第五話 雨の神宮
翌日は、あいにくの雨だった。
朝から空は厚い雲に覆われ、細かな雨粒が町をしっとりと濡らしている。
放課後。
リュウは一人、諸岡神宮へ向かうバスに揺られていた。
本当なら晴れた日に来たかった。
別に意味はない。
ただ、こういう場所は青空の下で訪れる方が、なんとなく縁起がいい気がするだけだ。
だが今日は土曜日。
学校も半日で終わり、時間に余裕がある。
昨日のうちに決めていた。
――行くなら今日だ。
そして、エチカには何も伝えていない。
昨日の騒動を思い返す。
ミカ姐の家へ行き、さとちゃん――いや、キン爺に会い、妙な話を聞かされ、気づけば時間だけが過ぎていた。
(……どう考えても、余計な時間を食った)
やはり一人がいい。
誰にも振り回されず、必要なことだけ済ませて帰る。
それが一番だ。
リュウはひとり、満足げにうなずいた。
その時、車内アナウンスが流れる。
『次は、諸岡神宮前~』
「あっ」
考えごとをしているうちに着いていた。
⸻
バスを降りると、目の前には巨大な鳥居がそびえていた。
「……でかっ」
思わず声が漏れる。
雨に濡れた朱色の柱は重厚で、まるで山そのものを支えているような威圧感があった。
長く続く石段。
奥へ伸びる参道。
木々に包まれた広大な境内。
想像していた“近所の神社”とは規模が違う。
「ここが……諸岡神宮か」
リュウはしばらく見上げたまま立ち尽くした。
雨の音しか聞こえない。
だが、その静けさの奥に何か別の気配が潜んでいる気がした。
「……何かわかればいいけど」
傘を閉じ、鳥居をくぐる。
空気が、わずかに変わった気がした。
⸻
境内の中は、土曜日ということもあり、それなりの人出があった。
参拝客。
家族連れ。
観光客らしき人々。
賑わいはある。
だが、不思議と騒がしさはない。
皆、自然と声を抑えて歩いている。
この場所そのものが、人にそうさせているようだった。
リュウは社務所の近くに立つ男性へ声をかけた。
「すみません。こちらにササオカさんって方、いらっしゃいませんか?」
男性は穏やかな笑みを浮かべて振り返る。
「失礼ですが、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「遠間隆です。祖父の遠間欣治に頼まれて来ました」
その名を口にした瞬間だった。
男性の表情が、ほんのわずかに変わる。
驚きとも、納得ともつかない揺れ。
「……少々、お待ちください」
深く一礼し、男性は奥へ消えていった。
リュウは小さく息を吐く。
「よし……今日は平和に進みそうだ」
誰にも邪魔されず、ちゃんと話が進む。
それだけで奇跡に近い。
――その時だった。
「ヤッホー!」
聞き覚えのある声が境内に響く。
リュウの肩が止まった。
ゆっくり振り向く。
休憩所のベンチから、全力で手を振る少女がいた。
満面の笑み。
雨空より目立つ存在感。
「えっ……エチカ!?」
「も~う、リュウちゃん遅いんだから!」
「その呼び方はやめろ」
「え~? かわいいのに?」
「なんでいるんだよ」
「う〜ん……偶然?」
「絶対うそだろ」
エチカはにやにやしている。
完全に楽しんでいた。
「ひとりで行こうなんて、甘いのよ」
「心読んだ?」
「顔に書いてあった」
リュウは深くため息をつく。
今日も平和には終わらないらしい。
⸻
そこへ、先ほどの男性が戻ってきた。
「お待たせしました。宮司の深代貴明がお会いになります。こちらへ」
男性はエチカを見て首をかしげる。
「そちらの方もご一緒ですか?」
エチカは一歩前へ出て、にこっと笑った。
「はいっ。いとこです」
「いつからだよ」
「細かい男はモテないわよ」
男性は少し困ったように笑い、そのまま案内を始めた。
参道の奥へ進むにつれ、人の気配は遠ざかっていく。
代わりに、雨音だけが大きくなった。
木々の間を抜ける風が冷たい。
リュウは自然と周囲へ意識を向ける。
(……いる)
何かが、この神宮の奥にいる。
見えない。
だが、確かに感じる。
底の見えない、重たい気配だった。
⸻
通された応接室は、神社の施設とは思えないほど立派な部屋だった。
磨かれた木の床。
整えられた調度品。
落ち着いた香の匂い。
「神社って儲かるのかな……」
リュウが小声でつぶやく。
「坊主丸儲けって言うしね」
「神社は坊主じゃないだろ」
「似たようなもんよ」
エチカは勝手にソファへ座り込み、足を組んだ。
「しっかし、客にお茶くらい出しなさいよね」
「誰に言ってるんだよ」
その直後、ノックの音が響いた。
巫女服姿の女性が、お茶と茶菓子を運んでくる。
エチカの目が輝いた。
「おお……!」
女性が退室した瞬間、茶菓子へ手を伸ばす。
パチン!
「いたっ!」
リュウが手を叩いた。
「俺の分まで取ろうとしただろ」
「失礼ね。確認しただけよ」
すでに一つ口に入っていた。
⸻
再びノックの音。
「お待たせしました」
入ってきたのは、長髪を後ろで結んだ男だった。
神職の装束をまとっている。
だが、空気が違う。
静かで柔らかな物腰。
その奥に、刃のような鋭さが潜んでいた。
「私が宮司の深代貴明です」
深代は二人の向かいへ腰を下ろす。
「さて……ササオカという人物をお探しだとか……」
「はい。祖父に、ここへ行けばわかると聞きました」
深代は一度だけ目を閉じた。
そして静かに告げる。
「残念ですが……この神宮に、ササオカという人物はおりません」
「……え?」
肩透かしだった。
せっかくここまで来たのに。
だが次の瞬間、深代の目が鋭く変わる。
「ですが、あなた方の求める答えは、ここにあるかもしれません」
空気が変わった。
室内の温度が、一瞬で下がったように感じる。
エチカも姿勢を正した。
「この諸岡神宮は、普通の社ではありません」
「ここには、ある存在が封じられています」
雨音が遠ざかる。
聞こえるのは、深代の声だけだった。
「その存在は今朝、私に告げました」
――今日、自分に縁ある者が訪れる。
――力を見極め、お前が認めたならば連れて来い。
深代は二人を見据える。
「あなた方が探している“ササオカ”とは、人の名ではありません」
「封印の奥へ続く場所の名です」
リュウとエチカは顔を見合わせた。
欲しかった答えだ。
だが、それ以上に嫌な予感が強かった。
「その先へ進めば、もう引き返せません」
深代の声は静かだった。
だからこそ重い。
「それでも、行きますか?」
エチカが笑う。
「ここまで来て、帰るわけないでしょ」
リュウは深くため息をついた。
「……また面倒ごとに巻き込まれた」
その瞬間だった。
部屋の奥――誰もいないはずの壁の向こうから。
ドン……。
低く鈍い音が響いた。
まるで、何かが目を覚ましたように。




