第二十九話 落ちて行った闇
エチカたちと別れて、およそ三時間後。
俺は、家の最寄りにある北村総合病院、その一室にいた。
広めの病室に置かれたベッドは三台だけ。
個室に近い扱いなのだろう。
そして――その三つすべてに、俺の家族が眠っていた。
右端には親父、遠間 隆明。
中央には母さん、遠間 由美子。
そして左には妹の愛美。
三人とも、目を閉じたまま微動だにしない。
俺は、その顔を見つめながら、先ほどの出来事を静かに思い返していた。
⸻
エチカたちと遊園地にいた時、かかってきた電話。
あれは親父本人ではなかった。
「もしもし?」
『遠間 隆さんですか』
「はい」
『突然ですが、私は諸岡警察署の久保山と申します』
『大変お気の毒ですが……あなたのお宅が、何らかの事件に巻き込まれたようなのです』
「ええっ!?」
『詳しくは来ていただいてからお話しします。急いで来ていただけますか?』
「……わかりました」
⸻
家に着いた時、見た目は何も変わっていなかった。
ただ――妙に静かだった。
そして、誰もいなかった。
そこにいたのは久保山さんと、数名の警察官だけだった。
その後の記憶は少し曖昧だ。
わかったのは、犯人らしき人物が昼頃に堂々と玄関から入り、数分で事を終え、また堂々と出ていったという事。
隣人が怪しんで様子を見ていたらしい。
中から悲鳴と争う声。
その後、すぐ静寂。
しばらくしても物音はなく、通報された。
「以上が、今わかっている状況です」
久保山さんはそう言った。
「隆君、犯人に心当たりはありませんか?」
「……ないです。全然」
嘘だった。
心当たりなら、ありすぎるほどあった。
⸻
病院で医師から聞かされたのは、原因不明の昏睡状態という説明だけだった。
当然だ。
この状態の理由を知っているのは、俺だけだ。
家族は三人とも、強力な霊障を受けている。
目覚めさせるには――その相手を倒すしかない。
だが、その相手は桁違いだった。
今まで会った誰よりも。
想像した事すらないほどに強い存在。
誰にも抗えない力。
俺は、ただ途方に暮れていた。
⸻
気づけば外は薄暗くなっていた。
何か考えようとしても、思考がまとまらない。
頭の中に霧がかかったようだった。
こんな感覚は初めてだった。
俺は椅子に座ったまま、何もできず……時間だけが、ただ過ぎていた。
その時――病室の外が、急に騒がしくなった。
足音が近づいてくる。
「あっ! ここよ!」
ノックと同時に、数人が部屋へ入ってきた。
「タカちゃん!」
「あなた、大丈夫!?」
顔を上げる。
「……真由美おばさん」
母さんの妹だった。
真由美おばさんは何も言わず、俺を抱きしめた。
「ひどい目にあったね……」
隣にはおじさんもいた。
「もう心配いらないから」
俺は無表情のまま答えた。
「……ありがとうございます」
「今日はもう送るから、少し家で休みなさい」
その言葉に、少しだけ肩の力が抜けた。
……これで、一人になれる。
⸻
家に戻っても、何も変わらなかった。
思考はぼやけたまま。
これは本当にまずい――そう思った時だった。
頭の中に、懐かしい声が響いた。
『おい、タカ! どうしたんじゃ!』
爺ちゃんだった。
「爺ちゃん……親父たちがやられた」
「みんな昏睡状態で……」
『それは知っておる』
『残念じゃった。一瞬の出来事でな、儂も手が出せんかった』
『今、儂はシンちゃんと今後の事を話しておる』
『よいか。奴らの狙いはお前じゃ!』
『今のお前の精神状態は危険すぎる。このままでは、向こう側へ引きずり込まれるぞ』
『お前は、まず気力を取り戻せ』
『……もうすぐ、エチカも来る』
「エチカ……!」
今は会いたくなかった。
こんな姿、見られたくない。
そう思った瞬間――
ピンポーン。
チャイムが鳴った。
無視しても、止まらない。
連打だった。
仕方なく扉を開ける。
そこには、エチカが立っていた。
「遅いわよっ!」
怒っているかと思えば、そうでもない。
「ああ……エチカ。今、一人になりたいんだ。悪いけど……」
「わかってるわ」
「キン爺から話は聞いてる」
「昼間の事もあるし、心配してたのよ」
「お母様たちの事は――」
「その話はやめてくれ!」
俺は思わず遮った。
エチカは小さくため息を吐き、そのまま家の中へ入ってきた。
「いいから、こっち来て」
手を引かれ、居間へ連れて行かれる。
ソファに座らされると――
エチカはそのまま俺の膝にまたがり、向かい合って座った。
「な、何を……」
エチカは何も言わなかった。
ただ、俺の顔を胸元へ引き寄せ、そのまま強く抱きしめた。
「エ、エチカっ!」
「黙って」
その声は、優しかった。
甘い香り。
柔らかくて、温かい感触。
不思議と変な気持ちは湧かなかった。
ただ、ひどく懐かしかった。
子どもの頃に感じた、満たされた安心感のようなもの。
その瞬間――
胸の奥から何かが噴き出した。
乾ききった感情が、激しく揺れた。
そしてそれは、大量の涙になった。
俺は声にならない声を漏らしながら泣いていた。
気づけばエチカは腕をほどき、黙って頭を撫でていた。
それでも涙は止まらない。
今度は俺の方から、エチカを強く抱きしめていた。
細い体が腕の中で軋む。
それでもエチカは拒まなかった。
「我慢しないで……叫んだ方がいいわ」
その言葉で、最後の堰が切れた。
「うおおおおおっ!!!」
「クソォォォォッ!!!」
「なんでなんだよぉぉぉっ!!!」
「親父ぃぃぃ!!!」
「母さん!!!」
「愛美ぃぃぃ!!!」
「すまん……すまんっ……!」
俺は子どもみたいに泣きじゃくった。
見栄も体裁も何もなかった。
家族を巻き込んだ。
守れなかった。
その悔しさと怒りが、全部あふれ出した。
エチカは、ただ黙って抱きとめてくれていた。
その温かさの中で、ようやく気づいた。
俺にとってエチカが、どれほど大きな存在だったか。
ただの腐れ縁なんかじゃなかった。
太くて、強い絆が、そこにあった。
⸻
「エチカ……ごめん」
「ありがとう」
「なんか……スッキリした」
エチカはにこっと笑った。
「そう。よかったじゃん」
そしてすぐ、にやりと口元を歪める。
「で? 私の胸の感触はどうだった?」
「へ、変な事言うなよ!」
「照れるなって!」
「お代は請求しないであげるから」
……前言撤回だ。
やっぱりこいつはこいつだった。
⸻
「もう遅いし、帰ったら? 送るよ」
「あ、大丈夫」
「親には泊まるって言ってあるから」
「ええっ!? 俺ん家に!?」
「まさか。みっちょん家に泊まるって言ってきたの」
「……なるほど」
「じゃあ二階の俺の部屋で寝なよ」
「俺はここで寝るから」
「ありがと」
エチカは二階へ上がっていった。
俺は一人、ソファに腰掛けた。
思考は、もう元に戻っていた。
これなら、まだ抗える。
……本当に、エチカには感謝だな。
しかし……その時だった。
頭の中へ、冷たい思考が流れ込んできた。
――これは、犯人のものだ。
俺は、唇を強く噛みしめた。




