五回目
(流石におかしい……)
目覚ましのアラームを止めた有利は訝しんだ。五回目の「今朝」だ。目覚まし時計の日付も「9/3」だし、寝る前に着たはずのTシャツが、朝、洗濯籠に突っ込んだ物に変わっている。
(「五回」はあるんだよ。まあまあある。もっと多い時もある。でも、「一日を五回」なんてなかなかないぞ? 大体いつも「一日」の時は「数回」ってところだもんな)
その違和感に不安になりつつも、
(まあ、俺が何をどうしようと、何を考えようと、いつも通り、俺には関係ないんだ)
この大掛かりな巻き戻しについては、普段通りのスタンスで臨む事にした。それでも、違和感も不安も解消されない。
有利は前回同様「ののっぽい服」を着てから、忘れずにマイボトルの水を用意して家を出た。
今回はファミコには寄らず、そのまま区役所へ向かった。クレーマー老夫婦に出くわしたくないのが一番の理由だ。
(お母さんはあの人たちよりは若いけど、既にアレな感じするもんな。あ、今回の相続の事でも、もしかしたらいろんな人たちに迷惑かけてんのかな? それなら、利加も一緒になって迷惑かけてそうだな)
あの老夫婦は自分の家族を連想させる。アル中の父が生きていた頃はトリプル迷惑だったが、母と妹だけの今でも充分にダブル迷惑だ。そんな家族とあのクレーマー老夫婦がぴったり同じなのかはもちろん不明だが、まず間違いなく、トリプル迷惑よりは大分マシなのだろう。有利の両親よりも仲が良さそうに見えたし、娘は仕事をしているからだ。
区役所の後はオーライだ。前回までは作戦に抗うために目当ての物だけ購入し、即帰宅だったのだが、
(買わないけど肉とか魚とかの価格調査したいし、買わないけどレトルトの新商品とか見たい)
これまできちんと強い意志でもって回避できていた事から、少し大胆になった。
青果コーナーと乳製品コーナー以外もウロウロし、「これはいい!」とか「便利そう!」とか感動しながら長居したが、オーライの作戦に負ける事なく「ピーマン、キャベツ、トマト、牛乳」の四つしか買わなかった有利は、すっかり体が冷えた事にも満足し、自動ドアから出た。
マンションの前に到着した時、有利はまた思いついた。思いついて、オーライで買った物を冷蔵庫の中にしまってから、再度、外へ出た。
到着したのは駅前のイルジョだ。
(もう大人なんだし、イルジョくらい入ってもいいんだ。誰に咎められる事もないんだ)
有利は意を決して自動ドアを通過し、そこそこ並んでいる列の後ろに着いた。
イルジョから出てきた有利の右手の中にあるのはクリーム盛り盛りの抹茶フラペチーノだ。恐らく、ののが二回目に手にしていた緑色のフラペチーノはこれだろう。これでコスプレは完成に近づいた。
(同じ緑だし、もうこれはそういう事にしておこう)
割と適当ではあるのだが、これは有利の記念すべき人生初イルジョでの戦利品だ。緑が輝いている。
ストローに口を付けようとした有利は、ある重大な事実に気づいた。
「これ、……飲まないやつなのかな?」
思わず声に出して呟いてしまう程の衝撃の重大な事実だ。何故なら、ののは飲み物には一切手をつけていないように見えた。嫌いなチョコミントフラッペは置いておいても、ヘルシエはキャップが開いていたかは分からないが、減っているように見えなかった。緑のフラペチーノも、今、有利の手の中にある物と寸分違わぬ量だったと感じる。つまり、これらの飲み物はただのコスプレの小道具でしかないという事だ。
「えー……」
気づいてしまえば、やっぱり声に出さずにはいられない。
その後、「やっぱり飲んじゃおうか、いや、やめておこうか」が頭の中を駆け巡ってはいたものの、有利の足は元来た道を辿っていた。
その途中、普段なら目が行かないような狭い路地から、三回見かけた事のあるダサい黒のスニーカーが少しだけ覗いていた。何故そこに目が行ったのかはすぐに分かった。スニーカーが立っている人の足に履かせてあるのではなく、仰向けに寝転がっている人の状態だったからだ。しかも、傍にはファミコのジャスミン茶のペットボトルが落ちている。いつものように左手で掴んでいるのではなく、スニーカーの傍に落ちている。
異変に気づいた有利は思わず駆け出した。そして、その異変について確かめるべく、路地の奥を覗いた。覗いた瞬間、
「うわぁっ!!」
有利は大声を上げた。そこにいたのが仰向けになっているののだったからだ。しかし、ののは寝てはいなかった。目は開いていて、白い肌は更に真っ白になっていて、その真っ白な肌には暗い赤色の液体が飛び散っている。
(嘘だろ……?)
その「暗い赤色の液体」は血液でしかあり得ない。実際に血の臭いがしている。それに、上半身は黒いフーディーを着ているにも関わらず、血塗れなのが見て取れる。まだ頭と胸からは血が流れている。流れ出た血は乾き切ってはいない。だから、血の臭いがしている。血が流れているのだから、血の臭いがするのは当たり前だ。こんなに沢山の血が流れているのだから、血の臭いがしないとおかしい。
そして、そこにいたのは仰向けのののだけではなかった。ののに馬乗りになっている髭もじゃの乱れた短髪の痩せた男もいた。顔も手も胸元も、全部が血だらけだ。これはののの返り血に違いない。馬乗りになりながら、ののの胸に大きな包丁のような物を突き立てているからだ。
当然、男は先程声を上げた有利に気づいた。呆然として立ち尽くす有利の方を向いてから、ののの胸から包丁を抜き、ゆっくりと立ち上がり、
「何だよ?」
掠れた声でそれだけ発してから、今度は右手に持った包丁を有利の胸に突き立てた。




