第14話 神は裁かないが悪事には鉄槌はくだる前編
ルカの両親の葬儀で、ヴォルフはシニストラと出会った。当時の彼は、ただの親族の参列者という立場に過ぎなかった。
だが、次にヴォルフがクレセント伯爵家を訪れた時、シニストラはすでにクレセント新伯爵として、ルカの後見人の座に収まっていた。
再び結婚の許しを乞うため訪れたヴォルフに、シニストラは冷酷に告げた。
「ルカは他所の貴族の元に嫁ぐことになった。そして二度と貴様の顔は見たくないと言っている」
投げ返されたのは、ヴォルフが結婚の誓いとしてルカに贈ったバングルだった。
その瞬間、ヴォルフは絶望の淵に立たされた。
クレミス村には、婚姻にまつわる古くからのしきたりがある。二人が結ばれる前、最低でも一週間は自分の腕に、送る相手のバングルをはめ、それを相手に贈るのだ。自分の体温と意志を宿す、魂の準備を整えるための神聖な儀式であった。
ルカがそのバングルを返してきたということは、彼女が自分を受け入れることを拒絶し、その絆を自らの手で引き千切ったということに他ならない。
――なぜ、あの時真実を確かめなかったのか。
その問いは、その後もヴォルフの心を蝕み続ける。ただただシニストラの言葉を信じ、ルカの心変わりに打ちひしがれて去ったあの日以来、彼は二度と東のローゼリアン王国に足を踏み入れることはなかったのだ。
シニストラの私室。ヴォルフは勧められるままに、彼と対峙する椅子へ腰を下ろした。傍らには、従者のガイが控えている。
「実に滑稽だったよ」
抑揚のない顔で座るヴォルフを蔑んだ目で見ているシニストラが口を開く。
「あんなバングルひとつで引き下がるとはな」
ヴォルフの視線を受けると、シニストラは口角を吊り上げ、嫌らしい笑みを浮かべた。
「あのバングルは、ルカが自ら外したものじゃない。私が取り上げたのだ。ついていたメイドの命と引き換えにな!」
シニストラは悠然と立ち上がると、卓上のワイングラスを手に取り、ゆっくりと揺らした。深紅の液体がグラスの縁を伝う。彼にとって、ルカの人生もまた、その程度の娯楽に過ぎないのだ。
その言葉に、ずっと沈黙を守り伏せられていたヴォルフの顔が、ゆっくりと上がった。その瞳には、すでに人間としての温度が消え失せている。
シニストラはヴォルフの殺気に気づくこともなく、愉悦に満ちた笑みを浮かべて続けた。
「確かハンナとかいう小娘だったな。馬鹿なメイドが粗相をしたのでお仕置きをしていたら、お優しいお嬢様が止めに入った。『どうかシニストラ様、おやめください。ハンナの粗相は私の責任です』ってな」
シニストラは嘲笑った。
「ルカは嫁になど行っていない。あの屋敷で死んだ! 可哀想にな、お前などと一緒になろうとしなければ、生きながらえたかもしれないのに」
ルカが死んだ。
それはルカが他所の男の元に嫁いだという嘘よりももっと彼の心を打ちのめした。
男はさらに追い打ちをかける。
「血で汚れ、最後はボロキレのような状態だったよ。東のローゼリアン王国の二輪草とまで呼ばれた美女がな! いくら美しかろうと、ああなってしまっては見る影もない」
ルカの最期の様子を聞かされ、ヴォルフは震える声で問いかけた。
「ルカが死んだというなら……墓はどこだ」
せめてその墓前に立ち、手を合わせたい。ヴォルフの絞り出すような願いも、シニストラは無残に打ち砕いた。
「墓ぁ? 墓などない。蛮族などと交わって汚れた女を何故、私が埋葬しなければならない?」
「……墓がないだと」
ヴォルフが低く繰り返すと、シニストラはあからさまに肩をすくめて見せた。
「汚れた女の死体の始末は野犬か狼で十分だ 」
その言葉を合図に、ヴォルフは音もなく椅子から立ち上がった。
シニストラが次の言葉を発する間もなく、巨大な影が彼を呑み込む。それまで嫌らしい笑みを浮かべていたシニストラの表情が、凍りついたように強張った。
ヴォルフの瞳に宿る、決して消えることのない深い絶望と、それを塗り替えるような静かな殺意。シニストラは、自身の死を直感したのだ。
「お前には、人の心がないようだ。……だが、人として終わらせ方は教えてやる」
ヴォルフがゆっくりと手を伸ばす。
シニストラが悲鳴を上げる暇すらなかった。
部屋に響いたのは、重苦しい沈黙と、ただ一人の男による冷徹な宣告だけだった。




