第29話 その場を支配するのは10にも満たない少女
謁見の間の重厚な扉が音もなく開かれる。
ウォレス・ルベライトに伴われ、ヴィクトリアが静かに足を踏み入れた。
両端を埋め尽くす貴族たちが一斉にざわめく中、列の最前列で硬直する者たちがいた。かつてルカ・クレセントを「お姉様」と慕い、親衛隊としてその背を追い続けた三羽烏――ハワード大公夫人、ベーカー侯爵夫人、ミラー伯爵夫人である。
彼女たちは、ヴィクトリアの姿を捉えた途端、扇を握る指先を震わせた。
玉座の傍らに控えていたマリア・ロゼもまた、歩み寄ってくる少女の姿に微かに息を呑んだ。
あまりにも色濃く残るルカの面影。その事実に動揺を隠せなくなったハワード大公夫人は、周囲に悟られぬよう慎重に扇で顔を隠し、列を外れると、誰に告げるでもなく静かに謁見の間を後にした。
残された二人の夫人は、動揺を抑え込みながらも、扇で口元を強く覆い、じっとその光景を見守っている。
ウォレスとヴィクトリアは、そんな親衛隊たちの視線と、張り詰めた空気を受け流すように歩を進め、王の前で跪いた。
扉が閉まる音が、妙に高く響く。
玉座に座る国王は、視線が合うウォレスと、その傍らに立つ小さな影――ヴィクトリアを射抜くように睨みつけた。
「……ウォレス・ルベライト。そちが連れてきたその娘、ルカ・クレセントの娘であるという噂があるが、それは真か」
ヴィクトリアは、ゆっくりと顔を上げた。その瞳には、子供特有の怯えなど微塵もない。
「それを聞いて、どうなさるおつもりですか?」
ウォレスではない。ウォレスの隣にいる少女がそう答えたのだ。
謁見の間から音が消えた。
王に対する敬意を欠いた唐突な問いかけに、国王の表情が硬直する。想定外の言葉に、彼は思わず言葉を詰まらせた。
凍りついた空気を切り裂いたのは、傍らに佇むマリア・ロゼの、静かで重厚な声だった。
彼女は国王を正面から見据えたまま、諭すように告げる。
「意味はある。お前がルカの娘かどうか……わらわには、重大なことじゃ」
ヴィクトリアは、その言葉を静かに受け止めてから、再び国王へ視線を戻した。
「貴方様には重要なことかもしれません。ですが、私が誰の娘かなんて事は……この国には一切重要な事ではないのでは?」
「……なに?」
マリア・ロゼが、少女のあまりに冷徹な自己認識を問い質すように声を漏らした。ヴィクトリアは動じることなく、淡々と言い放つ。
「クレセント伯爵家は爵位も領地もなくなりました。シニストラが亡くなって、全て取り上げられました。伯爵であれば王家に尽くすことが何より重要ですが、もう伯爵家が存在しないのです。ですから、私が例えルカ・クレセントの娘であろうがどうであろうが……この国に意味をなさないのでは?」
マリア・ロゼはゆっくりと首を巡らせ、国王の方を見た。
国王の顔は青ざめていた。かつて、シニストラがこの王宮でヴォルフに惨殺された数日後。国王は迅速かつ冷酷に、クレセント伯爵家の取り潰しを決定したのだ。
「王宮で血の事件の引き金を引いた」。それが、表向きの処分の理由だった。
だが、そんなものはただの建前に過ぎない。国王には、最初からクレセント伯爵家を取り潰したいという、別の理由があった。誰にも明かしたことのない、口にできない理由が。
――ただ、その理由に薄々勘づいている者が、この場に一人だけいた。マリア・ロゼである。
マリア・ロゼの冷ややかな視線に晒され、国王は喉を鳴らす。
その不穏な空気を打ち消すように、マリア・ロゼはふっと表情を和らげると、再び正面の少女へと向き直った。彼女はやさしい声色で、その名前を呼ぶ。
「ヴィクトリア」
冷徹な論理で周囲を圧倒していた少女が、わずかに表情を緩める。
マリア・ロゼは、確かな情愛を込めて言葉を紡いだ。
「わらわとルカは親友であった。だからこそ、そちがルカの娘なのか?確かめたいと思うのは、わらわの傲慢か?」
ヴィクトリアは、その穏やかな問いかけを正面から受け止めた。
鋭利だった眼差しが、わずかに和らぐ。
「……それはそうですね。私が王女様の立場だったとしても、同じように確かめると思います。なにせ私は、気になったら確かめなければならない性分なので」
それは、建前や政治的な駆け引きとは無縁の、ただの個人の言葉だった。
謁見の間にいた家臣たちは、国王の顔色も窺わずに一人の王女とだけ向き合うヴィクトリアの姿に、戦慄すら覚えた。
――この日、王宮の空気は、一人の幼い少女によって塗り替えられた。




