29 急な依頼
「俺、いや私が侍女として王太子妃エレノア殿下の隣国リエラへ外交の随行をせよと?」
王宮からの書簡を手にしつつも、俺は困惑した。
契約結婚をした夫であるオズヴァルト辺境伯とは、日々歩み寄りを試みてはいるし、満月の夜に黒獅子となる秘密も握ってはいるが、まだ心を開いているとは言えない状態。
いつか出ていけと捨てられる可能性は、無きにしも非ず。
……軍資金は必要だ。前世の記憶があるとはいえ、この世界の貴族の夫人が離縁された後のことを考えたら、世間の風当たりは厳しいと思うし。
一応俺には前世の記憶のおかげで陰陽師としての力と、料理の腕もある。現代日本の味覚と技術をこの世界に持ち込んだだけで、貴族たちの舌を簡単に虜にできる。
そして最近目覚めた癒しの力もある。ただし、これには条件つき。
俺が心から癒してあげたいと思える相手にしか、発動しないというもの。
それでも、王家は期待しているらしい。親交を深め、万一の有事に備えろ、と。
「嫌なら断ってもいい」
と、夫のオズヴァルトは言うが、それは辺境伯家の評価を下げることになりかねない。
俺は金貨の入った袋を想像しつつも、健気な妻を演じることにした。
「よし、辺境伯家の評価を下げる訳にもいくまい。私は侍女として隣国へ、妃殿下の外交の共をする」
「……本気なのか……問題を起こすなよ」
こんな健気な妻に対して失礼な夫であった。
◆ ◆ ◆
出発から三日目。
豪華な馬車の中は、案の定退屈だった。
王太子妃エレノアは気さくな女性で、アリストたる俺をアリスと呼んでくれる。
まるで不思議の国のなんたらのようでむず痒いが、まぁ、かわいい響きではあるのでよしとする。
だが、一方で侍女長の視線は冷たい。今まで社交もろくにしてこなかったアリストが侍女として抜擢されて不満なのだ。
「アリス、退屈じゃない?」
「いえ、妃殿下。お供できるだけで光栄です」
内心では退屈極まりないと思いながらも、それはおくびにもださない。俺は持参した小型の魔導コンロを取り出した。馬を休憩させるため、湖側の野原で人間も小休止することとなったタイミングで。
「では、昼食の時間にいたしましょうか」
初夏の大地に木漏れ日の影が踊る。
木陰を選んでキルトの敷き布をピクニックシートの代わりに広げ、その上に我々が座ると、少し草の匂いがした。
──この世界は美しい。
ツタで編まれたピクニックバスケットを馬車から下ろす。
食事の材料は事前に用意しておいたものだ。
硬いパンが主流のこの世界で、固くも酸っぱくもない、くるみ入りの甘いふわふわパン!
そして美しいガラスの器にはヨーグルトに蜂蜜とドライフルーツを混ぜたデザート。
横に、香草を効かせたチキンスープ。シンプルだが食欲をそそる香りが周囲に広がった瞬間、侍女長の鼻がぴくりと動いた。王太子妃エレノアの瞳が輝く。
パンを一口食べた途端、エレノアが声を上げた。
「なにこれ……! ふわふわ! アリスト、あなた天才なの!?」
「当家秘伝のパンです。妃殿下がお疲れのようでしたので」
一瞬で飯テロ状態になった。侍女たちまでパンを千切る手を止められず、頰を緩めている。
──その夜、野営地で少しだけピンチが訪れた。
◆ ◆ ◆
夜半、魔物らしき影が野営地を襲った。護衛騎士団が対応する中、一匹のシャドウウルフが王太子妃エレノアの馬車に飛びかかってきた。
索敵に式神を放っていれば良かったのだが、俺はその力は念の為に隠しておきたかったし、王宮から来た護衛騎士達もいるから大丈夫だと、たかをくくっていたのだ。し損じた。
「妃殿下!」
俺は咄嗟に身を挺してエレノアを庇った。爪が肩をかすめ、鋭い痛みが走る。
いってーな!! この犬コロ系魔物が!
と、内心で毒づいてから、指先では素早く印を切り、囁く。
『大地の怒り、土爪!』
大地から黒い獣の脚爪が現れ、影狼の脚を傷つけた。狼が悲鳴を上げ、体勢を崩した。護衛騎士がその隙に剣を振り下ろす。
狼が倒れた後、俺は自分の肩の傷に手を当てた。
しかし、癒しの力は己に使えなかった。不便なことだ。
エレノアが青ざめた顔で駆け寄ってくる。恐怖と心配で震えるその手に、俺は大丈夫ですと、そっと触れた。
その後、医療班が駆けつけて傷を消毒し、包帯を巻いてくれた。
「アリス……国王陛下から聞いた話ではあなた、癒しの力を持っていたのではなかったの?」
「どうやら今のところ己には使えないみたいですね」
エレノアの瞳が悲しみの色を帯びた。下の者への労りの気持ちや優しさのある人のようだと見てとれた。
未来の国母となるだろう方が、優しい人で良かった。
隣国、リエラ公国に到着後、歓迎晩餐会が開かれた。
問題は、リエラ側の王弟殿下が、かなり難物だったことだ。高慢で、隣国を下に見ている上に、己の妹を王太子に近づけたいと言う噂のある者。だとするとエレノア妃殿下を邪魔と思ってる。皮肉も隠さない。
「我が国の料理で満足いただけるか、心配ですな」
出されたのは、見た目は豪華だが肉の臭みも残る、味の薄い煮込みと、パサパサの肉料理。
臭い消しのハーブくらい使えよと、俺は内心で舌打ちした。
……真面目に外交する気がないんか、こいつ。
夜、宿舎でこっそり動いた。エレノアの鶴の一声厨房を借りる許可を得て簡単なフレンチを作った。
翌日の昼食会で振る舞ったのは、ホロホロに柔らかくなった牛肉の赤ワイン煮込み。
それと添えられたのは、香ばしいガーリックトーストと、彩り鮮やかな野菜のソテー。
王弟殿下は最初、胡散臭そうな顔をしていたが、一口食べた途端、フォークを止めた。
「……これは」
さらにデザートに出した「季節の果物タルト」が決め手だった。
「辺境伯夫人……いや、アリスト殿。貴女は一体何者だ?」
「ただのエレノア様の侍女ですよ」
微笑みながらも、俺は王弟の態度に内心でイラついていた。肉の臭み消しすらしてない料理を出す隣国は、料理知識が無さすぎなのか、あるいはまともな外交をする気がないか、戦争でもしたいのかと。
◆ ◆ ◆
またも事件が起きた。
三日目の夜、王太子妃エレノアが突然、高熱を出した。寝酒に荷物にあったワインを飲んだ後のことだ。
通常の毒ではないと思うが、と、医師団は原因不明と首を傾げる。
俺は、ワインと王太子妃から呪いの気配を察知した。……ここで妃殿下を失うわけにはいかない。
俺は夜中にエレノアの部屋に入り、彼女の傍らに跪いた。
「妃殿下……あなたは恐らく呪いのかかったワインを飲まされたと思われます。呪い返しを試してみてもよろしいですか?」
エレノアはか細い声でええ、と、答えた。
手を合わせ、術を唱える。
『太極の理、両儀の境に立ちて、禍の影を鏡とし、怨の矢を返す。
眼前の者の身に降りし悪意は、そのまま悪しき者の喉元へと還れ。八卦の輪、九字の護り。陰は陽を呼び、陽は陰を制す。
——呪い返し、鏡の如く! 急急如律令!』
呪い返しの術式の発動と共に、呪いの毒の気配が、ゆっくりと消えていく。
エレノアが咳き込んで呪いの色をした黒いワインを吐き出した。
慌てて背中をさする。
知らない言葉(日本語)を紡いだ俺に胡散臭い眼を向けた侍女長であったが、己の仕事をこなすため、ハンカチでエレノアの口を拭った。
そしてエレノアはゴブレットに注がれた水を飲んだ後、俺に礼を言った。
「ありがとうアリス、助かったわ」
「ようございました」
事件の後、ワインがリエラ産だったことと、森の中で一人の術者が呪い返しで死んでいた事と、王弟の使用人がこちらの荷物にワインを忍ばせた事が後の調査で判明した。
リエラ側は公式に謝罪。外交は多額の賠償金を払わせてなんとか終わり、密かに呪いの毒を盛ったワインを荷物に混ぜた使用人も処分された。
多分命令されて拒めずに、使い捨てにされたんだろう。トカゲのしっぽ切り感がすごい。
後味の悪い事件だった。
◆ ◆ ◆
帰国の馬車の中で、エレノアが俺の手を握った。
「アリス、また機会があれば、一緒に来てくれる?」
「ええ、夫の許可があれば可能かと思われます……しかし、夫の許可が降りた場合でも、報酬は弾んでいただきますよ」
「ふふ、それはもちろん」
まだ肩の傷が痛いが、夫に捨てられたときのための貯蓄がまた増えたことは喜ばしい。
オズヴァルトが待つ屋敷に戻る道中、俺は窓の外を眺めながら小さく笑った。
「ちょっと痛かったが、金は稼げた」
馬車の車輪が回る度に、スプリングの効いてない馬車でケツが痛む。この馬車も改良が必要ではないか? と思いつつ、俺は帰路につく。




