閾
『試行回数:残り1』
その一行で、空気が変わる。
教室。
ざわついているはずなのに、遠い。
「……あと一回」
口に出すと、重くなる。
ここまで来た。
何度もやり直して。
何度も削られて。
それでも、残った。
「……最後」
指が、震える。
選べば、消える。
選ばなければ、削られる。
逃げ道はない。
⸻
「れん」
声。
振り向く。
結衣。
いつも通りの顔。
でも、目だけが違う。
「さっきの、できたね」
「ああ」
短く返す。
「すごい」
その言い方に、違和感がある。
褒めてるのに、どこか“確認”している。
「ねえ」
少しだけ近づく。
「次、どうするの?」
「……使わない」
即答。
「最後の一回、使わない」
結衣が、ほんの少しだけ目を細める。
「使わなかったら?」
「減る」
短く。
「勝手に削られる」
沈黙。
「じゃあ、使うしかないね」
正論。
でも。
「違う」
首を振る。
「“選ぶ”のが間違ってる」
言葉にする。
形にする。
今までの全部。
一人を選ぶ。
二人を同時に救う。
全部、“枠の中”だ。
だから、勝てない。
「枠ごと外す」
結衣の視線が、少しだけ変わる。
「どうやって?」
「……分からない」
でも、やるしかない。
⸻
夜。
教室。
誰もいない。
黒板は白い。
でも。
“向こう側”がある。
見ようとすれば、見える。
『観測継続』
浮かぶ文字。
「……終わらせる」
チョークを持つ。
冷たい。
ここで終わらせる。
選ばない。
削らせない。
そのために。
「お前を、止める」
黒板に書く。
『停止』
反応はない。
「なら」
握り直す。
「定義だ」
ゆっくり書く。
『最適化=彼女の生存』
一瞬。
『定義競合』
来た。
「上書きしろ」
さらに書く。
『ノイズ=彼女以外』
黒板が揺れる。
『危険』
初めての言葉。
「知ってる」
答える。
「でも、このままじゃ終わらない」
もう一行。
震える手で書く。
『観測者=俺のみ』
静寂。
『再定義承認』
通った。
「……やれる」
そのとき。
「それ、だめだよ」
声。
振り向く。
結衣がいる。
静かに。
「……見えてるのか」
「うん」
あっさり。
「全部じゃないけど、だいたい」
心臓が鳴る。
「じゃあ、分かるだろ」
黒板を指す。
「これで終わる」
結衣は少し考えて、首を振る。
「終わらないよ」
「なんで」
一歩、近づく。
「それ、“私しか残らない”って意味だから」
理解が追いつく。
「……全員、消える」
「うん」
当たり前みたいに。
「それでいいの?」
答えられない。
「れん」
やさしい声。
でも、逃げられない。
「それ、選ぶのと同じだよ」
核心。
「一人ずつじゃないだけで」
沈黙。
チョークが軋む。
「……じゃあどうすればいい」
結衣は、少しだけ笑う。
「簡単だよ」
一拍。
「私も、ノイズにすればいい」
世界が止まる。
「……は?」
「私も外すの」
黒板を見る。
それから、俺を見る。
「そうすれば、“彼女”がいなくなる」
理解する。
「終わるよ」
血の気が引く。
「ふざけんな」
声が出る。
「それじゃ意味ねえだろ」
結衣は、静かに笑う。
「意味あるよ」
少しだけ、首を傾ける。
「誰も、減らない」
「お前が消えるだろ」
言葉が震える。
結衣は、少しだけ黙る。
それから。
「うん」
「だから?」
一拍。
風が、少しだけ強くなる。
目を伏せて、それから、笑う。
「……やっと、終われるね」
声が少しだけ掠れる。
「ずっと、変だったんだよ」
視線を上げる。
まっすぐ、こっちを見る。
「毎日、ちょうどよくてさ」
小さく、息を吐く。
「誰も困らないように、誰かがいなくなってるみたいで」
間。
「……たぶん、もう何回もやってる」
笑う。
困ったみたいに。
「覚えてないけど」
一拍。
「――体が、覚えてる」
逃がさない目。
「ここで、止めないとダメだって」
一歩、近づく。
「だから、いいよ」
やさしい声。
「私で終わるなら、それでいい」
少しだけ、首を傾ける。
「その代わりさ」
いつもの調子に戻る。
「ちゃんと選んでね」
まっすぐ。
「後悔しない方」
少しだけ、笑う。
「どうせまた迷うなら――」
一瞬、言葉を切って。
「今回は、終わらせて」
静寂。
黒板が、浮かぶ。
『最終試行』
逃げ場は、ない。




