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世界に魔物があふれたら  作者: モヘンジョ
事の始まり
18/20

幕間 始まりの街の神官が、如何にして凡庸な道具屋のせがれに骨抜きにされてしまったか、その顛末のさわり

 シャルロッテ・コンラーディが親元を離れたのは、十二のときである。

 父方と母方、両方の祖父がドイツ人で、親友だった二人は、何十年も前に、軍に関わる仕事で日本に渡った。それぞれが日本人の妻を得て、そしてそれぞれが、少し頼りないが優しい男の子と、世話好きで、やはり優しい女の子を授かった。ほとんど幼少期の全てを共に過ごした子供たちは、やがて惹かれ合い、結婚する。黒髪黒目のふたりが授かったのは、母方の祖父に似て、美しい銀色の髪を持つ女の子である。

 名付けに際しては、揉めに揉めた。世界に魔物と戦いをばら撒くニューゲームの開始を受け、戦火で行き来が出来なくなるまでに、家族でドイツに移住することに反対する者はいなかった。日本での仕事で、内々に大人物となった二人のドイツ人男性を、手厚く迎え入れるという知らせがあったためである。

 シャルロッテが産まれたのはそんな折で、ドイツで暮らすのならドイツ名がいいだの、それで両親とも日本名では誤解を招くだの、連日、喧々諤々の家族会議が行われ、いずれ静謐な美しい声を持つこととなる当事者の赤ん坊が、ダミダミと泣くのを他所に、やがて少数派の陣営ーードイツ名陣営が勝利した。

 ミスティックの母に教育を施されたシャルロッテは、幼い頃から才覚を発揮し、小学校に上がる前には、すでに大人のミスティックーー魔法使いが、習得に二の足を踏む治癒魔法を使いこなした。

 そして、当然のようにモテにモテた。

 しかし、シャルロッテは大きくなれば長旅を経てドイツに渡るのだと聞かされて育っていたから、幼心に壁を作るようになっていた。好きな男の子どころか、友達のひとりも満足に作れない幼少期を過ごすことになる。

 転機が訪れたのは小学校を出た時である。修道院から誘いがあって、蘇生魔法の勉強をするチャンスが巡ってくる。家族の反対を押し切り、日本に残ることにした彼女の才能はやはり群を抜いており、十二年の課程を四年で修了する。十二期生の彼女は、数名の四期生と肩を並べて卒業した。

 新任の蘇生士が最初に配属されるのは、各地に点在する始まりの街である。死者の数が少なく、あまり酷い死に様もないことから、取り掛かりとして最適だからだ。始まりの街は、蘇生士にとっても「始まりの街」なのである。

 シャルロッテ・コンラーディの名は、驚くほど浸透しなかった。

 もちろん、国内にまだ四十人といない蘇生士で、歴代最年少、しかも絶世の美女ともなれば、街の男たちが放っておくはずがなかった。

 こぞって軽い怪我をして、わざわざ高い魔石を使って治してもらう彼らはは、シャルロッテを神官様と呼び慕い、名前など聞くことはなかったのだ。たまに名乗ることがあっても、そう呼ばれることはない。単なる蘇生士で神官ではないシャルロッテは、神官様と呼ばれる内に、自分が「シャルロッテ」でさえないような気がしてきて、度々言いようのない不安に襲われた。

 彼女が始まりの街の「神官様」となって、二年が経とうというときである。

 「神官様!」

 教会の重い扉を、勢いよく開いて、汗だくの男が転がり込む。真冬の冷たい外気が御堂に流れ込んだ。シャルロッテは長椅子の背もたれの裏に、食べかけたみかんを隠して、静かに立ち上がる。

 「どうされました。ずいぶん、慌てていらっしゃいますけど……」

 厳かに語るのには慣れたものだった。自分に求められているものを理解でき、順応できるのは、彼女の強みでもあり、目下の悩みでもある。

 「神官様は、蘇生が出来ると伺いまして、その……!」

 「どなたか、魔物に?」

 はい、と男は短く答えた。

 「クラーケンなんですが、顔の半分、食いちぎられちまって……!」

 シャルロッテの血の気が引いた。

 蘇生魔法は、欠損した身体を再生することは出来ない。蘇生は出来ないと、すぐに確信した。

 しかし、彼女はそれがすぐに言い出せない。慌てて駆けてきた男の気持ちを思うと、蘇生のできない自分の力のなさを思うと、言葉が出なかった。

 それでも、シャルロッテは生来、顔に出やすい性質で、男はぴたりと静止し、すぐに膝から崩れ落ちた。

 「も、もしかして、神官様……」

 「……蘇生魔法では、身体の欠損を再生することは……」

 「だ、だったら、治癒魔法で……」

 シャルロッテは首を振った。命のないものに治癒魔法は効果がない。

 男は何も言わず、涙の一筋も流さないで、立ち上がると、静かに出て行った。

 シャルロッテが魔物に殺された者を蘇生できなかったのは、この二年間で初めてのことであった。


 翌日、非番のシャルロッテは、街に出た。ひどく寒い日曜日の午後、街の賑わいは彼女の心を癒しはしなかったが、気を紛らわすのにはちょうどよかった。ひとりでいては、故人の名前も聞かなかった自分を恥じ、力のなさを恨み、泣くことさえはばかられて、いっぱいになってしまう。

 友人の占い師のことを思い出し、少し寄ろうと考えて、やめた。心労の多い彼女に、負担をかけたくなかった。

 「あれえ、神官様」

 声をかけてきたのは、赤ら顔の男で、新谷という話好きの討伐兵である。

 「新谷さん、こんにちは。冷えますね」

 「ああ、鼻が出てますよ、神官様」

 シャルロッテは反射的に鼻を覆ったが、大笑いする男がウソウソと言うので、少しムッとして、すぐに手を下ろした。

 「また随分おしゃれして、新鮮だな。今日はお休みで?」

 「ええ。日曜日は、危険な討伐依頼は出さないよう、酒場の方にお願いしてるんです」

 「なるほど、怪我人がいなきゃ休めるわけですな」

 ああそうだと、新谷は強く手を打った。

 「近藤さんがね、わかるでしょう、商会長の。お話があるってんで、教会に行くって言ってましたよ。よかったら、後で訪ねてやってください」

 「近藤さんですか。何のご用件か、わかりますか」

 いいやと新谷が首を振る。

 「まあ仕事がらみでしょうがね。神官様だって商売やってんじゃなしに、なんでしょうな、一体」

 「そうですか。わざわざありがとうございます」

 「それより、神官様、暇なんだったら飲みに行きませんか。おごりますよ」

 誘いはありがたかったが、シャルロッテは商会長の元へ向かうことにして、丁重にその場を辞した。


 「ゴーレム祭?」

 近藤が頷いた。通された部屋は革張りのソファが向かい合い、キラキラと豪奢な装飾の施されたローテーブルを挟む、応接間である。

 「畑荒らすでしょう、ゴーレムって連中は。それを春先の内に叩いといて、豊穣を願おうって祭です」

 「街の外で?」

 いやいやと、髭面の初老の男性が首を振る。

 「それじゃあ、街の人たちが見に来られない。たくさん捕まえて、闘技場に放すんです。参加する討伐兵には、報酬を用意して、戦ってもらう」

 悪趣味だと、シャルロッテは思う。人の命が軽く見られすぎている。彼女にこうした話をするには、今日この日はあまりにタイミングが悪いとも言えた。

 「……あまりご賛同いただけていないかな」

 「すみません。悪意はないんですが、顔に出やすいもので」

 どうせ取り繕うのは苦手なのだから、いっそ開き直ったシャルロッテを、近藤は鷹揚に笑って制した。

 「構いません。しかし、すでに蘇生士の先生方は呼んでありまして、祭自体は中止できない。ゴーレムだって、もう何体か捕らえてあります」

 「捕らえてあるって、こんな街中に?」

 「厳重に管理していますし、見張りは万全です。当日だって、住民に危害が及ばないよう、完全な警備体制を整えます」

 呆れた男だ。死人が出てからでは遅いというのが、蘇生魔法の限界を知らない人間にはわからない。

 「私は、やはり賛同しかねます。ですが……」

 祭は中止できない。この豪腕がそう言うなら、そうなのだと、そう信じたシャルロッテは、そんな中で自分の力を遊ばせておくことが出来そうになかった。あるいは、昨日の失敗を塗り潰したいと、そう思っていたのか。

 「止むを得ず必要になってしまった蘇生と治癒に関しては、全力を尽くすのが私の仕事です」

 「おお。では、ご協力いただけますかな」

 少女が渋々と頷いたのと同時に、近藤は手を打ち、はあよかったと姿勢を崩した。葉巻に火を点けて、背もたれにどっしりと体重を預ける。

 リラックスして見せることで、距離を一気に詰めてかかろうというそのポーズが、魂胆が透けて見えるシャルロッテには気に入らない。

 「神官様は、おいくつでしたかね」

 「十八です」

 「なんと、十八。いや、お若いのにご立派だ。さぞ、苦労されていることでしょう」

 「いえ、普段は特に」

 今は別だ。

 「そうですか。ますますご立派ですな。そうだ、この後、もしご予定がなければ」

 「いえ」

 言いかけた近藤の言葉を遮って、シャルロッテは立ち上がる。

 「お暇します。新谷さんと食事の約束が」

 近藤は少し不満を顔に出したが、すぐに笑顔を取り繕うと、立ち上がってシャルロッテを見送った。


 祭の日はすぐにやってきた。

 シャルロッテには憂鬱でならなかったが、闘技場までやってくると、すでに大入りの客席が熱気を帯びていて、それ自体は案外、彼女の好むところだった。中身はどうあれ祭というからには楽しむべきだとは思っていたし、そうでなくとも、シャルロッテ・コンラーディは人一倍祭好きな人間である。

 医療班の待機場に入り、久しぶりに会った蘇生士の先輩との挨拶もそこそこというところで、檻が開け放たれる。祭が始まった。

 ただ、誰一人怪我をすることなく、祭が終わることだけを願う彼女の目に、すぐに若い男が飛び込んできた。

 丸腰なのだからミスティックだと思われるが、先ほどから逃げ回ってばかりいる。

 「あの、あの方は、大丈夫なのですか。調子が悪いのでは」

 祭の関係者に尋ねても、ヘラヘラと笑うばかりで取り合わない。怒りさえ覚えて、シャルロッテはその男ばかりを目で追った。

 こぶりなゴーレムの拳をかわし、転ぶ。這うようにして距離をとると、また立ち上がって走る。今度は別のゴーレムに回り込まれて、方向転換し、また転ぶ。転んだ瞬間に、ゴーレムの拳が、先ほどまで男の頭があったところを空振りする。

 目も当てられない危なっかしさだ。どうしてわざわざ、彼がこの祭に参加したのか、少しも理解できない。ずっと誰かに守られてきて、勘違いして増長したのだろうか。

 両手をきつく握りしめ、ハラハラと見守るうち、動いているゴーレムの数が、随分減っていることに気が付いた。他の参加者が次々にゴーレムを無力化しているのだから、それは当たり前なのだが、ただ逃げてばかりのその男しか見ていなかったシャルロッテは、そのことに気がついて驚き、あと少しだと緊張を高める。

 まるで仔犬を見ているようだと、彼女は思う。同じくらいの年の男の子なのに、どうも頼りなくて、母親譲りの庇護欲がむくむくと大きくなる。

 その時、ガシャンと一際大きな音がして、闘技場の奥に巨大なゴーレムが現れた。

 会場の声援が止み、混乱が広がる。それはシャルロッテの座る待機場でも同じであった。

 「おい、なんだ、あのゴーレム。あんな大きいの、一体どうやって……!」

 「で、デカい……。見たことないぞ、あんなの」

 シャルロッテの心配は、もはや先ほどから危なっかしく生き延びている男に集中した。

 参加者が軒並みゴーレムを倒しきり、最後に放たれた赤土のゴーレムにたじろいでいる中に、その男はいる。疲労のせいだろう、へたり込んで、尻餅をついたような形で後ずさりをする。

 それでいいとシャルロッテは思う。大きく動いては標的になりかねない。こうも巨大なゴーレムに殴られれば、ミスティックなどまず生きてはいられまい。そうして少しずつ距離を取るよう、願ったそのときである。

 客席から、ひとりの少女が落ちた。

 赤土から距離を取ろうとパニックになった客のゴタゴタに押し出されて、柵を乗り越えてしまったのだ。赤土がそちらに向き直り、その振袖の少女を見る。高い塀から落ちて、それでも、少女はわずかに動いた。生きている。しかし、怪我は免れず、まともに動けない。

 誰もがアッと思ったその瞬間に、すでに猛然と走っている者がいた。

 シャルロッテは口を覆った。

 例の男が、ただただ逃げるに徹していたあの男が、今、どの討伐兵よりも速く、赤土のゴーレムの元へ走り、その巨大な足を踏みつけたのだ。

 ダメージはない。魔法でもないのだから当然だ。しかし、赤土の興味は少女を離れ、足元で小うるさい男に向いた。

 「どういう……」

 シャルロッテは困惑した。誰もが立ち向かっていた程度のゴーレムから、仔犬のように逃げ惑っていた男が、誰もが尻込みする巨大なゴーレムの足を踏みつけている現実に追いつけなかった。

 ハッとして、当たり前のことに気が付いた。あの不運な振袖の少女を、ゴーレムから守るためにやったのだと。

 グラリと頭が揺れる。現実に、そんな人間がいるものかと、生死の境を仕事場とする少女は思う。どうしてか、じわりと涙が滲んだ。

 男は助かるまい。

 赤土の巨腕が振り上げられたとき、シャルロッテは確信した。すでに男に感化された討伐兵たちが突進しているが、間に合わない。男は死ぬだろう。

 「あの男性」

 シャルロッテは静かに言った。

 「今、ゴーレムに殺される男性の治療は、私が行います」

 待機場に沈黙が広がる。参加者番号ごとに事前に担当が振られているから、シャルロッテの言葉は、勝手と言う他ない。しかし、十八歳の少女の静かな圧に、誰も文句を言うものはいなかった。


 「そうして、あなたは死んだのですよ」 

 シャルロッテは緊張していた。慣れた仕事場で、慣れた仕事をしたに過ぎないが、初仕事の時よりも緊張していた。

 聞けば、男は戦士ではなく、農家だという。ミスティックでさえなかったのだ。そしてそのとき、春太という名前を知った。誰かの名前を知れて嬉しいと思ったのは、初めてだった。さらに同い年だと聞いて、飛び上がりそうになった。

 このときにはもう、シャルロッテは経験のない気持ちを、話したこともない男に抱いていた。

 しかしそれだけに、どう接していいのかわからなくなった。仔犬のように逃げたり、騎士のように戦ったり、しかも何の力もないという彼が、どういう人物なのか気になるが、いきなり何のかのと話しかけて、煙たがられるのは恐かった。

 「痕が残らないように治癒魔法はかけましたけど、もう、あまり無茶をしてはいけません」

 結局、台本のようにルーティン化している言葉をかけることしか出来ない。代わりに心の中で、春太さん、と呼び加えた。

 春太はじっとシャルロッテの顔を見て、

 「はい、天使様」

 そう言った。

 シャルロッテはどうにかなってしまうのではないかと思ったが、努めて冷静に取り繕う。

 「い、いえ、私は神官です」

 それからまた、特に意味もなく、春太さんと念じた。

 まだ虚ろな春太の瞳が、自分の髪を見つめているのにシャルロッテは気が付いた。そういう視線には慣れていて、奇異に見られることはあまり好きでなかったが、春太の表情は肯定的であるのがわかりやすく、すると滅多にないことに、シャルロッテは銀色の髪に感謝した。

 「神官様」

 呼ばれてハッとする。

 「なんか、ゴーレムがおればかり追いかけて来たような気がするんですけど、懺悔でもして行った方がいいんでしょうか」

 「はあ、そうなんですか」

 最後には自分から喧嘩を売ったくせに。

 仔犬のような表情が可笑しくて、少し和らいだシャルロッテは、糸が切れたように大胆な気持ちになって、そっと春太の頬に触れた。冷たい。一瞬強張って、照れた顔をする春太を、可愛いと思う。

 「体温の高い方は、魔物に狙われやすいんです。熱や光に寄ってくる魔物が多いですから」

 しかし、とシャルロッテは思う。

 この男性に、自分は再び会うことが出来るだろうか。

 春太に怪我などして欲しくないから、教会に来て欲しくはないが、かと言って休みの日にばったり会うことを期待して出歩いたところで、そう運良く会えるものでもない。

 悪い考えーーとも言えないものが、シャルロッテの頭を支配した。

 蘇生の費用は、こっそり全額自分が払おうと思っていたが、八割程度負担して貰えばいい。おそらくこの場で一括では払えないから、何度か足を運んでくれるだろう。

 よし、そうしようと決心してからは、なんだか会話をしているのは自覚しているが、それだけで、何を言っているのか自分でもよくわかっていなかった。シャルロッテの頭の中は、春太さん春太さんと、男の名を呼ぶことに夢中になっていた。

 

 春太の想定外の財力に計画を破綻させられたシャルロッテが、すっかり後戻り出来ないところまで落ちてしまうのに、そう時間はかからなかった。

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