第四話 転生じじい現る
その夜、リュウとエチカは住宅街の夜道を歩いていた。
――いや、並んで、という表現は少し違う。
「なにもさぁ……今夜行くことないでしょ!」
エチカは頬を膨らませ、数歩先をずんずん進んでいる。
「だって、早い方がいいって言ったのそっちだろ」
「それは言ったわよ! あんなのに何の情報もないまま襲われたら困るって意味!」
「じゃあ同じことじゃん」
「違うの! 今日は見たいテレビあったの!」
ぴたりと立ち止まり、びしっと指を突きつけてくる。
「録画って文明、知ってる?」
「うっさい!」
次の瞬間、塩の粒が飛んできた。
「うわっ!」
リュウが反射的に避ける。
その背後でたまたま漂っていた低級霊が、目を見開いたまま消滅した。
「ふん。一匹じゃ物足りないわね」
エチカは満面の笑みだった。
「……八つ当たりに怪異を使うなよ」
「有効活用よ♪」
どうやら機嫌はそこまで悪くないらしい。
リュウは肩を落とした。
「うちの親も今日は遅いし、エチカの家もそうだろ? ちょうどいいと思ったんだよ」
「だからって、か弱い女の子を夜道に連れ出すなんて、あなた少し無神経じゃない?」
「……はい?」
「無神経じゃない?」
圧が強い。
「すみませんでした!」
リュウは即座に頭を下げた。
「その分、俺が全力で守ります! 可愛いエチカさんを!」
恐る恐る顔を上げる。
エチカは口元を緩め、わざとらしく咳払いした。
「……まあ、そこまで言うなら付き合ってあげるわ」
「ありがたき幸せ」
「感謝なさい」
リュウは深く礼をしながら思った。
(……ひとりの方が楽だったかもしれない)
⸻
二十分後。
二人は高層マンションの前に立っていた。
「ここだよ」
「へぇ~、思ったより近かったじゃん」
「文句言われずに済んで安心したよ」
「誰が文句言うって?」
「すみませんでした」
「反省が早いのは美徳ね」
エントランスを抜け、エレベーターで十一階へ向かう。
到着した廊下を進み、『橋口』と書かれた部屋の前でインターホンを押した。
すぐに扉が開く。
「あっ、たかちゃん!」
現れたのは、二十代後半ほどの小柄な女性だった。
柔らかな笑顔。
人を安心させるような空気をまとっている。
その横で、エチカの肩が震えた。
「……たかちゃん?」
「笑うな」
「ふっ……」
「笑うなって」
「む、無理……っ」
肩を押さえて笑いをこらえている。
「な〜に? 今日は彼女連れ?」
美香が楽しそうに聞いた。
「違います」
「ち・が・い・ま・す」
エチカが食い気味に否定した。
少し傷ついた。
「まあまあ、立ち話もなんだし、上がって」
⸻
部屋の中は綺麗に整えられ、ほんのり柔軟剤の香りがした。
生活感はあるのに散らかっていない。
居心地のいい空間だった。
「今日はどうしたの?」
美香がお茶を用意しながら尋ねる。
リュウはエチカを指さした。
「こいつが赤ちゃん好きで」
次の瞬間、尻に激痛が走った。
「いっ!?」
振り返ると、エチカが笑顔でつねっていた。
「さとちゃん、見たいんだって」
「あら、そうなの?」
美香は嬉しそうに奥の部屋へ向かった。
少しして、腕の中に赤ん坊を抱いて戻ってくる。
白い肌。
ふっくらした頬。
小さな指。
天使のような寝顔だった。
「きゃっ……かわいい……!」
エチカの声色が変わる。
さっきまでの圧はどこへ行ったのか、目を輝かせている。
「抱っこしていいですか?」
「もちろん」
おそるおそる抱き上げる姿は、驚くほど優しかった。
ぎこちないのに丁寧で、大事な宝物を扱うようだった。
リュウは思わず見とれる。
「たかちゃん、よだれ出てない?」
「出てない!」
美香がくすくす笑った。
その時だった。
「あっ」
美香が何かを思い出したように声を上げる。
「大変! 私、おむつ買うの忘れてた」
バッグをつかみ、慌てて玄関へ向かった。
「すぐ近くのドラッグストアだから、ちょっと行ってくるね」
「え、今?」
「すぐ戻るから……」
にこっと笑い、靴を履く。
「二人で待っててね!」
扉が閉まり、部屋の中が静かになった。
残されたのは、リュウとエチカ、そしてさとちゃんだけだった。
⸻
「……で?」
エチカが赤ん坊を抱いたまま首をかしげる。
「ここへ来た本当の目的、まだあるんでしょ?」
リュウは口元を吊り上げた。
「もちろん」
そして、眠るさとちゃんの前へ進み出る。
「ちょ、何する気?」
「目的の説明さ」
ゆっくりと手を振り上げ――
パチン!
さとちゃんの頭を軽く叩いた。
「ぎゃああああ!」
部屋に泣き声が響く。
同時に、二人の頭の中へ別の声が飛び込んできた。
『誰じゃあ! ワシの頭を叩いたのはぁ!』
エチカが固まる。
「……なに、これ」
『むむっ、クソタカ! またお前か!』
「気を感じてみて?」
リュウが真顔で言う。
エチカは目を閉じ、意識を集中させた。
数秒後、勢いよく目を開く。
「……この気、まさか」
『ん?』
「キン爺?」
『ぎくっ』
エチカの笑顔が、ゆっくりと別のものへ変わった。
「えっ、キン爺だ! ……やっと会えたわねぇ……」
その声色に、リュウは一歩下がる。
さとちゃんのほっぺが、むにっと引っ張られた。
「ぎゃああ!」
『やめんかぁぁぁ!』
「何度呼んでも出てこなかったと思ったら……転生してたってわけね!」
悪魔のような笑みだった。
『しまった……』
「でも、また会えて嬉しいわ……とっても!」
『ぜんぜん嬉しそうに見えん!』
⸻
リュウは咳払いして話を戻した。
「爺ちゃん。実は今日、ヤバい霊体に襲われたんだ」
「何か心当たりないかな?」
さとちゃんは泣きながらも、頭の中で吐き捨てる。
『ふん。お前、強い存在にマーキングされとるぞ!』
「マーキング?」
『印をつけられたんじゃ。そいつには、お前の居場所が丸見えじゃぞ』
リュウの表情が引き締まる。
「外せないの?」
『ワシにも無理じゃな』
少しの沈黙。
泣き声だけが部屋に響く。
やがて声が続いた。
『……シンちゃんに会え。諸岡神宮のササオカに……話は通しておく』
「諸岡神宮……?」
「ササオカ……?」
エチカも眉をひそめる。
その時。
玄関の扉が開く音がした。
「ただいま~!」
美香が戻ってきた。
エチカは一瞬で表情を切り替え、満面の笑みでさとちゃんを抱いていた。
「ミカさん! さとちゃん、すっごくいい子でした!」
『嘘じゃあああ!』
「うふふ、じゃあ今度お留守番お願いしようかしら」
「ぜひっ!」
『嫌じゃあああ!』
⸻
帰り道。
夜風の中、リュウは空を見上げた。
(……明日、諸岡神宮へ行ってみるか)
隣では、エチカが機嫌よくスマホを見ている。
画面には、さとちゃんの写真が何十枚も保存されていた。
しかも、泣き顔ばかりだった。




