面持ちのマーサと、もう一人――生まれたばかりの赤子を、まるで我が命そのものであるかのように大層そうに抱きかかえた、年若い女性。
やがて、夜闇の奥から地響きのような不穏な馬蹄の音が近づき、激しい風が流れる。
静寂を引き裂くように、物凄い勢いでもう1台の馬車が追撃してきたのだ。
ガツンッ!!!
凄まじい衝撃が、質素な馬車を真横から激しく揺るがした。
敵の馬車が、殺意を孕んだ車輪を軋ませながら、容赦なく体当たりを仕掛けてきたのだ。車内が斜めに大きく傾き、激しい衝撃に襲われる中、マーサが鋭い声を飛ばした。
「ハンナ!! お嬢様を落としてはなりませんよ!! しっかり抱きかかえなさい」
「わかったわ……母さん」
ハンナは衝撃で自分の身体が車壁に叩きつけられようとも、我が身を盾にして、腕の中の赤子を必死に抱きしめ直した。
追撃の馬車は、さらに強引にスピードを上げると、こちらの前に向かって一気に躍り出た。荒々しく手綱が引かれ、巨体を横滑りさせながら、夜道を完全に塞ぎにいく。
ギギギギィィィッ!!!
激しい制動音と摩擦の煙を上げ、道を阻まれたマーサ親子が乗る馬車も、急停車を余儀なくされた。
前方に立ち塞がる、不気味な追っ手の馬車。
静まり返る闇の中、その扉が重々しく開き、中から上質な身なりの男シニストラと彼の従者であるガイが出てきた。
彼らはすぐさまこちらの馬車へと歩み寄り、扉を引き開ける。
無理やり夜の荒野へと引きずり出された二人を見下ろすように
「私から逃げられるとでも思ったのか? マーサ。さぁ、戻るんだ。その赤子も連れて……」
シニストラは抑揚のない、氷のように冷たい声でそう言った。
だが――次の瞬間だった。
マーサは地を這うような体勢から、全精力を込めてシニストラの足元へと弾丸のように飛び込んだ。
まさか反抗されるとは思っていなかった彼は、完全に不意を突かれる。マーサの命がけの体当たりをモロに食らい、シニストラは無様にバランスを崩して激しく地面へと転がった。
「ぐはっ!? な、何を――っ!」
シニストラが怯み、ガイが一瞬呆気にとられた、そのわずかな空白。
泥にまみれながら男を必死に組み伏せんとするマーサが、狂おしいほどの叫び声を夜闇に響かせた。
「ハンナ!! 走りなさい!! お嬢様を連れて、早く、早く行きなさい!!」
「母さん……っ!!」
「行きなさい!!」
母の悲痛な、しかし退路を断つような一喝。
ハンナの瞳から涙が溢れ出す。だが、彼女は迷わなかった。ここで立ち止まれば、母の命がけの覚悟が無駄になる。
ハンナは赤子をその胸に強く強く抱きかかえ、振り返ることなく、漆黒の闇が広がる荒野へと遮二無二走り出した。




