第17話 旅立ちの果てに 前編
ヴォルフとレニードを乗せた馬車が、砂埃を上げて商館を離れていく。その背中を見送ったマーサは、静かに踵を返し、執務室で窓の外を見ていたウォレスの元へ向かった。
「旦那様、ありがとうございます」
彼女は深々と頭を下げた。
「本来なら、何の関わりもないヴォルフ殿の身元保証人になっていただいただけでなく、こうして旅立ちまで整えていただきまして……」
ウォレスは窓枠に肘を突き、くゆらせていた葉巻を灰皿に置いた。
「マーサ、そういうお前だって、ヴォルフとは何の関わりもない他人だろう?」
ウォレスの淡々とした問いかけに、マーサは顔を上げ、一点の曇りもない声音で答えた。
「そうでございますが……」
彼女は一呼吸置き、慈しむように言葉を紡ぐ。
「私とルカお嬢様は主従の関係でございましたが、私は自分の娘のように思っておりました。だからこそ…お嬢様が命をかけて愛したお方であるヴォルフ殿は、私にとっては、ただの他人ではございません」
「そうだな……私があの荒野でマーサ、お前を拾った時から、お前と私には縁というものができた。その縁が、ヴォルフという男との繋がりを運んできた。だから私もただの他人ごとではない」
ウォレスは少しだけ遠い目をして、窓の外の空を見上げた。
「だが……しかし、マーサ、少々ヴォルフに対していじわるが過ぎないか?」
ウォレスの不意な指摘に、マーサはきょとんとした表情を浮かべた。
「私が何かいたしましたか?」
「ヴォルフに希望を与えるなら、墓の話よりも子どもの話をしたほうが、アイツにとっては救いになったと思うが?何故その話をしなかった?」
ウォレスの問いに、マーサはきっぱりと、だが穏やかな声音で答える。
「……それは、ヴォルフ殿が本当にヴィクトリアお嬢様の父となれるお方なのか、私には分からなかったからでございます。」
マーサは一度目を伏せ、言葉を続けた。
「もし父となる覚悟がおありなら、亡きお嬢様を想い、自らの足であの子のもとへ辿り着かれるはずです。だから私は、お伝えしませんでした。」
マーサの言葉を聞いたウォレスは、驚いたように目を見開き、やがて楽しそうに声を上げて笑った。
「なるほど。それはなかなか手厳しいな」
マーサは小さく微笑み、一礼した。
「そういうわけでございますから、ウォレス様もどうかご内密に。くれぐれも口を滑らせませぬようお願いいたします。」
「……分かった。約束しよう。」
ルカの残した未来は、今はまだ小さな種火に過ぎない。だが、その種火はヴォルフという男を燃やし、やがてはより大きな炎となって、彼らの人生を照らすことになるだろう。
ヴォルフとレニードは、港町ソルティへと到着した。
この町は、これといった特徴も、活気もなかった。ただ海風が吹き抜けるだけの、ひどく寂れた場所だ。
沖合に目を向けると、海の上にぽつりと浮かぶ小島が見える。かつてルカが過ごしたクレセント伯爵邸は、今もそこに沈黙を守るように佇んでいた。
潮が引いている時間帯であれば徒歩で渡れる道が海面に顔を出すが、今は満ち潮で、島は海に切り離され孤立している。ヴォルフとレニードは町外れで船を出してくれる者を探し、小舟で島へと渡った。
島に上陸し、伯爵邸の裏手へと向かう。屋敷の外れ、そこにひときわ目を引く大きなマグノリアの木があった。
その根元には、一見しただけでは分からないほど自然に馴染んだ土の盛り上がりがあった。誰にも悟られぬよう、彼女たちがどれほど細心の注意を払って隠したのかが伝わってくる。
見上げると、マグノリアは純白の花を咲かせていた。その花びらが、ルカの亡骸を弔うかのように静かに一枚、土の上に舞い落ちる。
「……ここか」
ヴォルフは膝から崩れ落ちた。土の感触が、ルカがもうこの世にはいないという冷酷な事実を突きつける。彼は震える手で土に触れ、声を殺して泣いた。
罪悪感、後悔、失った悲しみ。すべてを吐き出すように、彼はその場所で泣き続けた。




