↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
15/18

十二回目・その三

 マクタで長居をしてしまった有利とののは、急いでポテトを食べ切り、アイスティーを飲み干した後、トイレ休憩を挟んでから店外へ出た。すっかり冷えていた体が灼熱の太陽に晒されると、有利は日光が当たった場所から順番にじんわり溶けていくように感じた。溶けたところは汗になって流れた。

 パンツのポケットからタオルハンカチを取り出して汗を拭いつつ、大通りにあるオーソンへ移動した。そこでまたクーラーの冷たい風を浴びても、汗はまだ止まらない。ののは有利の物よりは大きめのタオルで顔をポンポンしている。

 入口近くのコピー機は使いやすかった。子供からお年寄りまで難なく使えそうだ。実際にはそうではないのかもしれないが、有利はそう思った。という訳で、免許証は滞りなくコピーできた。間違えたりもしなかったし、免許証はすぐに財布の中へしまった。


 次は駅まで徒歩で移動だ。大通りからは十五分くらいかかる。その間、どんどん上がっていく気温をチリチリ焼けるような肌で感じながら、

「日焼けしちゃうね」

有利がののを気遣うと、

「私はさっき日焼け止め塗り直したし、帽子被ってるし長袖だから平気だよ。有利は大変だね。後でビタミンC摂ってね」

ののは有利を気遣った。


 駅に到着すると、有利は質問した。

「津幡さんは知ってると思うんだけど、ののは俺の実家の最寄駅とか聞いてる?」

何故津幡が知っているのかは今は置いておくとして、その情報が共有されているかの確認だ。

「え、さっき突然思いついたから聞いてないよ」

不意に尋ねられた事に対して咄嗟に答えたような顔でそう言ったので、ののは本当に知らないのだろう。

「そっか。まずはここからJR常磐線が走ってる所まで移動する。JRに乗った後は一回だけ乗り換えがある。運賃は合計二千円くらい」

そこで、有利がルートについて説明すると、

「分かった。電車旅だね」

ののはまたワクワクしているような顔になった。


 電車旅は順調だった。人身事故もなく、乗り間違いもなく、とにかく順調だった。

「今日、あんまり寝てないから寝るね。スリとか強盗が来たらとりあえず指を折ったらいいよ。折れなかったとしても掴んで振り回したらいいよ」

ののが物騒な事を言ってから俯いてすやすや眠っている間も、泥棒も迷惑系動画配信者も来ないまま、順調に移動した。


 二人共、誰の指も折らないまま、有利の実家の最寄駅に到着した。

「うん、今はもうこっちがディストーションエリアになってるって」

電話で確認を終えたののがにっこりすると、

「まあ、そうなるよな」

有利は苦笑した。


 有利のマイボトルの水がなくなっていたので、駅前のサウランで水のペットボトルを買う事にした。

「ののはあんまり水飲まないね。フラフラしたりしない?」

棚からペットボトルを一本出して手に取った有利が尋ねると、

「あんまり飲まなくても生きていけるみたいなんだけど、たまにフワーってなる時がある。今はなってない」

ののは何とも呑気に答えた。

「いや、それ、駄目だろ。さっきまで寝てたんだから、ののも水買って」

だから、有利はペットボトルをもう一本取り出し、ののに渡した。

 サウランから出ると、もう夕方になっているはずなのに、まだ空は明るい。それでも真夏よりは日が短くなった。真夏の如し灼熱ではあるが、地球はきちんと回っているらしい。


 サウランから実家までは十分程の道のりだ。そのうちの五分くらいの範囲には店やら郵便局やら介護施設やら不動産会社やらがぽつぽつとあるのだが、それを過ぎると住宅ばかりになる。前回通った時に建設中だった一戸建ては今も建設中だが、完成形が想像できる程度に出来上がってきた。

「寿退社したら、ののは一戸建てに住みたいの? それともマンション?」

ののの顔を見ながら、何の気なしに有利が聞いてみたところ、

「それがさぁ、私、寿退社なら何でもいいから、そういう将来設計とか全然してないんだよね。そもそも、どんな人と結婚するかも分からないし。うーん、私の現段階の貯金だけではお家を買えないから、結局相手の財力頼りになりそうだね」

やっぱりと言うか、全く何も考えていない事が判明した。

「まあ、ののと結婚するって事は相手も若いだろうし、二人で相談して、目標立てて貯金するといいよ」

でも、ここで詰めたりはしなかった。きっと若者にありがちなフワっとしたやつだからだ。

「そういうのいいな。『二人の共同作業』ってやつだね。具体的な話したら楽しみになってきた。早く結婚したぁい」

それでも、ののにとっては「具体的」だったらしい。


 更に進むと、同じ形で色違いの住宅が五軒並んでいるエリアに入った。そのうちの角地にあるモスグリーンの屋根の建物が有利の実家だ。二階建てで縦に長く、決して広くはない事がパッと見てもよく分かる。

「また雑草伸び放題だ……」

その広くはない家の、これまた広くはない、はっきり言えば明らかに狭い庭は、明らかに狭いのに明らかに手入れがされていない。他の四軒の家は綺麗にしてあるというのに、母も妹も用事がなければずっと在宅しているというのに、夫婦共働きで子供たちもアクティブな二軒隣の茶色の屋根の家よりもずっと荒れ果てている。

 その事にげんなりしていたが、

「ここ、本当に人住んでるの? 電気ついてるけど、防犯のためにつけてるだけとか?」

ののが庭と家を交互に見ながら有利のおしゃれなシャツの裾を引っ張るので、

「住んでるね。防犯意識が低いから、鍵も開いてると思うよ」

有利は少し気持ちが緩んだ気がして、「小松」と書かれた表札の傍にあるインターホンのボタンを押した。


 インターホンから誰かの何かを言う声が聞こえた気がしたが、有利は気にせずに鍵のかかっていない門を開け、四歩進んだだけで到達した玄関のドアも開けた。

「本当だ。鍵かけてないんだ。この辺は治安がいい――」

やっぱり鍵が開いていたドアについて、ののは感想を伝えようとしたが、

「……」

次には黙ってしまった。有利にはその理由が分かった。ドアを開けた瞬間、中から埃やカビやその他色々な種類の悪臭が襲ってきたからだろう。

 しっかりドアを開けると、開けっ放しの下駄箱から色々な物が見えた。よそ行きの靴が乱雑に置かれているのにはまだ理解が及ぶが、もう随分と使用していない花瓶や、有利が置いた覚えのないお菓子の缶や紙袋もある。何故食べ物にまつわる物が下駄箱に入っているのか、それは考えてはいけない。考えても分からない事を考えるのは時間とか体力とかの色々が無駄だからだ。そして、三和土(たたき)に目を遣ると、普段使いの靴やらサンダルやらが散らかっているのも見えたし、脇の傘立てには折れた物まで突っ込んであるのも目に飛び込んできた。傘立ての下辺りは固まった土やら黒カビやらで汚れている。これは美少女なら誰しも絶句するだろう。美少女ではないフツメンの有利ですら閉口するしかない。

 その穢れし玄関にやって来たのはなかなか美人のおばさまだ。つまり、有利の母親だ。なかなか美人ではあるのだが、髪はボサボサで、服は随分前にスーパーで買った襟元の伸び切ったTシャツと、有利が高校時代に履いていたジャージのズボンだ。

「お兄ちゃん、どうしたの?」

そして、昨日口論したにも関わらず、それを気にしていないような素振りだ。

「言われてた書類持って来た」

だから、有利もそのテンションで話を進める事にして、リュックを前に抱え込んだ。

 ところが、ののはそのテンションにはならなかった。

「初めまして、川北ののです。私たち、結婚するんです」

先程までの寿退社からのマイホームの計画に意識を引っ張られたからなのか、有利の後ろから顔を覗かせて驚愕の発表をした。驚愕の発表には驚愕するしかない。有利も母親も驚愕を隠せない。しかし、一拍置いてから、

(……あ、やばかった。これじゃ駄目なんだ。俺は変わるんだから)

有利はただ書類を渡しに来たのではない事を自分の中で再確認した。という訳で、

「ののはまたそんな事言ってー。まだ早いだろ? これからゆっくり一戸建てかマンションかについて話し合おうねっ」

有利は努めて美少女にデレデレしているフツメンを装った。驚愕の表情からの落差が凄い。不自然が過ぎる。

 それが聞こえたからなのか、右手にあるリビングのドアが開いて、そこからパステルピンクのダルダル伸び伸びのスウェットのワンピースを着た大柄女子が現れた。勿論、有利の妹だ。

「え、嘘」

挨拶なんてすっ飛ばし、ただ自分の感想を伝えるために現れたようだ。

(またブラジャー着けてないじゃないか……)

有利は気づいた。気づきたくもないが気づいた。来客なのだから、ダルダル伸び伸びには目を瞑るとしても、下着くらいはきちんと装着して欲しい。もしくは、やる気がないなら出てこないで欲しい。そして、臭い。普段から遊びに出かける時以外は風呂に入らない妹は、夏場は毎年異臭を放っている。巷の「風呂キャンセル界隈」の皆様はきっとそうならないように工夫しているはずだが、妹は工夫などしない。あるがままに生きている。本当に出てこないで欲しい。

「嘘じゃないです。私は将来有望な有利に『ぞっこん』なんです」

ののは妹の感想を否定したが、こういうシチュエーションに慣れていないのか、若者らしからぬ非常に古い日本語が混じった。更に、

「有利はあなたたちと違ってちゃんとやってるんです。もう邪魔しないでくださいね。あなたたちと違ってしっかりお仕事してて、コピー代もケチるくらい節約してて、そうそう、汗拭きシートも持ってるんです。ちゃんと拭いてるんです。無臭なんです」

きちんと臭さを感じているからなのか、最後に妹の方をガン見しながら汗拭きシートについて追加した。

 有利はそれにすっきりした。自分が「ちゃんとやってる」のは置いておいて、「夏場は皮膚炎になるかもしれないから、せめて体は拭いて」と諭しても無視する妹と、「風呂に入らないくらいでは死なない」みたいな暴論の母にうんざりしていたが、いい匂いがする美少女がこう言ってくれた事が心強く感じた。

「まあ、何なの、この子!?」

自分の認識を否定され、腹を立てた母親は有利に向かって大きな声を出し、

「お兄ちゃん、顔に騙されてるだけだって。ってか、結婚詐欺じゃないの?」

妹に至っては、堂々とののを犯罪者扱いした。ここでののが何かを言いかけたのが目に入った有利は、それを遮るように、

「何言ってんの? ののはあんたたちと違ってちゃんとやってるんだよ。ワールドワイドな生い立ちなのに、この狭苦しい日本でちゃんとやってる。それに、あんたたちと違って野菜大好きなんだ。だからスタイルいいんだよ。見習え」

顎を上げながら、ののageからの母娘sageをやっておいた。すると、

「野菜大好き。でも、お肉もお魚も乳製品も食べるよ。何事もバランスだね」

ののは満面の笑みで野菜好きをアピった。

 そのアピールを唐突に感じたのか、まあ、感じたのだろうが、なかなか美人の母親もノーブラの妹も怪訝そうな顔をして黙っている。その隙に、

「書類は渡したからね。他の手続きがある場合は自分たちでやって、俺の自署が必要な書類があるとか、どうしても俺が関わらないといけない場合にだけ連絡して。夜七時以降なら出られると思うから。でも、十一時以降は電話しないで」

まずは今回の用件について指示を出してから、

「それ以外の用事では、もう絶対に連絡してこないで。金輪際ここには帰らないし、お墓は自分で買ってそこに入る」

次に、断固たる意思表示をした。すると、

「もしかしたら私にお茶を出したりしたいかもしれないけど、飲みたくないんで、もう帰りますね。さようなら」

ののは有利のシャツの裾を引っ張りながら、こんな別れの挨拶をした。


 「はぁ、臭かった」

固まったままの有利の母親と妹を置き去りにし、すぐに実家の敷地外へ出たののは、今回の感想を端的に述べた。

「玄関ですら無理だろ? あれ、部屋の中に入るとゴミ屋敷みたいなんだ。廊下には物は置いてないし、部屋も床が見えてる部分もあるから、正確にはゴミ屋敷とは言えないかもだけど、あれは俺にとってはゴミ屋敷だ」

その感想についての有利の解説を聞いてから、

「いや、意外とあれがリアルなゴミ屋敷なんじゃない? 映像とかで見るやつは一部脚色が入ってるんだよ。充分ゴミ屋敷だったよ」

「今日」初めて会った有利の生まれ育った家を心置きなくゴミ屋敷認定した。通常なら、あの玄関での態度も含めて「失礼なクソガキだな」と腹を立てても仕方ないところだが、

「俺がいないと片付かないそうだよ。不思議だね。人が一人分、お父さんも合わせると今では二人分減ってるんだから、片付きそうなもんなのにね」

勿論、家族の方に腹を立てている有利は気にせずに愚痴った。

 駅への道を有利と並んで歩きながら、ののは更にディスった。

「そうそう、玄関も靴とかゴミとかカビとかの臭いで吐きそうだったけど、妹だよ。お母さんはまあまあにしか臭くなかったけど、妹は臭過ぎた。せめて汗拭きシート使えばいいのにって思った。ニューヨークの危険な路地裏の臭いがした」

有利は気にならなかったのだが、どうやら母親も臭かったらしい。確かに、母親も毎日風呂に入る方の人ではない。四季を問わず一日おきか三日に一度くらいだ。それは母親くらいの世代にはそういう習慣の人も多いと聞くので、頻度自体は許容範囲だと考えていた。ただ、それを軽々と超えてきた妹は、そんなワールドワイドな存在だそうだ。

「そこまで?」

自分が異常事態に慣れ過ぎていたと感じた有利が驚くと、

「うーん、そこまでじゃないかもしれないし、ああいう人はそれなりにいそうだし、そんなに危険な路地裏には行った事がないから違うかも。私、意外とお嬢様なんで」

ののは何の躊躇いもなく前言を訂正した。

 立ち止まって首を傾げながら、

「どういう事?」

訳が分からない有利は尋ねた。すると、ののも立ち止まり、有利の方に体ごと向けてから、

「有利はよく我慢したね、偉いね、って事」

得意満面でそう言った。その声はただ可愛らしくて綺麗なだけではなかった。自信に溢れているのに穏やかで、強い意志を感じるのに優しかった。有利にはののの声が頭の中に染み込んで、段々と全身に広がっていくように感じられた。衝撃はなく、ただただじんわりと温かくなった。頭の先から順番にその心地良さが浸透し、最後に爪先に到達した時、有利はがくんと膝から崩れ落ちた。それに慌てたののはしゃがんで有利の背中を撫でた。それも心地良かったが、その後、ワールドワイドらしくハグしてくれたのも温かかった。だから、有利はののにしがみついて静かに泣いた。


 泣いて密着して汗だくになったので、駅に到着した有利とののは切符を買ってホームへ行くと、ベンチに並んで座って汗拭きシートを使った。ののは服を着たまま上手に拭いている。


 有利の自宅の最寄駅に着く頃には、もう夜になっていた。

「お腹空いたね」

駅を出て、暗い空を見上げながら有利がそう言うと、

「有利のオムライス食べたい。あれ、美味しかった」

ののは夕食のリクエストをした。

(街ブラ終了……)

一瞬、頭の中にそれが浮かんだ後、

「じゃあ、今回も上手くできるように頑張るね」

有利はリクエストを受け入れた。何故なら、浮かんだ「街ブラ終了」に違和感を覚えなかった、つまり、満足したからだ。


 有利にとっては普通の、ののにとってはあり得ない程清潔な、そして、実家と比べると歴然と綺麗に整えられている自宅の玄関で、

「あの妹みたいになりたくないから、シャワー貸して」

ののはにっこりしながらお願いした。


 浴室からシャワーの音が聞こえてくると、有利はおかしな気持ちになった。

(美少女が俺の家でシャワー浴びてるのに、やっぱり俺は何かをしようとは思えない……)

そういうおかしさだ。でも、

(それでも、ののは俺と同じ世界にいる人だし、合わせてくれてるだけかもしれないけど、「気が合う」って錯覚する程には同じ時間を過ごした。だから、この感じは「ただ単に、俺はののに何かをしようとは思えない」ってだけなんだな)

今回はすぐに思考が切り替わった。

 平常心の有利はのののシャワーの間にオムライスを作る事にした。冷凍していたご飯をレンジで温め、フライパンを熱し、野菜を刻んで投入した。しばらくしてから、

「いい匂い!」

有利の黒い無地のTシャツと、これまた黒いハーフパンツを着ている黒ずくめの美少女が現れて飛び跳ねた。美少女はフツメンの服を着ていても美少女だ。

「ドライヤーが洗面台の上に出してあるから、髪の毛を乾かすといいよ」

帽子を被っていないののを初めて見た有利は、切り揃えられた前髪の存在を確認した上で、早く乾かさないと、あちこちに向いているそれに癖が付いてしまう事を危惧した。


 オムライスは上手く出来上がった。前回と同じくらいの出来だ。

「ピーマンが美味しいんだよね。でも、人参もいい仕事してるし、鶏肉がパサパサしてなくてゴロゴロなのもいい。あと、当たり前みたいに卵がふわふわとろとろなのが凄い。お店では食べられるかもしれないけど、お家では食べられないやつだね」

食べ終わったののが満足しているので、

「さすがに、お店のやつには敵わないよ」

有利は苦笑混じりに謙遜しつつも、

「でも、卵は慣れたらできるようになるよ。お店の人だっていっぱい修行して慣れたからできるんだし、ののにだってできちゃうね」

卑屈にはならず、褒めてもらった事について話を広げた。


 食事が終わると、有利がローテーブルの前でスマホをいじり始めたののに目を遣り、

「クーラーの温度、これくらいでいい?」

普段はつけないし、有利ではない人が感じる快適な室温が分からないので、エアコンの設定温度について尋ねると、

「丁度いいよ。ありがとう」

それについて答えてから、

「十二回目のニュースサイトも動画もいいね。面白いのは勿論だけど、現時点で有利の周り以外にディストーションが発生してないからこその全く同じ内容って事に安心できるし」

ののは仕事熱心な様子を窺わせた。

「本当に寿退社するの? 辞めたって、そうやって気にしちゃうんじゃないの?」

有利が素朴な疑問を口にすると、

「気にはなるだろうね。でも、『私が解決しなくちゃいけない状況』ではなくなるから楽になる」

普通に「それはそうだろうな」という回答が返ってきた。

「ごめんね」

有利は謝った。ののが「今日」を十二回も経験し、それを「解決しなくちゃいけない状況」にした張本人だからだ。

「何で?」

それなのに、ののにはそれが分からないようだ。

「だって、俺のせい――」

だから、説明しようとしたが、

「今回、私は楽しかったよ。色々教えてもらって勉強になったし、面白い事がいっぱいあったからね。ありがとう」

ののにはやっぱり分からないようだ。


 それぞれにダラダラと過ごした後、

「そろそろ帰るね」

ののは唐突に立ち上がった。

「まだ日付変わってないけど、いいの? 会社の人から連絡来たの?」

有利が質問攻めにしても、

「いいの。私が『いい』って思ったからいいの」

ののは感覚的な返答のみだった。

 有利が玄関まで送ると、

「じゃあ、これ、明日洗濯して、明後日以降に返すね。私も柔軟剤は使わない派だよ」

ののは自分が着ているTシャツの裾を引っ張った。元々着ていたおしゃれな黒ずくめの服は、おしゃれではない帽子も含めて、汗を吸った状態で有利のおしゃれなシャツを買った時のショッパーに入れられている。という訳で、ののは有利の貸した黒ずくめで帰宅、もしくは帰社するしかない。

「それはありがたい。最近のは匂いがキツいんだよ」

有利は成人男性が使用するには甘過ぎる香りも苦手だし、そもそも柔軟剤を使って洗濯した物の手触りが好きではない。それがそのまま全く同じかどうかは分からないが、

(これも「気が合う」に入るのかな? 確かにののはいい匂いがするけど、柔軟剤の匂いじゃないから、これについては合わせてくれたのとは違う)

これまで、ダサい方もおしゃれな方も、ののの服から本当に柔軟剤の香りがしなかった事を知っているので、ほんの少し、伝説の「気が合う」を感じた。

 口元だけほんのちょっと笑っているように見える有利に、ののは明日の予定を伝えた。

「明日はお給料が安い会社へ出勤だね。多分、明日か明後日か明々後日に津幡さんか誰かから呼び出しがあると思うから、それまでに早まって『転職するんで辞めます』って言わないようにね。もしかしたら駄目かもしれないから」

そこまで話して、

「あ、まだ満足してないな。欲しがり屋さんめ」

何かを感じたのか、ののは背伸びをして有利に目線を合わせた。

「そう? 結構満足したけどな。だから街ブラ終了したんだよ」

一方、今は何も感じていない有利はこうだ。

「実家に帰ったのはよかった。玄関だけで第三者であるところのののですらおかしいって感じたんなら、俺の方がおかしいって訳じゃないんだって完全に体で理解できた。これまで言えなかった事もちょっとだけ言えたし、『ああ、縁切りたいな』って再認識できたのもよかったな」

それに、これまでは恥ずかしい事だと考えていたので誰にも話さなかったのに、すらすらと感想を発表できた。気にしていない訳ではないし、気にならなくなった訳でもないが、事情を知っている人になら自分から話す事はできるようになったようだ。

 それにうんうん頷いた後、

「あのね、私ってお嬢様だから、この服を返しに来る時にお嬢様学校の制服で来てあげる。だから、ちゃんと時間を動かしてね」

ののは上から目線で謎のご褒美を進呈することを申し出た。いくらあり得ない程の美少女だからと言って、これはちょっと上から過ぎるだろう。

「ああ『高校からは日本』って言ってたもんね。今も通ってるんだ。いいね」

しかし、有利は納得してしまった。美少女の生態に詳しくないからなのかもしれない。それに、確かに、お嬢様学校の制服姿の美少女はある一定の層からは絶大な支持を受ける事だろう。その層に属していなかったとしても、恐らく、ある程度の感慨は覚えるのだろう。

「うん。浪人も留年も飛び級もしてないから三年生だよ」

そんな美少女高校生は自分の学年を明かしたが、「つい最近成人になった」のならそうかもしれない。

「それで、今日は休んだんだ」

そこで、自分のために休ませてしまった事に気づいた有利の表情が一気に曇ると、

「そうだよ。『下痢が酷くてトイレから動けないのでお休みします』って電話した。ドクトルのトイレで水流しながらね」

ののは平然と美少女らしからぬ発言をした。その事で、有利は途端に少しだけ気持ちが楽になった。

「お嬢様なら、そこは『体調がすぐれないのでお休みします』だろ」

そうやってツッコミを入れる余裕も出たし、

「いやいや、どうしても登校できないような酷い状況である事を匂わせなきゃ」

という大雑把な理由についても、

「そういうもんなの? お嬢様ってそういうもんなの?」

お嬢様学校には通った事のない、通えるはずもない人を代表して質問できた。

「そういうもんなんだよ」

そして、ののはお嬢様を代表して、ビッグスマイル付きでその質問に答えてくれた。


 玄関のドアを閉めてから、有利はエアコンの電源を切り、掃除を始めた。時間が遅くなったので床のみだ。しかし、それは本来の予定通りでもある。

 それが終わると、水を張っていた食器を洗い、食器乾燥機にセットしてから、汗だくの状態で浴室へ移動すると、

(お嬢様学校の制服姿のののが見たい。絶対に見たい。見るべきだ、見るしかない)

と念じながらぬるいお湯を浴びた。

 その後も、扇風機の前に座り込み、ドライヤーで髪を乾かしながら、

(お嬢様学校の制服姿のののが見たい。絶対に見たい。見るべきだ、見るしかない)

と念じ続けた。

 髪が乾き、体の熱が冷めてくると、いつも通りスマホの電源を切ってから、

(お嬢様学校の制服姿のののが見たい。絶対に見たい。見るべきだ、見るしかない)

ベッドの中でやっぱり念じ続けたが、二十三時頃には寝てしまった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。