第36話 王家の秘密を握る者
東のローゼリアン王国の国王が倒れた事で、その代理として次期女王であるマリア・ロゼが政治の実権を握る事になった。
まず彼女がやった事は、クレセント伯爵領をヴィクトリア・ルベルコルスに返却する事だった。
流石にマリア・ロゼだけの独断でそれを実行するわけにはいかず、彼女は定例の午前閣議で、他の閣僚の了承を多少強引であったが、取り付けたのだ。
元々、クレセント伯爵領である『港町ソルティ』は海が近いせいで作物が育たず、産業もない。港の整備もされてないので航路があるわけでもない。土地としてはあまり価値がないと殆どの貴族達が思っていた。
実際、クレセント伯爵家は土地の収益で生計を立てているというより、軍人として国家に勤務している剣帯貴族である。
爵位返還なら反対の声もあったかも知れないが、得にもならない土地の返還ぐらい、と彼らは軽く考えて、マリア・ロゼの提案を呑んでしまったのだ。
王家の地下書庫。
冷え切った石造りの床には、無数の古文書が散乱し、棚という棚は乱暴に荒らされていた。
いくら目を凝らして背表紙を追っても、目当ての発禁書『シン英雄譚ユグドラシル大陸物語』は見当たらない。
男の額に、じっと冷や汗が滲んだ。焦燥が波のように押し寄せる。
「いくら探してもそこには貴方の目的の物はないですよ、サーザ」
不意に背後からかけられた涼やかな声に、サーザは心臓が凍る思いで振り返った。
暗がりの扉の前に佇んでいたのは、マリア・ロゼだった。
サーザは国王の身の回りの世話を一手に引き受ける側近であり、同時に王家の暗部を陰で支える忠実な手駒の一人だった。
「どうせお父様に頼まれて、あの発禁書を探しに来たのでしょう? でも残念ね。あの本はもうここにはありません」
サーザは大きく目を見開き、次に首を横に振った。
彼は口が聞けなかった。だからこそ、王家の暗部を汚す一切の秘密を外に漏らさない『最適の道具』として、国王に重宝されているのだ。
マリア・ロゼは一歩、また一歩と優雅に歩み寄る。その瞳には、すべてを見透かした圧倒的な余裕の色が浮かんでいた。
「だから、もうここに居ても無駄です。お父様の所に戻りなさい」
マリア・ロゼがそう告げると、サーザは悔しげに目を伏せた。
そして深く一礼すると、何も言わずに地下書庫を出ていった。
彼の背中を見送りながら、闇に沈む書庫の中で、マリア・ロゼは小さくため息をついた。




