第45話 人の本質に潜むもの
アレクは、モリスから剣を教わり、そして、グレイ伯爵家の厩舎で働く最年長であるロペス爺さんから、ロバのマールの世話の仕方だけでなく、馬の世話の仕方まで教わるようになった。
働き始めて気づいたが、ロペス爺さんはただの厩務員ではなかった。馬の蹄鉄を打ち直したり、足のケアをする専門職も兼ねていたのだ。
それ故、厩舎に関して、絶対的な発言力があり、留守がちな伯爵の代わりにグレイ伯爵家を回している執事のレッドも一目も二目も置いているような存在なのである。
馬の世話までやるようになって、わずかばかりだった賃金が少しばかり上がり、その上、今まで自分で用意していた昼食(と言ってもアレクの母が持たしてくれた手弁当)も、グレイ伯爵家から出るようになったのだ。
だがこのアレクのグレイ伯爵家での待遇が、思わぬ波乱になるのだ。
基本、シオス村の人達は南の田舎特有ののんびりした穏やかな気質である。
七年戦争後に戦争から戻って来た大人達の中には、身体の自由が利かない者、精神的に病んだ者がいた。その中でもマルスの父、マークは厄介だった。
家族に暴力を振るうことはなくなったが、あいも変わらず酒に溺れ、最近では村の外でギャンブルにまで手を出している。
息子のマルスや自分の妻の働いて得た金を、マルスの父が食い潰すという有様だったのだ。
週末の市場から戻って来たアレクは、いつも通り、同伴の大人二人を降ろす為に、まずはシオス村に帰って来た。
そこへ酒臭い匂いをさせながらマークが近寄って来たのだ。
「おい、お前ら物見遊山でいいご身分だな」
その言葉に一人が反応したが、もう一人が、男の腕を引っ張って止めた。所詮は酒に溺れた酔っ払いだ。まともに取り合っても仕方ないからだ。だが、彼等が自分の言葉に反論してこないのが面白くなかったのか、マークは更に絡んできた。
「おい!アレク。お前、子供の癖に上手いことやりやがったな」
大人二人が相手にしてこないので、ターゲットをアレクに向けたのだ。
「俺の息子のマルスもお前ぐらい、ずる賢かったらよかったんだがな。どうやって取り入りやがったんだ!えっ?」
「おい!なに子供に絡んでるんだ」
あまりにも酷い絡み方をしてくるので、流石に無視が出来ずに、一人がマークに怒鳴った。
「おいおい!お前もこの間言ってたじゃないか?アレクは伯爵家で好待遇を受けてやがる。俺がロバを手懐ける能力があれば…とか」
マークのこの暴露で、止めに入った男は、あきらかに顔を引きつらせた。
「いや…お前だけじゃなねえな。他の奴らも陰で言ってるぞ。アレク、上手いことやりやがったって…」
マークの言葉はアレクの心を打ちのめすのに十分だった。彼はガタガタと震えだした。
ロバのマールの手綱を握り、シオス村の魚を市場まで運ぶ。それはあくまでも善意でやっていることだ。そして、その善意でやったことの恩恵を受けた。ただそれだけの事だ。だが裏をかえせば、周りの人間からそう思われていた。その事実を突きつけられた。
「マークいい加減にしろ!!」
外の騒ぎを聞きつけて、村長だけでなく、他の村人も出てきた。
その中にはアレクの母もいたが、マークの家族はいなかった。散々迷惑を被っているマークの家族は、マークを素知らぬ存在として扱っていたのである。
「いったいなんの騒ぎだ」
村長が尋ねると、絡まれた一人が小声で事の成り行きを村長に説明した。
村長はため息をつくと、マークを見やった。
「誰か、マークを家まで送り届けなさい。酔っぱらい戯言だ。まともじゃない」
騒ぎを収める為に村長はそう言った。
村人がマークの腕を取り、引きずって行こうとしたが、マークは最後の悪態をついた。
「どいつもこいつも!この偽善者どもが!!」
大人二人に引きずられるようにしてマークが戻っていき、騒ぎは終結して村人もそれぞれ引き上げた。
なにか帰り際に村長がアレクに声をかけたが、彼にはなにも聞こえなかった。
アレクは荷馬車を引くマールの横で呆然と立ち尽くしていた。
「アレク」
村人がいなくなり、静まりかえってからも動こうとしないアレクに母がそう声をかけた。
アレクは俯いたまま、顔を上げようとしなかった。
「アレク、悪いことをしたわけじゃない者が俯いていては駄目!顔をあげなさい」
顔をあげたアレクの目から涙があふれた。
彼は母に抱きつくと、声を殺して泣き続けた。




