第25話 噂の届く先
ヴォルフ達がルベライト商会で働くようになって一年が過ぎた。
あいも変わらずヴォルフは商会では何の役にも立っていなかったが、ヴィクトリアは違っていた。
ルベライト商会には、大人顔負けの怪物のような少女がいる。そんな噂が、商人たちの間で広まり始めていた。
まだ十歳にも満たない子供が商会の帳簿を完璧に管理し、交渉の席にまで顔を出し、老練な商人を相手に丁々発止の交渉を繰り広げている。
それはもはや神童という域を超え、一種の畏怖に近い評判となって、東の王国ローゼリアンのその王宮内にまで届くこととなった。
「……国境沿いにあるルベライト商会の話は聞いたか?」
執務室へと足を運んだマリア・ロゼは開口一番、書類を整理している宰相のオズワルド・ド・ジュールに問うた。
「ルベライト商会ですか? 王宮との取り引き実績はない無名の商会ですが。それがどうかされましたか?」
「ほう。ジュールともあろうものが、彼らの噂を知らぬわけがあるまい」
「……耳にはしております。商人の間での戯言でしょう。何やら大人顔負けの少女が経営を取り仕切っているとか。ですがロゼ様、そのような未熟な子供に商会の舵取りを任せるなど、組織としてのガバナンスが欠如しているとしか思えません。あるいは、背後に何か別の思惑があるのか……。いずれにせよ、王宮が注目するような話ではありません」
オズワルドは、あくまで「子供の遊び」として断じる。論理的で隙のない見解だった。
だが、マリア・ロゼはそんなジュールの言葉を遮るように言った。
「ガバナンスの欠如、か。そんなものにはわらわは興味もない。わらわが聞きたいのは、その子供の身の上じゃ……何か聞き及んでおらぬか? 噂によると、あのヴォルフの娘だということなのじゃ……それに、ルカによく似た顔立ちをしているとも聞いた」
マリア・ロゼが求めているのは、商会の評価などではない。その『怪物のような少女』が、かつての親友ルカの残した子供であるのかどうか。ただそれだけだった。
「ルカ様のですか? いえ……そのような話を私は耳にしておりませんが」
ジュールの言葉にマリア・ロゼは深く、重いため息をついた。
「わかった……ならば確かめるだけじゃ」
「確かめる……とは?」
「ルベライト商会に行って参る」
その言葉に、ジュールは珍しく絶句した。
「正気ですか!? 国境沿いのあの地まで、馬車で一週間はかかる距離でございます。何よりロゼ様は王位継承者。次期女王が王宮を空けることなど、断じて許されません!」
何としても止めなければいけないと判断したジュールは国王に直ちに報告した。
国王は、激昂してマリア・ロゼの私室に現れた。
「マリア・ロゼ! 戯言も大概にせよ!」
彼はマリア・ロゼを前にして、王として、そして父親として厳しい口調で言い放った。
「国境付近など、情勢が不安定な場所だ。次期女王であるお前が、一介の商会の噂のために自ら赴くなどと。国民が、他国がどう思うか考えぬのか! 我儘に付き合わされる民や騎士の身にもなれ!」
国王の言い分は絶対だった。論理的なジュールすら「国王の仰る通りです」と深く頭を垂れる。二人の完璧な包囲網を前に、マリア・ロゼは悔しげに唇を噛んだ。彼女であっても、この二人を真っ向から押しのけて王宮を出ることは不可能だった。
沈黙が続く中、ジュールがふと、妥協案を提示するように溜息をついた。
マリア・ロゼが亡き親友ルカにどれほど執着していたか、彼はよく知っている。あのシニストラの一件もある。
ここで頭ごなしに反対すれば、どんな行動を起こすのか分からない。ならば、王宮の管理下に収まる形に落とし込む方が、まだ御しやすい。
「……ロゼ様。どうしてもその少女の正体を確かめたいというのであれば、別の方法を模索すべきです。ロゼ様が動くのではなく、あの商会を……いえ、その少女を、この王宮へ呼び寄せればよいのではございませんか?」
国王は眉をひそめたが、娘の執着が消えないのであれば、国境へ行かせるよりは遥かに安全だと判断したのだろう。
「……うむ。それが現実的だ。ジュール、ルベライト商会の商会主宛てに王宮からの『招待状』を送れ。商会へ視察に行くのではなく、彼らを王都へ呼ぶ。ロゼ、それが最大限の譲歩だ」
マリア・ロゼは国王の言葉を聞き、静かに視線を落とした。
王宮への呼び出し。それは一介の商会にとっては名誉であると同時に、決して拒むことのできない命令となる。
「……それが妥協点というのなら」
マリア・ロゼは頷いた。
こうして、ルベライト商会、そしてヴィクトリアを王都へ招くための勅命が下された。




