第13話嵐が吹き荒れる後編
ローゼリアン王国の貴族、ヴェストファール伯爵に雇われてから1か月が過ぎた。
与えられた任務は、伯爵の身辺警護。なぜわざわざ傭兵である自分たちを雇ったのか。赤髪の男には、その理由は痛いほど分かっていた。
七年戦争の爪痕は深く、平民の多くが命を落としたことで、領地の税収は激減していた。困窮した貴族たちは今や吐いて捨てるほどおり、ヴェストファール伯爵もその一人だ。正規の私兵を養う余裕など、とっくの昔に消え失せている。
だからこそ、安価で使い捨てが利く傭兵を、こうして「名門の体裁」を保つために雇い入れたのだ。
「……明晩、王宮で晩餐会がある。お前も同行しろ。……それなりに見栄えのする格好でな」
伯爵の命は、どこか弱々しかった。
王宮の晩餐会。それは名門としての最後の聖域であり、同時に、財力のない伯爵にとっては背伸びをして出席しなければならない過酷な社交の場でもあった。
翌日。
赤髪の男は、使い古された礼服を纏い、ヴェストファール伯爵の背後を歩いていた。
華やかな王宮の回廊。だが、男の瞳にはその装飾すら虚しく映る。
その時だった。
人混みをかき分けるようにして、一人の男が視界に現れた。
――シニストラ。
忘れようと思っても忘れられない顔だった。
シニストラもまた、こちらに気づいたようだ。彼はわざと廊下の中央に立ち塞がると、
「おや?」
わざとらしく声を張り上げ、周囲の注目を集める。
王家の始祖の代から続くクレセント伯爵家の威光を背負い、彼は至極当然のように振る舞った。
「ヴェストファール伯。随分と獣臭い随伴者を連れておいでですな。ハエがたかっているのかと思えば、デカい熊が迷い込んだか」
周囲の貴族たちが、クレセント伯の言葉に倣うようにクスクスと笑い声を漏らす。ヴェストファール伯は屈辱に顔を歪めながらも、格上の相手に逆らえるはずもなく、ただ視線を落とすしかなかった。
「その熊の名前は……そうそう、ヴォルフガンフだったな。あの蛮族のクレミス村の出身という……」
蛮族。自分の出自を、あろうことか人前で嘲笑の対象にするシニストラの言葉に、ヴォルフは拳が白くなるほど強く握りしめ、必死に耐えた。ここで騒ぎを起こせば、ヴェストファール伯に多大な迷惑がかかる。
さらにシニストラは、周囲の貴族たちに向けて芝居がかった手振りまで加えてみせた。
「思い上がった蛮族の薄汚い身の程知らずが、何を思ったのか伯爵家の娘と結婚しようなどと夢想していた。……ああ、いやはや。頭がいかれた行為というものだ」
シニストラは心底愉快そうに鼻で笑う。
かつてルカと共に過ごした、あのささやかな夢までもが、この男の口を通すことで泥のように汚されていく。
「おや、いかん。あまりに場違いな者を相手に、少し口が過ぎましたかな」
シニストラはわざとらしく周囲を見渡すと、不意に声を潜め、ヴォルフのすぐそばで足を止めた。周りの貴族たちには聞こえない距離で、毒を含んだような笑みを浮かべる。
「だが、お前のその未練がましい眼差し……そんなにルカの行方が気になるか? どこで、どんな暮らしをしているか、教えろと顔に書いてあるぞ」
ヴォルフの背筋に、熱いものが走った。シニストラの言葉は、男が長い間、心の奥底で血を流しながら抑え込んできた渇望に、直接触れてきた。
「ルカのその後を知りたければ……私の部屋へ来い。ヴォルフガンフ。……たっぷり、教えてやろう」
シニストラはそう言い捨てると、振り返りもせずに回廊の奥へと歩き出した。
ヴェストファール伯が、不思議そうにこちらを見ている。
だが、ヴォルフは伯爵に言い訳をする言葉さえ見つからなかった。ただ、脳裏には「ルカ」の名前だけが焼き付いている。
ヴォルフは、何かに操られるように、シニストラの背中を追って歩き出した。




