第19話旅立ちの果てに 後編
クレミス村へとルカを埋葬するための準備を、ウォレスは完璧に整えてくれた。
クレミス村族長へは伝書鳩で書状を送り、さらにはエルナス光教会へも手回しをし、亡骸を丁重に弔うための許しを取り付けていた。
出発の日。商館の門前には、二台の馬車が静かに待機していた。
ヴォルフが胸に抱えていたルカの亡骸は、いつの間にか綺麗な木箱に詰め替えられ、彼の膝の上に安置されている。泥と血の匂いが消え、木の薫りが漂うその箱は、ヴォルフにとってこの世界で唯一、抱きしめるべき「彼女」の形となっていた。
先頭の馬車には、この旅の世話役となるマーサが乗り込み、そして二台目の馬車に、レニードと、おずおずと木箱を抱えたヴォルフが乗り込む。
商館の門がゆっくりと開き、馬車が動き出す。ヴォルフは窓の外を見ることなく、ただ膝の上の箱を見つめ続けていた。
中世都市サントゥスにはいり、サンマルコの街のエルナス光教会に寄ると、グレゴリウス14世と見習いのニコラが先頭の馬車に乗り込んだ。
トレヴィス山へ二台の馬車は静かに進んでいく。
馬車の中で、ヴォルフは沈黙を守っていた。
彼が14歳でクレミス村を飛び出して以来、一度たりとも故郷には戻っていない。病床の母を裏切った父親との確執。あの男への拭いがたい嫌悪があったからこそ、父の葬儀にさえ、彼は顔を出すことができなかったのだ。
あれから何十年もの月日が流れた。彼が去り、父親の族長が亡くなったあと、若き族長であるラシードを影で支えてきたのは、姉のアイラである。
自分がいなくなったことで巡り巡った村の歴史を想い、ヴォルフは深い溜息を飲み込んだ。故郷そのものは憎からずとも、何十年もの空白を経て戻る自分を、村の人々は、そして族長となった甥は一体どう受け止めるのだろうか。
抱えた木箱の冷たさが、自ら縁を断ち切ってしまった長い孤独を、痛いほどにヴォルフの胸へ突きつけていた。
やがて馬車はクレミス村の広場へ滑り込むようにして止まった。
風に揺れる樹々の音、遠く聞こえる家畜の声。村は何十年もの時を凍りつかせたかのように、あの日の景色をそのまま留めていた。
先頭の馬車からグレゴリウス14世が降り立つと、村人たちはその厳かな空気に圧倒され、静かに道を空けた。
2台目の馬車からレニードが降り、最後にヴォルフが木箱を抱えてゆっくりと大地を踏みしめた。
族長の家から二つの人影が飛び出してきた。ヴォルフの双子の姉、アイラとマイラだ。
アイラはヴォルフの姿を認めるなり、一切の迷いもなく駆け寄り、両手を広げた。
「ヴォルフ!」
姉の腕が、弟の背中を強く抱きしめる。すぐ横では、マイラもまた涙を溢れさせながら、ヴォルフの服の袖を掴んで泣き崩れていた。
二人の温もりと、懐かしい故郷の匂い。
その全てに触れた途端、木箱を抱えて強張っていたヴォルフの身体から、力が抜けていく。かつての確執や、流した歳月の全てを包み込むような姉たちの抱擁の前で、ヴォルフの張り詰めていた心は、ようやく音を立てて崩れ落ちた。
弔いの儀は、一族の墓地へと続く小高い丘で行われた。
教団の慈悲を象徴するように、グレゴリウス14世とニコラが前へ進み出る。
「……この地は、生命が芽吹き、そして還る場所。今、ひとつの尊い魂が、長い旅路を終えて安らぎの地へ辿り着きました」
グレゴリウスの言葉が風に溶ける。司祭の合図とともに、木箱へ土がかけられていく。
乾いた土の音が響くたびに、ヴォルフの胸の重しが一つずつ外れていくようだった。かつての家、かつての自分が、今この土の下で、ルカを優しく受け入れようとしている。
最後の一掬いの土を落とすと、ヴォルフは静かに、しかし力強くその上に手を合わせた。




