第2話:冷たい瞳
あの駅前での騒動から数日後のこと。
放課後、私は実家の道場で木刀の手入れをしていた。
今日はあの時助けたクラスメイトも遊びに来ていて、縁側に座ってのんびりと麦茶を飲んでいる。
「いやー、あの時のツバメちゃん、本当にかっこよかったよ! まるで映画のヒロインみたいだった!」
「もう、あんまりからかわないでよ。ただの護身術の延長なんだから」
平和な放課後のひととき。
しかし、その静寂は、道場の引き戸が乱暴に開け放たれたことで破られた。
「たのもー! ってか? おいおい、随分と古臭い道場じゃねえか」
土足のまま道場に上がり込んできたのは、見覚えのある派手なシャツの男たち。
数日前に駅前でクラスメイトに絡んでいた、あのチンピラ3人組だった。
しかし、今日は彼らだけではない。
男たちの後ろから、一人の女性が静かに足を踏み入れてきた。
仕立てのいい黒のパンツスーツに身を包んだ、切れ長の目が印象的な美しい女性。
彼女だけが、この粗野な男たちの中で異質な空気を放っていた。
「……何の用? 土足で上がるような場所じゃないんだけど」
私が鋭く睨みつけると、先日投げ飛ばした男が、ニヤニヤと笑いながら一枚の紙を突きつけてきた。
「何の用、じゃねえよ! お前に投げ飛ばされたせいで、こっちはむち打ちだ! ほら、病院の診断書! お前、立派な傷害罪だからな!」
「は……? あなたたちが先に手を出してきたんでしょ!?」
「証拠があんのかよ! こっちは怪我してんだ。警察沙汰にされたくなかったら、誠意ってもんを見せてもらおうか。慰謝料として……ざっと300万ってとこかな?」
男の言葉に、私は息を呑んだ。
完全に言いがかりだ。
いわゆる当たり屋の手口。
しかし、もし本当に警察沙汰になり「道場の娘が傷害事件を起こした」という噂が立てば、実家に泥を塗ることになる。
私が唇を噛み締め、反論の言葉を探していたその時——。
「……あの、それ、全部嘘ですよね」
震える声で立ち上がったのは、クラスメイトだった。
その両手には、しっかりとスマートフォンが握られている。
「あの時、駅前で誰かが撮ってSNSに流してた動画……さっき見つけて保存したんです。あなたたちが先に絡んできて、ツバメちゃんに無理やり触ろうとしたところ、全部バッチリ映ってます」
「なっ……!?」
その言葉に、チンピラたちの顔色が一気に青ざめた。
「お、おい! ふざけんな、そのスマホ寄越せ!」
男の一人が血相を変えて飛びかかろうとした、その瞬間。
「——やめなさい」
これまで一言も発さず、静かに事態を見守っていたスーツの女性が、凛とした声で男を制止した。
その声には、怒鳴り声よりもはるかに恐ろしい、絶対的な命令の響きがあった。
チンピラたちはビクッと肩を震わせ、すぐに彼女の背後へと下がる。
女性はゆっくりとクラスメイトのスマホを一瞥し、そして私へと視線を移した。
一切の感情を読み取らせない、ガラス玉のような冷たい瞳。
「……どうやら、こちらの手違いだったようですね。うちの社員の報告に誤りがありました」
彼女は、驚くほどあっさりと非を認めた。
そして、一糸乱れぬ所作で深々と頭を下げる。
「大変お騒がせいたしました。この件は私どもの不手際です。慰謝料の話は忘れてください」
「あ、あのさぁ……トキさん! そんな簡単でいいんすか!?」
「黙りなさい。これ以上、無様な姿を晒すつもりですか?」
トキと呼ばれた女性の鋭い一瞥に、チンピラたちは完全に沈黙した。
「……行きますよ」
トキは踵を返し、戸惑う男たちを引き連れて、あっさりと道場を後にした。
「……帰った……」
クラスメイトが安堵の息を吐き、その場にへたり込む。
「ありがとう。動画を見つけて保存してくれてたんだね。本当に助かった……」
私はお礼を伝えながらも、去っていったあの女性——トキの後ろ姿から目が離せなかった。
証拠を突きつけられた時の、あの異常なまでの落ち着き。 焦りも、怒りも、彼女からは一切感じられなかった。 まるで、私たちの反撃すらも織り込み済みの些事に過ぎないかのように。




