第18話旅立ちの果てに 中編
散々男泣きに泣いたヴォルフはしばらくは呆然としていたが、やがて、素手でマグノリアの根元の土を掘り返し始めた。
レニードは、その異様な光景に息を呑んだ。
ヴォルフが狂った。そう直感し、体が強張る。ただならぬ気配に圧倒され、声をかけることさえできない。ヴォルフはまるで獣のように、あるいは何かに憑かれたかのように土をかき分け、その目には理性など微塵も宿っていなかった。
ヴォルフの指先は石や木の根に削られ、爪の隙間からどす黒い血が流れ、土が赤く汚れていく。そのあまりの惨状に、レニードはようやく凍りついていた喉をこじ開けた。
「親父様! やめてください!!」
レニードが駆け寄り、ヴォルフの肩を掴む。だがヴォルフは、まるで何かに取り憑かれたかのように作業を止めない。
「ルカを連れて帰るんだ。こんなところに、たった一人で置いてなんておけない……!」
「連れて帰るって……?! 」
レニードの声も、今のヴォルフには届いていない。彼は返事もせず、ただただ必死に土を掻き出し続けた。やがて、指先が硬いものに触れた感触があった。
掘り返された土の中から、無機質で、しかしあまりに冷淡な現実が姿を現す。
ヴォルフはそこでようやく動きを止めた。
時の経過とともに土に還った、無言の頭蓋骨だった。
「……ルカ」
ヴォルフは、まるで宝物でも扱うかのように、震える両手でそれをすくい上げた。泥で汚れた白い骨を、自分の頬にすり寄せる。たとえ朽ち果てて骨になろうとも、ヴォルフにとってそれは紛れもないルカであった。慈しむようなその仕草は、見ているレニードの心を根底から揺さぶるほどに異様で、そして悲痛だった。
一週間という、レニードにとっては永劫にも感じられる旅路を経て、商館の門が開かれた。
ヴォルフはルカの亡骸を掘り返したあと、そのまま自分の故郷であるクレミス村に向かうつもりだった。だが、一度ルベライト商会に戻って、ウォレスに報告をするのが筋だとレニードに諭されたのだ。
馬車から降りたヴォルフの姿は、まるで黄泉の国から迷い込んだ亡霊のようだった。やつれた顔に、泥と血に汚れた手。そして、上着に包まれた何かを、狂おしいほど大切に抱きしめている。
ヴォルフは周囲の視線など意に介さず、ウォレスの執務室へと直行した。扉を押し開け、泥のついた靴のまま部屋に足を踏み入れる。
「……ウォレス様」
掠れた声で、ヴォルフは切り出した。
「クレミス村へ、行く。……ルカを、埋葬しに」
その言葉は、事後報告に近い響きを持っていた。ウォレスは執務机越しに、ヴォルフの抱える「それ」を静かに見つめた。その瞳には、ヴォルフがたどってきた凄惨な過程が映し出されているようだった。
「行くのは構わんよ。だが、ヴォルフ。港町ソルティに行く時にも言ったと思うが……必ず、ここに戻ってきなさい。約束できるかね?」
ウォレスの鋭い問いかけに、ヴォルフはわずかに身体を強張らせた。その沈黙が、すべてを物語っていた。
答えに窮するヴォルフを見つめ、ウォレスはゆっくりと椅子から立ち上がった。窓の外に目を向け、どこか遠い過去を懐かしむような、寂しげな笑みを浮かべる。
「かって私にはこの商会をきり盛りしていた息子と愛する妻がいた。あの七年戦争が起きた時に、私は他の商人と同じように商売の好機が巡ってきたと大喜びで武器を売りさばいた。」
ウォレスは自嘲気味に口角を歪めた。その瞳には、かつて見た戦火の焼け野原が焼き付いているかのように、深い闇が宿っていた。
「その結果が、二人の死だ。いや、妻や息子だけでない。私の売った武器が、数え切れないほどの誰かの命を奪ったのだ。二人を失い、誰かの命を奪ったんだという事実に、私は茫然自失となった」
ウォレスはふう、と深く息を吐き出す。
「私は皆の後を追うつもりだった。そうすることで楽になれると思った。だが……私には商会があった。その下で働く者たち……それを捨てて、自分が自ら楽になる。それこそが、私の怠慢ではないかと思ったのだ」
ウォレスは一歩踏み出し、ヴォルフの肩に静かに手を置いた。
「ヴォルフ、生きることは楽ではない。だが、誰かのために生きる事をまずやってみる事だ。そうすれば自ずと、自分のために生きようとすることができる」
「……誰かのために、生きる」
ヴォルフが鸚鵡返しに呟くと、ウォレスは静かに頷いた。
ヴォルフは抱えていた包みを一段と強く抱きしめた。それは先ほどまでの「死の覚悟」を宿した抱擁ではなく、ルカという存在と共に生きるための、決意の抱擁へと変わっていた。
クレミス村への道は、もはや彼にとって死へ向かう道ではなくなっていた。その旅の果てに何が待っているのか、ヴォルフはまだ何も知らない。ただ、今はルカの骨の重みを胸に、再び歩き出すだけだった。




