31 心からの願い
王国領の東方、灰色の霧に覆われた森に亡者の群れが湧いたという。
夜空を裂くように咆哮が響き渡る。腐敗した肉の臭いが風に乗って鼻を突き、地面を這う無数の影が月光を遮った。
「アンデッドの大群……王命とはいえ、厄介な仕事が舞い込んできたものだ」
黒い甲冑に身を包んだ夫、オズヴァルトは、愛馬を制しながら静かに剣を抜いた。
銀色の刃が、魔力の光を湛えて輝く。
彼の背後には、精鋭の騎士団が整然と並び、黒い獅子の旗がたなびく。
緊張した息遣いが夜気に溶けていた。
そのすぐ後ろに、俺が白銀の軽鎧を纏って立っている。
政略結婚でこの家に嫁いできた元侯爵令嬢アリスト。そして今は、正式にガルナバーシュ辺境伯夫人だ。
「オズヴァルト……し損じるなよ」
「ぬかせ」
軽口を叩きつつ、俺は周囲への警戒は怠らない。
胸の奥で、最近目覚めたばかりの《癒しの力》が、静かに脈打っている。しかしその力は、俺が心から癒したいと願う相手にしか発動しない、極めて限定的なものだった。
夫はまだ、完全には心を開いてくれていない。それでも。
――王太子妃殿下を庇って負った肩の傷を、あの日、本まで読んで看病してくれた。あの時の優しい声音を、俺は忘れていない。
「下がっていろ、アリスト。怪我の治ったばかりの貴様は後衛だ」
オズヴァルトの声はやや冷たく聞こえたが、瞳の奥にわずかな揺らぎがあった。
政略結婚。敵対家門からの嫁入り。最初は屋敷中の使用人が俺をスパイと疑い、冷たい視線を浴びせ続けた。
それでも俺は耐え、先だっては実家からの「情報を寄こせ」という要請をきっぱりと断った。そのことが、徐々に周囲の態度を軟化させていた。
「一緒に戦う、こちらにもそこそこの戦力はある」
今回は俺もわざわざ男性体で来てるしな!
「まったく、夫の戦場に同行する夫人など、前代未聞だ」
俺は不敵に笑って見せた。
前世の記憶――陰陽師として生きた力が、未だ生きてる。呪符、式神、浄化の術。そしてこの異世界に転生して癒しの力にも目覚めた。
厄介なアンデッド戦で力になれそうな気がするし、ここで使わずしてどうする。
◆ ◆ ◆
アンデッドの群れが、波のように押し寄せてきた。
腐った骸骨、肉の落ちたゾンビ、幽鬼。数百、いや千を超える亡者の軍勢。
「魔法使い隊! 大規模魔法攻撃!」
「はい!」
先んじて魔法使いが派手な広範囲攻撃魔法をぶちかます。
しかしアンデッドには痛覚もなく、前衛が吹き飛んでも全く怯まないのが厄介だった。
「全軍、突撃! 陣形を崩すな!」
オズヴァルトの号令の下、騎士団が一斉に前進した。剣戟の音と魔力の爆発が森を震わせる。
俺は後方から式神を放った。それは聖水に1度漬けた紙の式神で、それらが騎士達の鎧にぺたりと張り付くと、彼らの防御力を上げた。
この騎士達も、夫の大切な部下なのだから。
しかし、戦況は一進一退だった。
オズヴァルトの剣がアンデッドを薙ぎ払うたび、銀光が夜を裂く。だが、亡者の数は減らない。
むしろ中央に、異様な存在が浮かび上がってきた。
巨大な骸骨の王。赤く輝く核を持つ、アンデッド・ロード。
「――主将を倒せば終わる!」
オズヴァルトが馬を飛ばし、単身で突っ込んだ瞬間だった。
アンデッド・ロードの腕が振り下ろされ、彼の肩を深く抉った。甲冑が砕け、鮮血が飛び散る。
「オズヴァルト!!」
俺の叫びが戦場に響いた。
駆け出した。騎士たちの制止を振り切り、亡者の間を縫って夫の元へ。
「馬鹿な……下がれ!」
オズヴァルトが苦痛に顔を歪めながらも叫ぶ。しかし俺は夫の前に立ちはだかり、印を結ぶ。
霊力が、熱となって体内に駆け巡る。
『美しき桜神の御霊よ、我が呼びかけに応えたまえ。薄紅の美しき桜よ、天地に咲き乱れよ。
一輪一輪に宿るは、陰陽の理。
散る刹那の命をもって、不可侵の華盾となれ 風に舞う花弁は、刃を防ぎ、闇を払い、光を纏う。
我が身の周りに八重の桜よ、咲き誇り、今ここに集い来れ ——開け、桜華結界! 急急如律令!』
陰陽の呪文が紡がれ、薄桃色の桜の花弁の形の結界が展開した。魔力の消費量が多く、身体中の骨が軋むように痛い。
アンデッド・ロードの攻撃が桜の結界に阻まれ、火花を散らした。
その隙に、俺は夫の傷口に手を当てた。
『癒しの力よ!』
心からの願いが、温かな光となってオズヴァルトの傷を包み込む。深い裂傷が、目に見える速さで塞がっていく。
オズヴァルトの瞳が見開かれた。
「……アリスト……お前は、俺のことを……」
皮肉にも……心から癒してやりたい相手にのみ発動するこの力が、俺の心を証明してくれてる。
「今生は、幸せになりたいんだよね、俺だって」
「お前……」
前世は愛によって身を滅ぼした。しかしそれに後悔はない。
ただ、今回は未来を諦めたくない。
共に生きたい人との、未来を。
アンデッド達の咆哮が精神を乱す。腐った臭いも不愉快だ。
冷汗が頰を伝う。
アンデッド・ロードが一際大きく咆哮し、最大の魔力を放とうとした瞬間、俺はオズヴァルトの剣に手を重ね、自身の魔力を注ぎ込んだ。
「一緒に、倒すぞ」
オズヴァルトは一瞬だけ迷い、そして力強く頷いた。彼の腕がマリアンを抱き寄せ、共に剣を振り上げる。
「もう1回死にさらせ! くそ骸骨!」
そう俺が吠えた瞬間、二人の魔力が融合した銀光の斬撃が、夜空を貫いた。
アンデッド・ロードの核が、砕けた。
巨大な骸骨が崩れ落ち、周囲のアンデッドたちが次々と塵となって風に散っていった。
騎士達から歓声が上がる。
獅子の旗が誇らしげに風にたなびく。
オズヴァルトは大地に刺した剣にて、己を支えつつ荒い息を吐いた。
「……お前がいなければ、俺は死んでいたかもな」
低く、掠れた声。
「大袈裟な」
俺は笑いながら肩を貸した。魔力の放出が多くて大きな体を支えるのが辛そうだったから。
「後でまた、あの美味しいパンを食わせてくれるか?」
不器用な甘え方だな、しかも色気無し。
「いいけど、こんな時に食べ物の話か、色気のない事で」
そもそも男性体で肩を貸してる時点で、色気もクソもあったもんじゃないが。
「勝ったからいいじゃないか」
「それはそうだけどな」
森の霧が晴れ、朝陽が差し込む。
政略から始まった俺達夫婦の仲は、この戦いで確かにまた一歩、進んだ気もする。
そして俺は、心の中で前世で培った力、知識とか色々、ガルナバーシュ辺境伯夫人として、あの地を守る為に使っていこうと、ひっそりと誓う。
「この後、美味しいパンにローストビーフを挟んでやるよ」
「それは楽しみだ」
───東の森に、穏やかな朝が訪れていた。




