第10話灰色の魂の名前はヴィクトリア
グレゴリウス14世の手紙を受け取ったアイラはマイラを連れて、トレヴィス山を荷馬車で下り、サンマルコの街にやって来た。
エルナス光教会では、ニコラが聖堂の掃除をしていた。
アイラとマイラが教会の扉を開けて
「クレミス村のアイラが来た事を司祭に伝えて下さい」
とアイラが言うとニコラは掃除をしていた手を止め、すぐさま奥の部屋に引っ込んだ。
ニコラが慌ただしく奥へと消えてから、礼拝堂には静寂が戻った。アイラとマイラは、使い込まれた教会の椅子に腰を下ろすこともなく、立ち尽くして入り口を見つめていた。
しばらくすると
奥からグレゴリウス14世が聖堂に姿を現した。
「お返事を出す事なく、直接参りました事をお許し下さいグレゴリウス様」
「いや…こちらこそ急な手紙で、さぞ驚かれたことと思います」
「それでその、ヴォルフとルカさんの子供というのは」
アイラの言葉を受けて、グレゴリウス14世は奥の部屋へと二人を促した。
部屋の部屋ではハンナの腕の上で赤子が小さく寝息を立てていた。
アイラは、その赤子の顔を覗き込み、かすかに息を呑む。
赤子はルベルコルス一族の血を引く赤い髪をしていた。だが、母親似なのか、とても美しい顔立ちだった。
「この子がヴォルフの」
アイラの声が震える。マイラはすでに涙を流していた。
「で…名前は?」
そう言われてハンナは頭を振った。
赤子が男なら殺してしまうつもリだったクレセントの新伯爵シニスストラから逃げてきたのだ。名前をつける猶予等なかった。
聖堂の重苦しい静寂の中、ハンナは赤子を抱きかかえ冷たい石畳に膝を突き、その後ろにアイラとマイラが立っていた。
グレゴリウス14世の祈りの声が低く響いていた。その時、聖堂の空気がビリビリと震えた。
同時に、マイラの身体が、ガクリと前かがみに崩れ落ちた。
「マイラ! どうしたの!」
立ち直ったとはいえ、マイラの瞳は焦点が合わない。そしてその口元から、決して彼女のものではない、地鳴りのような響きを伴った声が漏れた。
『吾はトレヴィス山の麓に住むオルティスなり。その子供の名前は吾がつける』
アイラは目の前で起きている事態に言葉を失う。
「……神獣、オルティス様……? いやまさか……マイラは子を産んで、もう御子としての力はないはず」
ルベルコルスの御子は子を産み落とす事で失われる。
マイラは秘密裏にモリスを産んだ。
もう彼女には御子として力は失われていた。だからこそあのアルベルト・サンマルコが最後の客だったのだ。
『そう。もう彼女は御子としての力を失っておるる。だが、吾には御子の力なぞ必要ではない。これは吾の力じゃ。この者の身体が一番入りやすかったからに過ぎん』
アイラは唇を噛み締めた。そんな理不尽な理由で、マイラを依代に使うなんて。しかし、神獣の絶対的な威光の前に、抗う言葉など見つからない。
『その子の名前はヴィクトリア。その名前をつける事で、6月の女神ヴィクトリア様が、自分と同じ加護を与えると言っている。どうする? 人間よ』
「……背負わせるつもりですか?この子に女神の宿命を」
というアイラに、神獣オルティスは残酷な宣言を口にした。
『どっちにせよ! その子は灰色の魂を持って産まれた。平坦な人生は送れぬ』
その言葉に、アイラはかつて聞いたあの不穏な神託の残響を思い出した。
「この子が灰色の魂。ヴォルフの娘のこの子が…」
寄りに寄って自分の弟の血をうけた赤子が大陸を救う魂の存在だと言う事実。これから先、この赤子はどんな運命を辿るのか、それを想像して彼女は身震いをした。
だが、マイラの御子として能力に間違いはない。そして今目の前でマイラの身体を借り言葉を発している神獣オルティスが偽りを言うはずがない。
「それがこの子の運命だというのなら、少しでも加護を!女神ヴィクトリア様の力を!!」
アイラはそう叫んだ。
『わかった、その言葉しかと受け取った。その赤子は今日からヴィクトリアだ!』
その瞬間、祭壇の壁画が轟音とともに黄金の奔流を放った。
光の渦が聖堂を埋め尽くし、真っ直ぐにハンナの腕の中にいる赤子へと降り注ぐ。ハンナは悲鳴に近い息を漏らし、必死に赤子を抱きしめた。
ヴィクトリアと名付けられた赤子が、眩い光の中で青い瞳を開いた。
灰色の魂を持つその子の運命は、この日、大きく動き始めたのだった。
第1幕終了
日曜日の23時30分に更新させるつもりだったのに忘れてました。
勇盾は土曜日・日曜日の23時30分更新です。
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