第11話アレクが憧れた赤髪の双剣使い
七年間に及んだ戦争がようやく終結した後、シオス村に戻ってきたのは「平和」ではなく、深い絶望だった。
かつて村を活気づけていた男たちの多くは戦地から戻らず、帰還した者たちも手足を失うか、あるいは心を壊して廃人となっていた。
アレクの父ギルバートは戦地から戻って来なかった。父の顔も声も知らないまま、アレクは六歳になっていた。
村では毎日のように、マルスの家から怒号と破壊音が響いていた。
マルスの父は生きて帰ってきたが、酒に溺れ、家族に暴力を振るい続けていた。村長が何度も止めに入るが、荒んだ男の心はもう誰にも治せなかった。
「親父なんて、あの戦争で死ねばよかったんだ!」
広場でマルスが吐き捨てたその言葉に、アレクの胸の奥を冷たい風が吹き抜けた。
「……マルス。でも、僕はうらやましいよ」
マルスは驚いて、アレクを睨みつけた。
「何がうらやましいんだよ、アレク」
アレクは答えることができなかった。自分には父はいない。どんなにひどい父親でも、それはそこに「父」として存在する。毎日のように荒れる父親を見てきたマルスに、父のいないアレクのこの心の寂しさは、到底わかるはずもなかった。
マルスが去った後、静まり返った広場で、アレクは仰ぎ見る空へと手を伸ばした。
「お父さん……」
母には聞かせられない。だが心の中で何度も何度もそう呼んでいた言葉を、彼は初めて喉から絞り出した。
狂おしいほどに父というものが恋しかった。
ある夜、強盗たちの影が村を包み込む。
彼らは家々を荒らし、金目の物を物色したが、村は既に極限まで困窮しており、奪えるような富などどこにはなかった。苛立ちを募らせた彼らは、やがてその毒牙を村人たちへと向けた。
「金もねえのか。……なら、見目のいい女と子供をさらうぞ。これなら売れば小銭にはなる」
彼らは食料を奪うだけでなく、若く美しい娘や、アレクの母までも強引に引きずり回し、連れ去ろうとした。
「母さんの手を離せ!」
アレクは母を引きずる男の腕に必死で噛みついた。しかし、幼いアレクの力では敵うはずもなく、無情にも振り払われ、地面に叩きつけられる。男たちは倒れたアレクを容赦なく踏みつけた。
「だ……誰か! 助けて!」
母の悲痛な叫びが夜空に響く。しかし、村の大人たちは皆、ただ茫然と立ち尽くすしかなかった。傷つき、弱り果てた父親たちには、武器を取り、強盗に立ち向かう気力など残されていなかった。誰もがその悲惨な現実を理解しながらも、自分の身を守るだけで精一杯で、ただ唇を噛みしめることしかできなかったのだ。
絶望が村を支配した、その時だった。
「ぐあっ!」
闇を切り裂くような鈍い悲鳴とともに、男の一人が地面に転がった。そこに立っていたのは、月明かりを纏った赤髪の男だった。両手には、二本の剣が握られ、鋭い光を放っている。
「後ろからとは卑怯だぞ!」
「……寄ってたかって子供を踏みつけるようなヤカラに、卑怯者と言われたくはないな」
男は肩をすくめて嗤った。その瞳には、獣のような鋭い光が宿っていた。
男は一歩、踏み込む。
それは戦いというよりも、荒々しくも美しい舞であった。二本の剣は流れるように強盗たちの攻撃をいなし、その隙を縫って急所を叩く。男の剣技の前に、強盗たちは次々と地面を這うことになった。
アレクは母の腕の中で、痛みを超えた意識でその光景を目に焼き付けていた。
「(なんて、強いんだ……)」
「……覚えていろ!」
強盗の一人が呻きながら逃げ去るのを、男は追いかけもしなかった。
「生憎だが、覚えが悪いんでな」
「オヤジ様!」
夜の闇から現れた若い男の声。
彼は周囲を見渡すと、「どうやら私の出番はなかったようですね」
「まだまだワシの腕は鈍っちゃあいねぇぞ、レニード。お前の出番等用意されてない!」
赤髪の男は誇らしげに、しかしどこか虚無的に胸を張った。
赤髪の男は腰をかがめると母の腕の中のアレクを見た。
「無茶をするな、坊主。大丈夫か?」
覗き込んだその瞳には、燃えるような炎を宿していながら、どこか言いようのない悲しみが同居していた。
「おい!あんた一体何者だ」
村の長老の問いかけにも答えず、男は立ち上がり、静かに去ろうとする。
「待ってください! せめてお名前だけでも!」
母の叫びに、男は振り返ることなく言い放った。
「名乗るほどの名前でもない……」
そうして二人は、夜の闇へと消えていった。
アレクは母の腕の中で、遠ざかる赤髪の背中をいつまでも追い続けていた。
その背中が闇に溶けて見えなくなっても、アレクの心の中には、英雄の残像が消えることはなかった。
「(いつか……いつか僕も、あんな風に。あんな風に、誰かを守れる強さが欲しい)」
アレクの小さな胸に、二本の剣を操る赤髪の男への憧れと、何よりも強い決意が宿った。
それは英雄としての憧れだけではない。
アレクは彼の中に父というものを重ねたのだ。
数年後、アレクは憧れ続けたこの英雄と再会する。
だがこの時の彼はまだ知らなかった。
この男が、誰よりも強く、誰よりも不器用な父親であることを。




