第42話無知は幸福
日の出とともに開く市場を目指し、まだ薄暗い早朝のシオス村を出発した荷馬車の御者台では、アレクが緊張した面持ちでマールを従え、手綱を握りしめていた。
その隣、そして魚が積まれた荷台の後方には、それぞれ浮かれた大人たちが陣取っていた。
「町の市場に荷馬車で行ける」となると、村中の男たちが我も我もと名乗りを上げ、最終的には空前絶後の大真面目なジャンケンによって選ばれた、すこぶる呑気な大人二人だった。
二人は、町へ行けるというだけで完全に遠足気分で浮かれている。
市場にさえ行けば、仲買人という者がいて、自分たちの魚を丸ごと買い取ってくれる――と、彼らは本気で思っていたのだ。それはこの呑気な二人だけでなく、シオス村の者たち全員の共通認識だった。
なにせロバの飼い方ひとつ分からないのに、見切り発車でロバを買い付けてしまう村人たちである。無知なくせに勢いだけは一人前というこの気質は、恐ろしいものがあった。
アレク達が市場に着いたのは、すでに太陽が空高く昇り、影が短くなりかけた昼頃だった。
あちこちの店が木箱を積み上げ、テントの布を外し、売り残った商品を片付けている真っ最中だったのだ。
「あれ……? なんか、みんな帰支度をしてねぇか?」
降り立った二人が、拍子抜けしたように間抜けな声を漏らす。
「おーい、そこのおじさん! ちょっと教えてくれよ」
そのうちの一人が、すでに片付けを始めている魚問屋の親父の袖を、何の悪気もなくグイと引っ張った。
親父の手には、荷造り用の麻縄が握られている。忙しない最中に声をかけられたものだから、親父は眉間に深くシワを寄せ、ギロリと二人を睨みつけた。
「んだよ、忙しい時に。もう店じまいだ、出直せ!」
「いやいや、怒るなって。俺たちはシオス村から来たんだがよ。この町にいるはずの『仲買人』ってのは、どこにいるんだ? 魚を丸ごと買い取ってもらいたいんだ」
その言葉を聞いた瞬間、親父の手が、ピタリと止まった。
周囲で片付けをしていた他の商人たちも、手を止めて一斉に信じられないものを見るような目を向けてくる。
親父は呆れ返ったように大きく息を吐き出す。
「お前ら、何処から来たんだ。未開の僻地か?」
「おい…馬鹿にするなよ」
「馬鹿にされたくないのなら、馬鹿な質問はするな!」
ピシャリと怒鳴りつけられ、二人は気圧されてタジタジと後ずさる。
「おいおい親父さん。怒鳴りつけなくても…どうやらそいつ等は市場の事を分からないでやって来た素人のようだし、優しくしてやったらどうだ」
と若い男が仲裁に入ってくれた。
「ふん。だったら尚更だ。わけが分からないならわからないなりに下調べとか、分かっている人間を連れてくるもんだ!」
「きつい言い方だな」
と若い男は苦笑いを浮かべた。
「そう思うのなら、お前さんがそこの連中の相手をしてやれ」
「そう言われても…私はこの市場を見に来ただけの余所者なので…困ったな」
若い男はしばらく考え込んでいた。
「少し待ってろ。外の馬車に居るお嬢に相談してくる」
そう言って、若い男はその場を離れた。
見ず知らずの若い男の言う事を信じていいものかどうかは分からないが、なすすべもないので、彼らはそこで待つしかなかった。




