第23話 父の立場、子の立場(中編)
深夜、モリスの部屋に、静かなノックの音が響いた。
「……どうぞ」
まだ寝入っていなかったモリスが返事をすると、ドアの隙間から小さな影が滑り込んできた。ヴィクトリアだ。彼女は慣れた様子で部屋に入ると、さも当然のように寝台のモリスの隣に陣取り、枕を抱きかかえて座り込んだ。
「どうだったの? 話し合いは」
「……あのおっちゃんは一人じゃ何をしでかすか分かんないから。私がしっかり猛獣を野に放さないように見張っておかなきゃいけないと思うの」
言い切ったヴィクトリアの瞳には、6歳児とは思えないほどの決意が宿っていた。
モリスはクスリと笑い、彼女の頭を優しく撫でた。
「猛獣、か。ヴォルフ伯父さんは確かに、聞いていた通りの人だよな。……でもトーリィ、あんまりそれを言っちゃダメだぞ。本人すごくへこむと思うから」
モリスの窘めに、ヴィクトリアは口を尖らせた。
「……モル」
モリスをモルと呼ぶのは、ヴィクトリアだけである。
「モルも、あと二年したらこの村を出ていくんだよね?」
「ああ。18になるからな」
「アイラ叔母さんと、マイラ叔母さんに。……あの話はしないの?」
ヴィクトリアの低い問いかけに、モリスの表情から笑みが消えた。静寂が部屋を支配する。
「……しない。多分この先も、あの話はしないと思う。今更だからな」
「ふーん……。モルはそれでいいの?」
「トーリィはなんでも確かめずには居られない性格だけど……僕はそれでいいんだよ。真実なんて知ったところで、何の意味もない」
モリスの言葉には、どこか冷めた諦念が混じっていた。
「モルがそれでいいなら、私は口を挟まない。でもモルがこの村を出ていくとなったらマイラ叔母さんは酷く寂しいと思う。だって、マイラ叔母さんのただ一人の息子だもんモルは」
「トーリィ! その話はしゃべらない。絶対だ。アイラ母さんもマイラ伯母さんも、僕やトーリィが……それにジョーがその秘密を知ってるなんて思ってもいない事だからね」
「わかった」
ヴィクトリアは短く応えたが、その表情にはまだ納得のいかないものが残っていた。
ハンナに連れられて赤ん坊の頃からこの村で生活しているヴィクトリアにとって、10歳年上のモリスが一番仲のよい従兄だった。
それに対してアイラの次男ジョーとは対立しており、彼女が物心ついた時から『私生児』だの『他所者』だのと言っては、他のクレミス村の子供達とからかっていたのだ。
ヴィクトリアが3歳の頃のことだ。
いつものようにジョーがモリスのことを嘲り、ヴィクトリアに対しても「他所者」とからかっていた。
その日、ヴィクトリアは言葉を返さなかった。代わりに、彼女は獲物を狙う獣のような目でジョーを睨みつけると、迷いなくその小さな体で全力の「突撃」を敢行したのだ。
不意を突かれたジョーは悲鳴を上げる間もなく、ヴィクトリアごと急な坂道を転がり落ちた。地面に叩きつけられ、前歯を折るという無様な姿を晒したジョーの衝撃は、村の子供たちに強烈なトラウマを植え付けた。
ヴィクトリアの怒りに火がついた時、体格差など意味をなさない。
あの事件以来、村の子供たちですらヴィクトリアを怒らせることだけは避けるようになった。
だが、それでもジョーは全く変わらなかった。そして去年、ジョーは再び同じ愚を犯した。
その時のことが、ヴィクトリアの脳裏に蘇る。
『モリス、いい気になるなよ。お前は俺たちとは兄弟じゃない。お前はマイラ伯母さんが産んだ私生児だ。だから俺たちとは髪の色も顔も違う。お前は父親似らしいからな』
ジョーは、勝ち誇ったようにそう言い放った。
あの時のモリスの顔を、ヴィクトリアは今でも覚えている。笑みが凍りつき、血の気が引き、それでも何も言い返さなかった。ただ黙って俯くだけだった。その隣で、ジョーだけが優越感に浸りきった顔をしていた。
私生児だ、他所者だ――。昔から自分に向けていた言葉を、今度はモリスに向けた。
ヴィクトリアは強く枕を握りしめた。
(ジョーのクソったれ。やっぱりあの時に前歯だけでなく、二度と口が聞けないようにしてやればよかった)
心の中でそう毒づきながら、彼女はモリスの横顔をじっと見つめた。
モリスは遠い空を見つめたまま、ただ静かに目を閉じている。ヴィクトリアの怒りに気づいているのか、いないのか――その表情からは、何も読み取ることができなかった。




